第3話 忘れ形見

 突然の王子の来訪から十日、カールトンの処分は騎士の身分の剥奪、及び向こう三年は再びの騎士叙任を禁じることと決まった。実質、騎士として身を立てることは不可能になるだろう。だがこれで済んだのは非常に幸運だったと言える。


 デクシアが反逆罪を主張すれば、カールトン本人はもちろん、親、子、兄弟までもが即時処刑ということもありうる。それを思えば、従騎士への虐待の罪のみを裁いた今回の処分はとても軽い。結局、査問の席にもデクシアは姿を見せず、ノア本人と軍医の証言をもとに決定された。


 大事にならなかったのは騎士団としては何よりだ。今後は二度と同様の騒ぎが起きぬよう、綱紀粛正に努めなければ。そう考えながらヘイデンは帰宅の途についた。


 代々軍の要を担うブライトン家の邸宅は王宮からほど近い。とはいえ平時でもほとんどを騎士団の宿舎で過ごすヘイデンは久しぶりの帰宅となる。


 車寄せで馬車から降りて屋敷に入ると、吹き抜けの広い玄関ホールには懐かしい顔が並ぶ。黒いドレスに身を包んだ美しい女性が歩み出て、「おかえりなさいませ」と微笑んだ。まだ年若いその女性は、首元から手の甲までも覆う黒いドレスでその若さと美しさを包み隠していた。


義姉上あねうえ、ただいま帰りました。長く家を空けて申し訳ありません」


 ヘイデンは軽く頭を下げ、女性に侘びた。ヘイデンよりも三歳若いその女性は、ヘイデンの兄であるパーシヴァルの妻、コーデリアである。


「義姉上だなんて、コーデリアと呼んでくださればいいのに」


 困ったように微笑むコーデリアの膝のあたりで、コーデリアの手をぎゅっと掴んだ子供が顔をのぞかせる。


「おじさま、おかえりなさい」


 兄のパーシヴァルと同じ、空のような青い瞳と森のように黒い髪の男の子は、兄のたった一人の息子、ユージーンだ。


「ユージーン、ただいま。大きくなったなあ」


 ユージーンを抱き上げ、ふとホールの壁面の鏡に目をやると、今日の査問会のために略礼装に身を包んだ自分の姿が写っていた。白い軍服に肩章、サッシュベルトに剣を佩いた男が、子供を抱いている。


 そしてその傍らには美しいコーデリアが男と息子を見て微笑んでいる。ヘイデンは鏡から顔を背けるようにして目を逸らすと、ユージーンを肩に担ぎ上げた。


「さあユージーン、叔父さんは腹ペコなんだ。キッチンへ案内してくれないか」


 ユージーンを肩車しながら、ヘイデンはホールを大股に歩き、そのまま厨房へ行って夕食の味見をねだったり、湯浴みの支度をしているところへ行って二人で体を洗い合ったりした。


 風呂の湯が冷めきってしまうまで二人で水遊びをし、さっぱりとした体でダイニングルームへ行くと、もうすでに両親とコーデリアが席に着いていて、ヘイデンの好物ばかりが並んだ食卓とともに出迎えた。


「これは豪勢だな」


 そう言いながらヘイデンは母の隣の、一番手近な椅子を引いた。すると父が声を掛ける。


「お前の席はこちらに用意したよ」


 そう言って部屋の奥、長いダイニングテーブルの上座を示す。斜め向かいに座るコーデリアをちらりと見やると、彼女は微笑んでうなずいた。その隣ではユージーンがテーブルの上のご馳走に釘付けになっている。


 ヘイデンは小さく息を飲んだが、すぐに笑顔で首を振る。


「いやいや俺は、そんな所じゃせっかくのご馳走も緊張して喉を通らないよ。その席は、いつかユージーンが一人でも椅子から転げ落ちないようになったら座らせればいい。俺はここが気に入ってるんだ」


 両親とコーデリアは顔を見合わせて困惑したが、それを無視してヘイデンは手を叩く。


「さあさあ、もう腹が減ってしかたない。どんどん持ってきてくれ。四十七年のワインはまだあるのか? それを楽しみにしてたんだ」


 そう言って給仕のメイドたちに笑いかける。家族たちは、そうしてヘイデンに巻き込まれるようにして久しぶりの晩餐を楽しんだ。


 父はずいぶん年を取ったように見える。こんなに小さい人だっただろうか。母はいつももっと口うるさかったのではないか……ヘイデンは仕事が忙しいと言い訳を繰り返しては、心の何処かでこの家から逃げていることを自覚していた。


 夕食後、暖炉の前で葉巻に火を付けながら、父はヘイデンに言った。


「もう三年経つ。そろそろ、この家のことも考えなくてはな」


 甘い香りの紫煙がゆったりと漂う合間を、父の少し枯れて細った声が呟く。


「いつまでも悼んでばかりはいられない。我々は生者なのだから」


 父の言わんとすることはヘイデンも承知している。この家で上座に身を置き、息子を抱いて妻とともに家名を守るべき人物――パーシヴァルは三年前に姿を消した。この国の第一王子である王太子エフシアとともに。


 遺体も帰らず、葬儀すら行われないまま、ヘイデンは赤の騎士団を背負うことになった。兄の騎士団、兄の家、兄の息子、――そして兄の妻。兄が失ったものを自分は盗もうとしているのではないか、そんな暗い罪悪感が胸をよぎる。


「お前が継がなければこの家はどうなる」


「ユージーンがいるでしょう」


「三歳になったばかりの子供に務まるわけもなかろう。内々のことはいい。使用人もみな勤勉で忠義者ばかりだ。だが、社交の場を何年も空白にするわけにはいかないのだ。お前が妻を迎え、跡継ぎを持つのが重要なのだ。分かってくれヘイデン」


 ゆらりと揺蕩たゆたい、絡みつく煙がまるでヘイデンの心の隙を狙う蛇のように首をもたげた。ヘイデンは大きく息を吐き出し、低く、だがはっきりとした意志をもって答える。


「父さん、私はまだ結婚など考えていませんし、第一この家の後継ぎはユージーンだ。まだ幼いなら私が支えます。兄さんの息子は立派な当主になるでしょう。私の役目はそれを見守ることです」


 それを聞いて父はため息をついた。息子がこう答えることは心の何処かで分かっていたような気さえしてくる。


 ドアの外でガラスの酒器がカチリと高い悲鳴を上げた。二人がそちらを見ると、リンゴ酒のグラスを盆に載せたコーデリアと、彼女を支えるように付き添う母とが部屋に入ってきた。


 ヘイデンと父との会話が耳に入ったのだろうか。彼女たちの息子であり、夫であるパーシヴァル。家族の誰もが彼の存在を忘れることができないのは同じだった。

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