第十九話「第一王子と目覚める激情」



 小さい頃の話だ。

 ずっと城に篭り切りだった彼に、興味を抱いたのか────とある、貧民の少女が庭から侵入してきた。

 その貧民には戸籍もなく、明日を生きる術も見出せていない。

 しかし、その少女は不思議と楽しそうだった。


 自分は恵まれた環境に育っている。

 彼女と違って、食べるものにも住むところにも困らない。


 だというのに、彼は満たされない日々を過ごしていた。

 父の言う事は難しくて、よく分からない。

 曰く、第一王子としての責任を持てだとか、お前は貧民とは比べ物にならないほど特別なのだとか────そういう話。

 でも、そんな事よりも────彼にとっては、庭からやってくる貧民の客との会話が楽しかった。


 その貧民の少女は、色んな事を教えてくれた。

 親の居ない子供達や、親から逃げてきた子供達で、身を寄せ合って暮らしている話。

 そこでは色んな人が居て、毎日協力しあって楽しく生きている話。


 その話に出てくる子供達は、苦しい立場に居るけれど────しかし、とても輝いている様に思えた。

 その輪に混ざる事は、多分出来ないだろう。

 それを父が許してくれない事ぐらいは、幼き頃の彼でも理解できていた。


 だから彼は、貧民の子供に食糧を────秘密裏に分け与える事にした。

 彼女に求められたからやったのではない。

 自分が貧民の子に、施したいと思ったからそれを行ったのだ。


 話の対価に、食料を分け与える日々。

 それが続いてしばらく経った後────その貧民はある日、突然訪れなくなった。


 カリス王子が不思議に思っていると、彼は父に呼び出される。

 そして、呼び出された先では────


(……やめろ、思い出したくなどない!)


 彼は嫌な予感を抱きながら、ゆっくりと廊下を歩む。

 赤いカーペットを踏み締めながら、ゆっくりと────その回廊を進む。


(やめろ────俺は第一王子として完璧に生き続けてきた。だから、忘れさせてくれ!)


 ────それは、彼自身が忘れていた悪夢の話。

 その重い扉を開き、目にした景色は────


(あぁ……ああああああああああ!!!!!)


 そして王の間では────貧民の処刑が行われていた。

 彼に自由をもたらそうとした少女は、生きる喜びを説いてきた少女の顔は────生気が抜け、青ざめている。

 一度少女は、逃げようと試みていたのだろうか。

 その両足は無惨にも切り落とされてしまっていた。

 

 それは、カリス王子が初めて見た人の終わり。

 ────少女の死を、彼は目撃する事となる。


(あぁ……ああ…………)


 思わず膝をつき、嗚咽する幼き王子に────父である王はこう言った。

 お前が完璧な王子である為に、必要な犠牲であった。

 今後、この様な事が起こり得ない為にも────常に完璧である様に心がけよ。


 ────それは、幼き彼にかけられたお呪い。

 変わり果てた父が起こした、最初の凶行。


 全てを思い出したカリス王子は、やはり自分は、この呪いからは逃れられないのだなと────その様に思う。

 植え付けられた呪いは、あまりにも根深い。

 常に求められるまま完璧にあり続け、自分の心を殺し続けた人生。

 けれども結局の所彼は、自分の心を殺しきれていなかった。


 ────誰もお前個人を必要としない。


 ────必要なのは、完璧な王子だ。


 ────ただ、完璧であり続けよ。


 ────そうでなければ、より最悪な目に遭う。


 ────自由に生きようとしてどうなった?己の役割から逸脱した結果どうなった?


 ────そう、自分は生まれてからずっと完璧な行いだけをしてきた。


 ────あんな過ちは起こしてはならない。


 ────完璧な行いをしてきた自分なら、あんな失敗を犯さなかった。


 ────そう、自分はずっと完璧だった筈だ。


 ────だから、あんな出来事など……初めから、無かったんだ。


 再び彼は、自分自身に暗示をかけようと試みる。

 けれど、もう既に手遅れだ。


 だって彼は、目撃してしまった。


 かつて自分がそうだったかもしれない可能性。

 貧民と手を取り合い、共に生きる輝かしい彼女の姿を。


 ────それは、自分が在りたかった姿だ。


 ────けれども、やはりその姿に自分は届かないのだろう。


 ────だって自分は、こんなにも呪われているのだから。


 ────けれども、やっぱり────羨ましかった。


 ただひたすらに、完璧であり続けてきて────抑え続けていたナニカ。

 盲目的に塗り潰された理想の壁が剥がれ、そして中に潜んでいたそれが────溢れた。


 それは────激情だ。

 どこに向ければ良いのか分からない憤り。

 今はただ、この溢れる感情をぶつけたい。

 

 心の内で煮えたぎるナニカ。

 激情だ────そう、その激情を────目の前の敵に叩きつけろ!!!!!



