第13話 誘惑
エフシアとパーシヴァルは、静かにデクシアの話を聞いていた。この三年間にダーウェントで起きたこと、カステル公国がアリステラとの婚姻を要求していること、そしてそれを受け入れる覚悟でデクシアが公国を訪れたこと。ベアトリス公女の助けを得て、デクシアがアリステラになりすましこの神殿に辿りついたこと──
目を閉じて腕を組み、デクシアの話を聞いていたエフシアは、そこで目を開けるとチラリとデクシアを見やり、続いてパーシヴァルとも視線を交わしたが、再びデクシアの話に耳を傾けた。
デクシアの計画は、エフシアら数人をデクシアの連れてきた騎士の一行に紛れ込ませてエドワードのいる宮殿に潜入し、機会を窺ってベアトリスを救出するというものだった。
「ベアトリス公女は、私たちに力を貸してくれる者があるとおっしゃっていたが、神官長様はなにかご存知ですか」
デクシアは老婆に尋ねる。彼女は頷いた。
「大公殿下に恩のある者は数え切れません。彼らはエドワードの即位に疑問を唱え、ある者は処刑され、ある者は宮殿を去りました。不当に弾圧された彼らは首都を離れましたが、今再びベアトリス公女のために集っています。そして港には小さな商船を一隻用意しました。いつでも出港できる用意があります」
船でカステルを脱出できれば、遠回りではあるが安全だ。第三国を経由してダーウェントに帰国できる。デクシアは兄の発言を待った。
「そうだね。彼らは心強い味方だ。亡くなった大公殿下に忠誠を誓ってエドワードに反旗を翻した者も多い。数でこそエドワードの軍には及ばないが、金で雇われた傭兵の寄せ集めなどに負けはしないだろう」
これで取るべき道は決まった。あとは決行日をいつにするか、それだけだ。
「次の新月の夜」
デクシアはそう提案した。
「深い闇の夜、エドワードに宴を開かせます。兄上には私の供として会場に入っていただく。エドワードの目など節穴も同然、その上酔っていては兄上に気づきもしないでしょう」
確かに、エフシア王太子の風貌はこの三年でまるで別人のようにその印象を変えている。かつての陶器人形のような面影しか知らないエドワードには見分けがつくまい。そう思いながらヘイデンは兄のパーシヴァルを見つめる。
かつての初々しい騎士は今や一国の王の剣たるに相応しい風格を漂わせている。ヘイデンは再び兄パーシヴァルが騎士団長の正装に身を包んだ姿を思い浮かべて胸が熱くなった。
一同は、神官長が灯した蝋燭が燃え尽きてその火が消えるまで、綿密に報復の計画を練った。
「次の新月の夜」エドワードを討つ。エフシアはこのままデクシアの一行に紛れて宮殿へ戻る。パーシヴァルは神殿に残り、騎士と協力者たちを率いて、宮殿を脱出したエフシアらの、港までの退路を確保する。
皆がそれぞれその日に向かって決意を新たに、再びの別れを惜しみながら神殿をあとにした。潮が戻りつつある海の道を駆け抜ける。再会を果たしたばかりのパーシヴァルらと離れる悲しみに胸を引き裂かれる思いで、デクシアは宮殿へと急ぎ戻った。
到着するやいなや、ドレス姿のままでエドワードに面会を申し入れた。エドワードは初めてまともなアリステラ王女との対面とあって二つ返事で応じた。そのどさくさに紛れて騎士姿のエフシア王太子は随行の騎士たちの居室へ滑り込む。
*****
ジェシーと、侍従を装ったヘイデンを伴い、デクシアが案内された部屋には、これでもかと色とりどりの花が生けられ、テーブルの上には珍しい菓子が所狭しと並べられている。ひと目見て茶器や調度の全てに莫大な金をつぎ込んだとわかる。
……だが花は陽の光を浴びてこそ美しい。デクシアは呆れてうんざりしたのを公国のメイドに気取られぬよう扇で顔を隠し、ひとり心の中で呟いた。
部屋に通されていくらも経たぬうちにエドワードが現れた。相変わらず派手な衣装に身を包み、飾る指が足りないとでも言わんばかりに大きな石の指輪を手に光らせている。
「ようやくお姿を間近で拝見できて光栄ですな。おや、兄上はご一緒ではないのか」
エドワードは、アリステラが一人なのを見てあからさまに声を弾ませる。わざわざデクシアが腰を下ろしたソファーの背後を通り、背もたれを指輪だらけの手でつう、と撫でながら、その指で薄い絹のレースで覆われただけのデクシアの肩に触れた。
デクシアは肩から首筋にまで悪寒が走るのを気取られまいと必死に堪えながら、唇の端を優雅に持ち上げて見せる。視界の隅に控えるヘイデンが、かすかに眉をひそめて、その右手の拳に力が籠もるのがわかる。ジェシーは唇を噛んで視線をうつむけたままだ。
「大公殿下にお許しをいただき、あの美しい神殿に参ったおかげでしょう。今日はとても体が楽なのです。デクシアは海が気に入ったらしく、港を見て回っておりますの」
しとやかに扇で顔を隠してはいるが、垣間見えるその顔立ちが、近隣諸国の美女を百人競わせてもその足元にも及ばぬほどの美しさであるのは疑いようもない。エドワードはデクシアの姿を惚けた顔で眺めるばかりで、話などほとんど耳に入っていない。
ソファーに腰掛けたデクシアの、つま先から膝、細い腕から首筋、時折扇の向こうに見える小さな赤い果実のような唇を、舐めるようにその目で追う。
「……ですのよ。ですから大公殿下、ぜひ私もそんな素敵な宴にお招きいただきたいのです。……エドワード大公?」
デクシアは、エドワードが自分の唇に釘付けになっているのを感じながら、ことさら可憐に、媚びるように微笑んで見せる。
「……ええ、ええ。それはもちろん。我が妻となる王女殿下がお望みとあらば、先の宴にも勝る盛大な祝宴を催しましょう」
「楽しみですわ。こちらのメイドたちに聞きましたの。こちらでは満月よりも眩しい仕掛け火花が見られるのでしょう? 花火、と言ったかしら。真っ暗な夜空に、それは大きな花が咲くとか」
「おお、よくご存知で。我が国には優秀な花火職人がおりまして。それは見事なものです。ぜひ王女にお見せしましょう」
「まあ嬉しい! 私ぜひ見たい花火がありますの。……でもそれはとても高価で貴重なものだって、デクシアお兄様に叱られてしまって……」
言いながらデクシアは小首を傾げ、大公を上目遣いに見つめる。
「ほう? それはぜひ伺いたいものですな。この私が、姫君への贈り物を出し惜しみしたなどと思われるのは心外だ」
「真っ青な、サファイアのように青い花火を見たいのです」
「これはこれは……確かに青い花火は貴重ですな。だが必ず用意してご覧に入れましょう」
「ああ、さすが大公殿下! きっとですよ。五日後の新月の闇の夜空に、ひときわ大きな青い花火を打ち上げてくださいますわね?」
「お任せください。お安いご用ですよ」
そう言ってエドワードはデクシアの前に跪き、絹のように滑らかなその手の甲に口付ける。そしてそのまま両手でデクシアの手を撫で回した。
「ああ、あなたが我が妻となる日がなんと待ち遠しいことか」
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