第10話 ベアトリス公女

 デクシアは特注のコルセットをきつく締め上げ身支度を整えた後、朝食を部屋に運ばせヘイデンらを呼んだ。部屋に入ってきたその男たちを、いつも通り冷たく研ぎ澄まされた視線で、何事もなかったように一瞥する。


 今日はベアトリス公女からの返事を待つためなるべく宮殿内にとどまりたい。あの手紙が公女に渡りさえすれば、返事は早いはずだ、そんなことを話しながら朝食を済ませ、三年のあいだ敵国で生き延びた兄のことを思った。手にしたカップの紅茶に口を付けたが、それはひどく冷めていた。デクシアは自分が思うより長い時間、物思いに耽っていた。


 予想通り、返事は朝のうちに届けられた。お茶のお代わりと小さな焼き菓子を載せたワゴンを運んできたのは、ミリアムだ。デクシアは他のメイドに別の用を言いつけて部屋を下がらせる。


 公女の部屋にはメイドしか出入りできないらしい。公女からの提案は午後のお茶の時間に合わせてメイドに紛れ込んで会いにいくという計画だった。ミリアムはワゴンに隠して質素なメイド服を持ち込んでいた。


「無礼を承知でお願いいたします。こちらにお召し替えください」


 ソファーに広げられるメイド服、ミリアムは三着持って来ていたが……デクシアに一着を差し出し、二着目を手に取って、自分を囲む男たちを見回した。腕組みをして見守っていた男らは、ミリアムと目が合うと慌てて目を逸らす。ミリアムは最後にヘイデンを見て、その足元から頭のてっぺんまで視線を巡らせる。なんとも言えない表情でミリアムはデクシアに救いを求めた。


「お前たちがメイドに化けるのは無理があるだろうな」


 部下たちを横目に見ながらデクシアはため息をついた。精鋭を揃えたことが仇になったか、全員が体格のいい騎士ばかりで、メイド服など着せれば余計に目立つだろう。


「私一人でいい。その方が目立たないし、公女にお会いするだけだ。心配ない」


 それを聞いてミリアムは頷き、王子の着替えを手伝おうと歩み寄る。デクシアは首を振った。


「女に化ける様など見られてたまるか。全員外で待て」


「でも……」


 王子にメイド服の着方などわかるだろうか、ミリアムは心配して言いかけるが、デクシアは手を挙げてそれを制した。


「女の服がどうなっているかくらい、私にもわかる」


「…………」


 王子の私生活の一端が垣間見えたようなその一言に、一同は妙に納得してそのまま言われた通り部屋の外で待機した。やがて王子の着替えが済むと、王子の身代わりとしてヘイデンともう一人の騎士が入れ替わりで部屋に入り、使用人たちの目を盗んでミリアムとデクシアは王子の私室を離れた。


 部屋を出る際、質素なメイドの制服を着たデクシアに、ヘイデンは驚いて言葉を失ったが、すぐに取り繕ってなんとかデクシアに悟られまいと努めた。その顔立ちの美しさと見間違えようもない眼差しはさておき、その正体が十七歳の男子だと見破るものなどないだろう。


 ベアトリス公女とその妹が幽閉されているのは、その母である前大公妃のために建てられた離宮だった。庭園と小さな森を挟んで、人目から隠すように建てられたその静かな場所は皮肉にも幽閉にうってつけだったというわけだ。


 デクシアは自分が身につけた服を改めてよく見る。昨夜の宴にはべっていた使用人たちは、上質な絹の服に身を包んでいた。それに引き換え公女付きのメイドの服は、清潔ではあるがとても質素な綿の服だった。エドワード大公が贅の限りを尽くした生活をしているのに対して、ベアトリス公女とその周囲がどれだけ冷遇されているのか窺い知ることができる。


 長い渡り廊下を抜けて庭園を通り抜け、ようやく離れの裏口に辿り着く。見張りの騎士に会釈をするミリアムに倣い、デクシアも膝を折って顔を俯けたまま会釈をした。視線を感じて肝が冷えたが、どうにか通り抜ける。まだ見られているような気がしてデクシアはつい早足になった。ようやく視界から隠れるところまで来て、ホッと息をつく。


「ここまで来れば、もう大丈夫です。さあ参りましょう」


 ミリアムがそう言ってデクシアを案内する。使用人も少なく寂れてはいるが、とてもよく手入れの行き届いた邸宅だ。ミリアムは扉をノックする。


「公女さま、お連れしました」


 内側で衣擦れの音がしてドアが開く。顔を覗かせたのは中年のメイドだ。ミリアムの母親だろう。雰囲気がよく似ている。その背中の向こうから落ち着いた声が聞こえる。


「ご苦労さま、ミリアム。お入りいただいて」


 メイドがデクシアを招き入れる。案内されたのは部屋の一番奥の、庭が眺められるテラスだった。立ち上がりデクシアを迎えた公女はスラリと背の高い、美しいひとだった。


 デクシアはなんとなく儚げで消え入りそうな女性を想像していたが、滑らかな肌を縁取る金髪は、兄のエフシアの、絹糸のような淡い輝きではなく、文字通り黄金のように濃い陰影を描いて豊かに流れる。大きなエメラルドのような瞳は彼女の表情が変わるたびにキラキラと輝いた。まるで夏の庭のような鮮やかな美しさだ。


「初めまして、……デクシア王子、……殿下」


 デクシアのメイド姿に戸惑ったのか、公女はデクシアをチラリと見ながらそう言った。


「お初にお目にかかる。ベアトリス公女殿下」


「どうぞおかけください」


 公女の合図でメイドが椅子を引く。促されてデクシアは公女の正面の椅子に腰を下ろした。


「朝食はもう召し上がられたかしら?」


「はい、済ませました。お気遣いなく」


「では早速本題に入りましょうか。あまりのんびりもしていられませんものね」


 デクシアは頷く。ベアトリス公女は微笑んだ。


「本当に、エフシア殿下がおっしゃる通りの可愛らしい方ね」


 兄の名前と、くすぐったい形容詞にデクシアは一瞬面食らった。


「殿下は、妹がやってくるだろう、とおっしゃっていたわ。でもその後に、いや弟かもしれない、とも。私なんのことだか分からなくて不思議に思っていたの。でもお言葉の通りだったわね」


「兄は生きているんですね?」


 デクシアは祈るような気持ちで公女に尋ねる。公女はうなずく。


「ご無事でいらっしゃいます」


 それを聞いた途端、デクシアの瞳からは大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちた。人前で涙を流すなど、この三年間一度もなかったというのに。公女は膝の上できつく握り締められたデクシアの拳をそっとその手で包んだ。


「すぐにお会いになれます。どうか泣かないで」


 公女はデクシアの隣に腰掛け、デクシアを抱きしめた。

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