第5話 計画

「父上、どうか公国にこの婚姻を了承するとお伝え下さい」


 デクシアの一言に全員が顔を上げる。間髪入れずに家臣からは反対の声が飛ぶ。


「なんということを! 殿下、お体の弱い王女殿下を公国に差し出すとおっしゃるのですか」


「婚姻などとは名ばかり、事実上の人質ですぞ! 妹君がそのような仕打ちに耐えられるとお考えか!」


 ヘイデンも驚いて、王子の真意を計りかねた。もう何年も自室から出ることもままならないアリステラ王女を、今や敵国に等しいカステルへ嫁がせるのは人身御供も同然だ。家臣たちの中に誰一人デクシアに賛同するものはない。だがデクシアは顔色も変えずに更に続ける。


「病身の王女と、信望厚い一国の王太子です。どちらが国益に適うかは火を見るより明らかだ! 王族に生まれた以上は国のために尽くし、それができぬなら死ぬまで」


「王子、あなたはそれでも……!」


 それでも王女の兄か、さすが氷の王子、肉親に対する愛情すら持ち合わせていないのか……誰もが心の中でそう呟きながら、それを腹のうちに飲み込んだ。正論ではある。だが、だからといって両手を挙げて賛成できる者などあろうか。


 ヘイデンはかつての幼い王女の姿を思い出す。、同じく兄を失った自分にその手を差し伸べた王女。思えばあの後すぐに病を得てほとんど姿を見ることもなくなってしまったが、あの日の、透き通る真っ直ぐな眼差しを忘れたことはない。その王女が、残りの人生を敵国で囚人同然に生きるのかと思うとヘイデンの胸は痛んだ。


 そんなことを考えていると、デクシア王子の視線とぶつかった。まだ十七になったばかりの王子の視線は、ヘイデンでさえうっかりすれば射落とされてしまうほどの鋭さがある。そして、その物言わぬ視線で、心の内に燃え上がる炎を秘めていることをヘイデンに確信させた。


「……お前は本当にそれを望むのか?」


 国王が、悲しげにそう呟く。


「はい、父上。それ以外にこの事態を打開する術はないでしょう。公国に結婚を承諾するとお伝え下さい。そしてなるべく早く話を進めていただき、準備が整い次第、すぐに私とアリステラが公国に向かうことをお許しください」


「……お前の思うようにするがよい」


 その場の全員の予想に反して、驚くべきことに国王は第二王子の意見を支持した。ヘイデンにとっても意外な結論だった。国王夫妻はアリステラ王女を溺愛しており、文字通り目に入れても痛くないほどに可愛がっているのは国民の誰もが知るところである。国の忠臣にさえ、アリステラ王女を嫁がせることを頑なに反対してきたのがその証拠と言えよう。


 驚きに包まれたまま、会議はひとまず終了し、三々五々、皆がそれぞれの職務へと戻っていく。ヘイデンも最後に部屋を出て宿舎に戻ろうとしたとき、後ろから彼を呼び止める者があった。


「ブライトン卿」


 聞き覚えのある声がヘイデンを呼び止めた。もう皆が部屋を去り、ヘイデンとアッシャーの二人が最後に部屋を出たところだった。二人が振り返ると、そこにはデクシア王子が立っていた。ヘイデンとアッシャーは軽く会釈をする。


 先日のカールトンの件だろうか、王子にも報告したはずだが何か不満があるのだろうか、そんなことを考えているとデクシアがアッシャーを下がらせた。


「話がある。ついて来てくれ」


 淡々とそう言って、王子はスタスタと歩き出した。ヘイデンは心当たりもなく不思議に思いながらも王子の少し後に続く。


 王子の私室は広い王宮の中でも最奥にあたる。ヘイデンも外宮より奥は図面でしか知らない。無言で歩く王子の後を、黙々と歩いてようやく王子の私室につながる応接間の扉の前にたどり着いた。


