第11話 隠れ家

 ベアトリス公女によると、エフシア王太子は三年前の事件の後、何度か国への帰還と連絡を試みたということだった。だが国境警備は思いの外厳しく、陸路での帰還は絶望的だった。また、密書を託した人物は殺され、彼の故郷の村は焼き討ちにあった。


 それ以来、王太子は母国への連絡を二度と試さなかった。カステル国内で、機会を窺いつつ潜伏する暮らしを三年続けているのだ。カステル国内にも現大公に反対するものは多く、公女を擁護する者も次第に現れ、どうにか幽閉中のベアトリス公女と連絡が取れるようになったのは一年ほど前かららしい。


 現在は、カステル公国の領海内にある島々のひとつ、エクソス島に匿われているということだった。カステルには国教とは別に古くから独自の女神信仰があり、島がひとつまるごとその主神である太陽神イリアークを祀る神殿になっている。そこは男子禁制で、イリアークを信仰する者たちの聖地でもある。


 代々、大公家の女性は国民を代表して神殿を参拝する習わしがある。一年前、ベアトリスとエフシアがようやく互いの安否を確認できた後、ベアトリスの計らいでエフシア一行はそのエクソス島に匿われることになった。


 神殿は事情を正しく把握していた。現大公エドワードの暴虐や王太子への襲撃。神官長はそれらを汲み、王太子一行を受け入れた。男子禁制のならわしは、元来男子を禁じるものでなく、暴力を禁じるものであった。迫害、虐待に苦しむものを救う目的が、事実上男性を締め出すことに変化していったのだという。


 現大公に追われ、危機にある王太子を助けることはなんら信義に反するものではない、それが神官長の出した答えだった。表向き男子禁制であり武器の持ち込みも禁じているため盲点であったし、大公軍もおいそれとは捜索の手を伸ばすことはできない。それでいてベアトリス公女が訪れても不自然ではないので、エドワードのいる首都から目と鼻の先にありながら、エフシアらにとって最適な隠れ家となった。


 兄の無事を聞いたデクシアは、ベアトリスに感謝し、必ず公女もこの境遇から救い出すと固く誓った。再び人目を忍んで足早に公女の離れを後にし、宮殿に戻ったデクシアは、今か今かと肝を冷やして待っていたヘイデンらにベアトリス公女の話をする。


 ヘイデンら赤の騎士団の男たちは、王太子と前騎士団長の無事を知り、涙を流した。はやる気持ちをどうにかこらえて、エクソス島へ渡る計画を立てる。アリステラ王女が神殿への参拝を申し出て、その一行に紛れてデクシアとヘイデンも島への上陸を試みようという作戦だ。



 早速デクシアはエドワード大公にアリステラ王女のエクソス島への参拝を願い出た。女神イリアークは女子供を守護し、女神に祝福された女は家庭の円満と、子宝に恵まれるというのが広く知られているので、それはごく自然なことだった。大公はすんなりと許可した。


 デクシアがアリステラに扮して神殿へ参拝することになり、慌ただしく準備が進められた。ヘイデンら随行の騎士たちは、現れたデクシアを見て、驚きを隠せない。


 髪を結い上げ、清楚なドレスに身を包んだ姿はどこから見ても貴婦人そのもので、ヘイデンなどは馬車に乗り込むデクシアに、ごく自然に手を差し伸べてから、デクシアと目が合ってバツの悪そうな顔をした。


「手慣れているな、ブライトン卿。その調子で頼むぞ」


 楽しげにニヤリと笑いながらエスコートを受けるデクシアにからかわれて、ヘイデンは年甲斐もなく頬が熱くなるのを止められなかった。王子の寝室に踏み込む大失態を演じて以来、ヘイデンはどうにも調子が狂ってばかりだった。


 見送りに出ている公国の使用人たちにも、デクシアは「アリステラ王女」としての姿を印象付けるように視線を送り、デクシアを乗せた馬車は大公宮を出発した。宮殿が視界から遠ざかると、デクシアは待ちかねたように馬車の窓から顔を出して、伴走する騎上のヘイデンに叫ぶ。


「これでは日が暮れる。もっと急がせろ!」


 その馬を寄越せと言いかねないデクシアの様子に、ヘイデンは騎士を二人、馬車の先導に走らせ、馬車の限界に近い速さで一行は街を駆け抜けた。気の毒なのはデクシアと共に馬車に乗り込んでいたメイドのジェシーだ。貴婦人の馬車にあるまじき猛スピードに揺られた彼女は、何度か座席から落ちそうになるのを、足を踏ん張って堪え、ようやく神殿へ渡る海辺に到着したときには、ジェシーはどちらが王女だか分からないような有様で、デクシアに支えられながらフラフラと馬車の扉に手を掛けた。


「ここから渡るのだな」


 馬車を降りたデクシアはごく自然な仕草でヘイデンの手を取り、ゆっくりと歩きながら、扇で口元を隠し、ヘイデンに確認する。エクソス島は海岸からすぐそこに見えている。泳いで渡ることもできる距離だろう。


 生まれて初めて見る海にデクシアは刹那、緊張から解放され、ただその美しい光景に目を奪われた。湖とは違う真っ白な砂浜は、太陽の光を眩しく照り返していた。ヘイデンはその砂浜を見渡して、波が打ち寄せるのを不思議そうに眺めた。


「本当に、歩いて渡れるのでしょうか」


 ヘイデンがそう言うのも無理はない。近いとはいえ、それなりの深さがありそうな海には、湖と違って絶えず波が白く泡立っている。こんなところを歩いて渡るなど、到底不可能に違いない。デクシアもその話をにわかには信じ難かった。


「道が現れるのです」ベアトリス公女はそう言って微笑んでいた。デクシアは何のことだかわからず、ただ目を丸くして公女を見つめ返す。


「海の水は日に二度、日照りの川のように引いて行きます。そのときにだけ、歩いて島に渡れる道が現れるのです」


 果たしてそんな事があり得るのだろうか? 引いた水はどこへ消えるのか? 湖しか見たことのないデクシアは首を捻る。冬になれば湖が一面凍って、歩いて渡ることもできるが……


 ヘイデンが疑わしげに海面を眺める隣で、デクシアも祈るような気持ちで水面を見つめる。すると、気のせいだろうか。砂浜に打ち寄せる波が次第に遠ざかって行くように思える。そのまましばらく見ていると、白い砂の道が細く浮かび上がってくるではないか。

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