第8話 希望

 少女はミリアムと言って、公女付きのメイドだった。彼女から聞き出せたのは、前大公の子女で生き残っているのは長女のベアトリス公女だけだということ。男子である兄と弟は二人とも殺害され、自身は三年前から幽閉されているらしい。


 ミリアムの母親が公女の信頼するメイド長で、公女の決死のメッセージを運ぶ役を引き受けたという。一目見てそれと分かるような手紙はもちろん、本の類も持ち出すことが出来ず、苦慮した結果がエフシア王太子ゆかりの指輪、というわけだ。


 一つ目の指輪と二つ目の指輪、まったく無関係と考える方が不自然だ。同じ人物からのメッセージだとすぐに気づく。公女は機転の利く人物らしい。王太子と公女は、三年前の事件以後、なんらかの形で接触しているのだろうか、デクシアはわずかながらも、兄に一歩近づいたような気がした。なんとしても公女に会いたい。


 どうにか公女と面会できないかと尋ねると、やはりこちらも内から外へ出る物は厳しく監視されているが、外から何かを持ち込むのは案外容易だと言う。そこでデクシアは短い手紙をしたためてミリアムに託した。


 ひとまずは公女からの返答を待つことにして、あとはなるべくゆるゆると過ごして、あわよくば滞在期間を引き延ばしたいところだ。夜も更けたところで、デクシアはミリアムを帰し、騎士たちもそれぞれの部屋に戻っていった。



*****



 翌朝、ヘイデンがデクシアの部屋へ向かうと、メイドたちが数人、ドアの外で何やら話し込んでいる。


「何かあったのか」


 ヘイデンがメイドたちに尋ねると、彼女たちは困惑したように顔を見合わせながら答えた。


「あの、朝のお支度をお手伝いしようと参りましたが、王子殿下は不要だとおっしゃられてお部屋に入れていただけなくて……」


 デクシアは、ダーウェントの王宮でも毎朝の身支度を手伝うメイドのジェシー・キャメロン以外、ほとんど誰も近寄らせなかった。側仕えの者が声を掛けても、ただ黙ってうなずいたり首を振ったりするばかりで、言葉を交わすことすらほぼ皆無だった。しかしヘイデンもまさか王子がジェシー以外の誰にも身支度を手伝わせないことまでは知る由もない。

 

 王子はまだ眠っているのか、あるいは――。昨夜の少女は確かに夜更け前に帰されたはずだ。その後に誰か呼んだのだろうか……ヘイデンは自身もこの国の女たちの積極的な様子を目の当たりにして面食らったが、王子はああいう女性をお好みか。まあ、年頃を考えれば当然とも言えるが。


 初めて間近に見た訓練場での姿は、その言動とは裏腹に天使のように見えたし、ボールルームで剣を交えた時は、なんとも楽しげで年相応の少年に見えた。笑った顔は幼い日のアリステラ王女によく似ていて、不覚にも見とれてしまったほどだ。その王子が、女性を部屋に……? ヘイデンは複雑な心境でメイドに尋ねる。


「殿下は今お一人か?」


「はい、そのはずですが……」


 ヘイデンは扉をノックすると部屋に入った。考え事をしていたせいで、返事を聞いていないことには気づいていなかった。


「王子、お休みのところ失礼いたしま……」


 ドアを開け、大股に部屋へ入ったヘイデンが目にしたのは、ベッドの上に体を起こしてこちらに背を向ける女性だった。朝日を浴びて、眩しいほどに白く輝く背中に、プラチナのような髪が豊かに流れる。たった今目覚めたところだろうか、肩から滑り落ちた絹の夜着は腰のあたりまで白い背中をあらわにしていた。


「こ、これはご無礼を!」


 ヘイデンは慌てて目を閉じ、背を向ける。ドアまで走りたいところだが、目を開けて良いものか迷って、そのまま一歩を踏み出したので、昨夜の密談の時に乱雑に置かれたままのスツールをひっくり返して、自身も派手に転んだ。


「も、申し訳ございません、ご婦人がおいでとは思わず……とんだご無礼を」


 床につんのめった格好で、ヘイデンは必死に詫びる。


「どこにが?」


 呆れたようなデクシアの声がヘイデンの頭上から聞こえる。


「……っは、あ、あの?」


「目を開けろ、ブライトン卿」


 恐る恐る目を開けたヘイデンの前には、シャツを着て身支度を整えるデクシアがいた。冷や汗をかきながら部屋を見回したが、女性は影も形もなかった。


「寝ぼけているのか」


「いえ、あの、申し訳ありません……」


「メイドたちに湯を持ってくるよう伝えてくれ。それと朝食もここでとる。その時に卿も一緒に来てくれ。話はその時に」


「はっはい! 失礼します」


 ギクシャクと礼をして逃げ出すように部屋を後にしたヘイデンを見送り、部屋の扉を閉めると、デクシアは大きくため息をついて床に座り込んだ。まだ身支度していなかったところへ、急にヘイデンが入ってきて、心臓が止まるほど驚いた。


 ……彼には私が「ご婦人」に見えたのだろうか……。うるさく響く心臓をおさえて、デクシアはしばらく立ち上がることができなかった。




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