 ところがデクシアはその扉には目もくれず更に奥へと進んでいく。この先は確かプライベートな舞踏の間ボールルームではなかったか……


 突き当りにあるひときわ大きな扉を開くと、そこは大きな窓のある広いホールだった。ピカピカに磨かれた床に、壁は一面鏡張りで、高い天井には豪華なシャンデリアが下がっている。やはりボールルームのようだが、一体ここに何があるというのか。


 まさか踊ってみせろと言われるんじゃないかとヘイデンが不安に思っていると、突然デクシアが使い古された木剣を投げて寄越した。


「相手を頼みたい」


 そう言いながらデクシアは自らも木剣を手に取る。咄嗟に剣を受け取ったものの、ヘイデンは戸惑った。そんなヘイデンをよそに、デクシアは腕を捲り軽く肩を回すと、ヘイデンに切先を向けて剣を構える。


 どうやら冗談ではない様子のデクシアに、ヘイデンは腰の剣を外して置き、デクシアの前に立って低めに構えた。


 デクシアと向き合いながら、剣の間合いや足元をちらりと確認すると、鏡のように磨き上げられた床にはよく見るとあちこちに傷があった。ダンスのレッスンでいくら激しく踊ったところでこんな風に床板がえぐれるような傷がつくものだろうか。


 考えながらヘイデンは昔三人でダンスを習ったときのことを思い出していた。兄のパーシヴァルと、コーデリアと、自分。何度練習してもぎこちなくて上手くリードできず、コーデリアを振り回してしまった。それに引き換え兄とコーデリアは息もぴったりで、ダンスの先生も二人が踊るのを満足げに眺めていた。


 二人はまるで叙事詩の王と王妃のように眩しくて、子供心にも二人は必ず結ばれるのだと思っていた。そんな子供の頃の情景をぼんやりと思い浮かべていると、ふと叙事詩の王が最も信頼していた騎士に裏切られたことを思い出し、ヘイデンはハッと我に返った。


 と同時に、デクシア王子が体を屈めて鋭く踏み込んで来る。ヘイデンは慌てて木剣で一撃を受け止める。右手に感じるその感触は決して重くはない。だが受け流した剣を完全に退ける前に、更に一歩、懐に潜るように踏み込んでくる。


 恐ろしく速い。相手を打ち砕くような一撃ではないが、体勢を崩して反撃できなくなる。こちらが振りかぶる間合いを確保できない。なるほど、カールトンが手も足も出ず翻弄されたのは納得だ。小さな体と細い腕で敵と相対するために、王子はそのスピードを生かす術を体得したらしい。床の傷はダンスなどではなく、その厳しい鍛錬の過程で、何度も何度も弾かれた剣が床に落ちて付けた傷のようだ。


 まるで鷹に襲われているような攻撃を数回やり過ごし、ようやく自分の剣を握り直す間合いを確保する。人形のようだなどと一体誰が言ったのか。これほどしなやかに美しく舞う人形などこの世に存在しない。


「さすがだな、騎士団長。私の剣を受けながら考え事か」


 デクシア王子が楽しげに唇を持ち上げる。気のせいだろうか、氷のように冷たく淡い水色の瞳の奥がきらめいたように見える。ほんのりと上気した頬に赤みが差し、まるで貴婦人が騎士に微笑む絵画のようだ。


「いえ、王子の剣の腕に感服しているのです」


「世辞など無用。……やはり師匠の弟だけあるな。これだけ切り込んでも崩せない」


「兄が、あなたに剣を?」


「そうだ。だから卿を選んだ。私の判断は正しかったようだ」


 言いながら、王子は木剣を武器置き場に戻した。ヘイデンも剣を下ろし、王子の隣に並べて置いた。選んだ、とは一体何のことだろうか。そんなヘイデンの心を見透かしたように、王子が続ける。


「話がまとまれば、私はアリステラと共にカステル公国に向かう。ついてはブライトン卿に同行を願いたい」


 外交訪問に、赤の騎士団が随行するなど前例がない。まさか国の主戦力を引き連れてカステル公国に乗り込めば、それはすなわち宣戦布告に等しい。とすればあくまでも騎士団長としてでなく、いち随行員として、ということになるのだろう。


「私は兄上が生きていると考える。卿はどう思う」


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