第九話「第一王子とその受難(3/3)」



 カランッ、という軽快な音が王宮の床から響く。

 結局、王は────剣を振り下ろす事は無かった。

 剣は空虚な音と共に、床を転がり落ちた。


「よそう……お前の完璧な顔に、傷をつけてはならぬ。国の顔に、傷をつけてはならぬ……」


「…………」


「…………ふん、くだらん話だ……お前の様な愚か者は────生かす価値も、殺す価値もない。であるのならば、我が直接手を下すわけにもいくまい……おいお前、この剣を片付けろ」


「はっ、仰せのままに!」


 そう言って、剣の持ち主である兵士は拾いに向かった。

 そして────カリス王子の顔色を伺う。


「…………」


 やはり────相当参っているなと、兵士は思う。

 カリス王子は冷静を装っているものの、冷や汗が流れている事から動揺していた事が分かる。

 流石に、父親に殺されかけたのは初めての事だっただろうし……それに、今の王には気分次第では、本当に殺しかねない危うさがあった。

 その動揺は、当然のものだ。

 カリス王子はただでさえ父親が厳しいというのに、本人の責任感も強い。

 きっとこの後カリス王子は、自分が悪かったのであると己を罰し続けるのだろう。

 カリス王子が悪くなんてないと、この場に居る誰もが知っている事実なのに────誰も、口に出す事ができない。

 誰かが殺されそうになっているというのに、誰もがそれに意見する事が許されない。

 結局の所、人間は────自分の身だけが大事で、大事で大事で仕方がないのだった。


 異質としか思えない空間……気持ち悪いとすら、兵士は思っている。

 ただ、彼が王である────それだけの理由で、この異質さは成り立っていた。

 そして多分、王に反旗を翻せない自分も同罪なのだろう……故に、彼を憐れむ資格など自分にはない。

 そう思い、兵士は剣を回収して────そして、元の持ち場に戻った。


「お前は今から、我が死ぬまで急いで────我と同じく、完璧の極地へと至らねばならない!分かるな?」


「はい……存じて、おります」


 まだ先ほどの動揺は抜けきれていないものの、カリス王子はなんとかして声を絞り出す。

 幸いにも、動揺が声色に強く現れる事はなかった。

 それは今までこうして、王と何度も話し合ってきた経験故に成せる技だったのだろう。


「よろしい……であるのならば、次の学園決闘大会には一人で参加せよ!」


「一人で……ですか?」


 流石にそれは、どうなのだろうと周囲の兵士たちが考える。

 ただでさえ王子は、怪我を少しでもすれば王に怒られる立場にあるというのに────本来二対二で戦うべき場に、たった一人放り出される事になるのだ。

 いかに圧倒的な力を誇る王子であっても、上澄みの中の上澄みたる生徒二人を相手に、傷一つなく完勝というのは難しいのではないか、という話である。

 それ故にカリス王子もまた、何かの嘘であって欲しいと願い彼に問いかける。

 だが────。


 「────異論が、あるのか?」


 ────ジロリ、とカリス王子を睨む王。

 それだけで、カリス王子の異論を封殺するには十分すぎる程であった。


「……いえ、ありません」


 そう、不満などあってはならない。

 そんな感情、第一王子には不要なものなのだから────第一王子には、完璧に責任を果たす力だけが求められる。

 それ以外の感情は、全て邪魔なものなのだ。


「よろしい────お前は一人で学園決闘大会に挑み、数多の貴族、貧民に格の違いを見せつける必要がある!そうでなければ────今度こそ、その首は胴と泣き別れになる事だろうよ!分かったな!?」


「はい……分かり、ました」


「ふふふ、ははは……貴族やら貧民やらが目を剥く姿を想像すると、酒が進むなぁ!」


 そして王は、新たに渡されたワイングラス────その中に入ったワインを飲み干し、そしてカリス王子に向かってこう言った。


「なんだ……まだ居たのか。お前などもうどうでも良いわ、早く去れ」

 

「……分かりました。父上」


 そしてカリス王子は、王を背にして来た道を引き返す────命だけは、助かった。

 今はその、不幸中の幸いともいうべき事実を胸に────この安堵の気持ちに浸る他なかった。



 ────────────



「よぉ、第一王子のお兄さま────聞いたぜ?父上に殺されかけたんだってな」


「…………」


 上機嫌そうに、カリス王子にそう語りかけるのはヴァリーゼラ王国の第二王子───クリオロス•ヴァリーゼラであった。

 彼はカリス王子の肩を叩きながらこう言った。


「全く、大変そうじゃねぇの……父上に構ってもらえるやつは、ねぇ?羨ましいぜ……お前は父上に見てもらえるんだからな」


「………………」


「チッ、相変わらず何も喋らねぇのな。なに?正当なる王位継承権を持ってる王子様にとっては、俺なんか目に入らないってか?」


 この国の国王────彼らの父親の教育は、あまりにも極端なものだった。

 第一王子は自分の分身であるが故に、重すぎる期待を乗せて────そして、プレッシャーを重ね続ける。

 そして第二王子に対しては、そもそも期待すらしていない。

 所詮、愛人との戯れで作っただけの子供────王にとって、言葉を交わす価値すらない。


 故に、クリオロス王子はカリス王子に嫉妬していた。

 お前だけは、期待されているから────父親に、認識してもらえている。

 そして一方、俺は父親に認識すらさせてもらえない。

 殴られる事も、蹴られる事も、暴言を吐かれる事もない。

 もし仮に、それが少しでもこっちに向いていたら────それを親からの愛であると、錯覚できるのに。

 そんな思いもあってか、クリオロス王子はこの様に振る舞っているのだった。


「なんで喋らねぇんだよ……お前まで、俺を無視するのか…………なぁ、返事をしろよ……」


「…………無視しているわけではない。単純に、返事をする余裕がなかっただけだ」


 カリス王子はやっと、口を開く。

 正直今のカリス王子は、立っているのもやっとの気分ではあったが────懇願する様にそう言った弟が、あまりにも見ていられなかったためである。


「……!そ、そうかよ……なら良いんだ、なら、良い……お前だけは、俺を認識してくれる……お前だけは…………」


「…………」


 そしてクリオロス王子は、目も当てられない程に虚な表情で何処かへと消え去っていった。

 おそらく────王は、他の者にもクリオロス王子を無視する様に命じているのだろう。

 あの王がやりそうな事だと、カリス王子は感じていた。


 クリオロス王子はきっと、兄の存在をこれから先も憎み続けるに違いない────けれども、カリス王子はそれでも問題ないと思っていた。

 その憎しみで、気が紛れるのであれば────構わない。

 この重圧と責任を、彼に押し付けるわけにもいかない。

 王子はその様に、考えていた。

 

(そう、これで良いのだ────俺一人が、完璧であれば済む話だ)


 そう自分に言い聞かせる姿が、先ほどのクリオロス王子の虚な表情と大差ない事にすら気づかないまま────カリス王子は、そう思うのだった。


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