第9話 右と左

 生まれたときからずっと一緒だった。毎日二人だけで何時間も遊んだし、積み木で遊ぶのも、絵を書くのも、文字を習うのも全部一緒。

 

 私の前にはデクシアがいるのが当たり前で、デクシアが書く字を真似して書き、デクシアが描く絵を真似して描いた。そうしたら、右利きのデクシアの真似ばかりしていた私は左利きになった。ばあやと先生は右手も使えたほうがいいと言うので、大抵のことは右手でできるようになったけど、やっぱりペンを持つのは左手がしっくり来る。


 私とデクシアは双子。同じ色の髪に同じ色の瞳。大好物はさくらんぼと桃で、絶対に許せないのはきゅうりのピクルス。背の高さも声もおんなじ。だからきっと同じ年に結婚して、同じ年に子供が生まれて、同じ年に死ぬんだねって、そう言ってたのに。


 九歳の頃からデクシアの顔色は真っ白になって、ベッドの外に出られなくなった。一緒に並んで聞いてた先生の授業も、私一人だけ。そんなのズルいってエフシア兄様の前で大泣きしたら、兄様は困ったような顔をして私を抱きしめた。

 

 毎晩眠る前に、デクシアのベッドに入って、その日一日のことを話して聞かせた。毎日毎日ダンスのレッスンとお茶会、バラの種類とドレスの袖の形について、そんなことしか話せなくて、それでもデクシアは聞いてくれた。だけどもっとデクシアを喜ばせたくて、私はデクシアがしたいことを全部やった。


 エフシア兄様に頼んで私だけの剣を作ってもらい、国一番の騎士団長に剣の扱い方を教えてもらった。馬番の子に毎日お菓子を配って、子馬が生まれる前にかならず教えてもらえるように頼んだ。生まれた子馬が、デクシアの大好きな金栗毛だったと話したら、デクシアは大きな目をキラキラさせて子馬に会いたがった。


 子馬の調教をして、剣を習って、逆立ちができるようになって、デクシアに話してあげることがたくさん増えた。デクシアのベッドの中で、色んな話をして過ごしたあの日の夜中。メイドのジェシーが泣きながら部屋に入ってきたのを覚えている。


「オウタイシデンカガユクエフメイデス」


 その後はお父様もお母様も、周りの大人はみんな大忙しで、私とデクシアは二人だけでパンとスープの朝ごはんを食べた。ジェシーに手伝ってもらって着替えを済ませ、みんながいる会議室までこっそり一人で様子を見に行った。


 ドアの隙間を覗くと、いつも百回ブラッシングをしてつやつやになった髪を綺麗に結っているお母様は、ボサボサの髪に別人みたいに疲れた顔でソファーに倒れ込み、お父様は肖像画のお祖父様みたいに恐ろしい顔で、大きな声で怒鳴ってた。


「絶対に知られるわけにはいかん! 今すぐに箝口令かんこうれいを敷け!」


 びっくりしてドアから離れると、後ろにいた男の人の足を踏んでよろけた。大きな手で背中を支えられて、謝ろうと振り返ると、騎士団長の弟だった。パーシヴァルによく似ているからすぐに分かる。


「殿下、ここで何を……どこか痛むのですか?」


 そう言ってその人は慌てて私の顔を覗き込んだ。その瞬間まで、私は自分が泣いていることに気づいてなかった。


「お一人ですか? 早くお部屋に……」

 

 そう言いながらあたりを見回すその人の手を、私は掴んだ。彼の黒髪の下の青い瞳が揺れる。


「パーシヴァルはあなたのお兄さんでしょう? エフシア兄様と一緒だったって聞いたわ」


 こちらを見つめるその表情は、驚いたような怖がっているような、変な顔だった。泣いているのに、涙がこぼれない人もいるんだとそのとき初めて知った。


「あなたもここが痛いのね」


 そう言って左手を彼の胸に当てると、彼は小さく肩を震わせた。そうしてしばらく廊下には私達二人だけで、ドアの隙間から漏れ出る細い明かりと、大人たちの怒鳴り声だけが暗い廊下のずっと向こうに吸い込まれて消えていった。


 やがてすぐにジェシーが息を切らせて走ってきて、私たちは騎士団長の弟に見送られながら手を繋いで部屋に戻った。次の朝も、その次の朝もずっとお父様とお母様には会えなくて、お兄様がどこにいるのかまだわからないんだって、ジェシーが教えてくれた。


 城の大人達は大忙しで、私の勉強も午前中だけになった。先生は宿題を出さなくなって、時々何か考え事をするみたいに窓の外をじっと見ていた。パーシヴァルがいなくなって、剣のレッスンをしてくれる人もいない。私はデクシアが起きてる時に本を読んで聞かせるくらいしかすることがなくなった。


 あの人はどうしているかしら。彼にもデクシアやジェシーみたいに側にいてくれる人がいるかしら。一人ぼっちだったらきっと寂しいわ。弟も騎士団に入ったってパーシヴァルが嬉しそうに話していたからきっとそこにいるはずね。私はジェシーにも内緒で騎士団の訓練場を見に行った。


 夕暮れの訓練場にはもうほとんど誰もいなくて、彼は一人で剣を振っていた。近づいていくと、訓練場から戻ってくる騎士たちの姿が見えた。勝手にここにきたのを侍従長に知られるとすごく怒られるから、私はローブのフードを深く被って、彼らに道を空けた。すれ違いざまに彼らの話が聞こえる。


「兄貴が死んじまって、次男坊が今や公爵家の跡取りで、そのうちすぐに騎士団長だって話だぜ」


「ついてるよな。俺なんか三男だからな。死ぬまで騎士止まりだ」


「次男って言やあ、王様のとこだって王太子サマがいなくなって、次のはあれだろ、病気だかなんだか知らねえが誰一人その姿を見たことがないっていう幽霊王子だろ? この国は一体どうなるんだかなあ」


 私はフードを引っ張って顔を隠したまま、その場から動けなくなった。このままだと涙がこぼれそうで、声も出ない。


「王女殿下!」


 声を掛けられて、ハッとして顔を上げるとパーシヴァルの弟がこちらに向かって歩いてくる。話していた騎士たちはいつの間にか遠ざかっていた。


「こんなところで……一体どうなさったのですか」


「……あなたが、ここにいるって聞いて、それで……」


 泣きそうになるのを必死に堪えて、うつむいたまま言う。


「お兄様はきっと無事だわ。パーシヴァルだって」


「…………」


「あなたもそう信じているでしょう?」


「……そう言ってくださるのは、殿下が初めてです」


 顔を上げて彼の顔をまっすぐ見る。他の誰が信じなくても、私は信じる。エフシア兄様も、パーシヴァルも、絶対に生きてる。


「ねえ、あなたの名前を教えて」


「ヘイデン・ブライトンと申します。殿下」


 私は黙ってヘイデンに左手を差し出す。彼は静かに膝をつき、貴婦人レディにするみたいにその手に口づけた。あなたは私の一番の騎士。私があなたの味方になるわ。


 金色の夕暮れの中、剣もないし立会人もいないけど、これは私たち二人だけの秘密の叙任式アコレードね。




 その夜、デクシアが眠った後、私は鏡の前に立って、長すぎてお尻の下に敷いてしまう髪を肩まで切り落とし、ドレスやサテンの靴は全てクローゼットに押し込んで鍵をかけた。

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