 ────────────



 ────始めに違和感に気づいたのは、誰だっただろうか?

 確かに膝をついたカリス王子の体に────亀裂の様なものが走った。


 これは一体、どういう状態なのだろうか?

 皆が不思議に思う、その瞬間────それが、溢れた。


「なっ────」


 その光景に、誰もが言葉を失った。

 彼を中心に広がったのは、ドス黒い溶岩の渦。

 先ほどまで何も無かった殺風景な戦いの場が────一気に、溶岩の海に飲まれた。


 それは、魔術がどうとかそういう次元の話ではなかった。

 一言で形容するのであれば────それは、厄災だ。

 人の域を超えた、異常なる力。

 そしてその溶岩の渦の中央に、一人の男が存在している。


 ────それは、カリス王子だったモノ。


 変わり果てた彼を見て、一体何人が即座にカリス王子だったと気づけただろうか。


 その髪はやはり、ドス黒い赤色に染まり、その肌には亀裂の様なものが走っている。

 その体からは常に魔力が溢れ出ており、近づくだけでも危険な状態だ────周りにとっても、そして彼自身にとっても。


 彼自身、己から溢れる異常な力をコントロール出来ずに居る。

 それは魔力だけでなく、己が生命力をも薪にして燃え盛っている危険な状態だ。

 故に、早々に止めねば王子の存在は消え去り、残された力だけが猛威を振るうだろう。

 

 己の限界を超越した力────崩された理想のメカクシ、器から溢れた感情の果て。

 

 その力の根源────それは、遠い過去■■■■■が、憎き王国へと刻みつけた呪いの残り香。

 絶望を糧にして燃え上がる、憎悪の炎。

 呪いを拡散し、そして宿主を食い潰す悪の種。

 遠い昔に根絶されたそれの────現存する唯一の生き残り。

 それが今、ここに芽生えた。


 後にこの姿へと変貌したカリス王子の事は、人々にこの様な名前で言い伝えられる様になる。

 王国が産んだ怪物────魔人ヴァリーゼラと。


 観客が抱いた感情は、興奮ではなく恐怖だった。

 あれは人の手に余るモノではない。

 ただひたすらに恐ろしく、邪悪なナニカだ。


「お、王よ。その……大会は、中断して我々で王子を止める必要があるのでは?」

 

 故に、王の側に控えていた兵士がその様に進言する。

 誰がどう見ても、あれは危険な存在だ。

 故に被害が出ないうちに、誰かが止める必要がある。

 それは、至極真っ当な意見だった。

 だがしかし、王は────


「は、ははははははは!止めるだと?バカ言え!あんなにも……あんなにも、彼は美しいではないかッ!」


 王は────笑った。

 今にも亀裂が広がり、崩れ落ちそうな────自分の感情と力に翻弄され、苦しみ悶える王子の姿を見て、彼は歓喜に打ち震える。

 

「素晴らしい────あれこそ我が王族に相応しき力だ!これこそが我の教育の賜物、ヴァリーゼラに相応しき力だ!ははは、ははははは────やはり、我の教育は正しかったのだ!!!!!故に、お前達も見届けよ!我が息子の、その輝かしい姿をな!!!!!」


「っ……分かり、ました」


 狂った様に笑い続ける愚王。

 誰もがその指示が、間違いであると気づいている。

 けれども、誰もその指示には逆らえない。


 王が植え付けた、恐怖という種は非常に根深く埋まっている。

 それは無論、兵士たちも例外では無かった。

 誰も、カリス王子を救い出せずに居る。


 誰も、王に逆らう事ができず────動き出せずに居る。

 この状況を止められるのは────対戦相手である、ヒカリとリリィの二人組しか居なかった。


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