第二話「悪役令嬢と入学式(2/2)」



 クルスフィリア学園────それは、『ラレンティーヌの花園』に於ける主人公たちの舞台。

 王族、貴族が集まる中、知識や実力がある者であれば貧民もその門をくぐる事ができる────されど、貴族と貧民の扱いの差はやはりある。

 主人公であるリリエルは、努力を重ね入学するのだが、早速悪い生徒に目をつけられる────というのが、この入学式でのイベントだ。


 されど、今のヒカリにとってそれはおおよそ関係のない事である。

 グロウリアが本格的に活動を開始するのは、物語中盤以降────主人公が攻略対象として選ぶキャラ次第では、あの後登場する事もなくゲームクリアまで進む事もある。

 つまり、何が言いたいかというと────


「自由だ────!」


 ヒカリは馬車を降りて、そしてそう呟く。

 馬車から見る景色も現実離れしていて素晴らしいものがあったけれど、やはり馬車を降りて、地に足をつけて見る景色もまた格別である。


 ヒカリは大きく深呼吸をして、そして馬車の運転手の方を向きこう言った。


「ここまで運んでくれてありがとう!それじゃあ、またいつかね!」


「────…………」


 その言葉があまりにも衝撃的だったため、運転手の男は沈黙する。

 彼は、幼少期からグロウリアに仕えていた執事である────両親に先立たれ、一人で頑張らなくてはならなかったグロウリアの、血の滲むような日々を知っている。


 彼は幼少期の、純真な笑顔を向けるグロウリアが好きだったが────いつしかグロウリアの表情から、笑顔というものが消え去っていた。

 けれどもそんなグロウリアが、今自分に向けて笑顔を見せている。

 たったそれだけの事が────彼の涙腺に刺激を与えた。


「…………うぅ、爺やは感激しております」


「────って、なんで泣いてるの!?ちょ、困るんだけど……えっと、こういう時どうすれば良いのかしら……」


 突然泣き出した執事に対して、ヒカリは慌ててどうしようかと思考を張り巡らせる。

 けれど彼女は、生前でも今世でも、初めて涙を流す人を見たのだ。

 どうすれば良いのかなど、分かりようが無かった。


「いえ、良いのです……私はグロウリア様が笑顔であれば、それで」


「な、なるほど……?」


「それではまたいつかお会いましょう────それまで、どうかこの学園生活をお楽しみくだされ!」


 そして執事は、上機嫌のまま馬車を走らせる。

 結局、何故グロウリアが笑顔を見せたのかは分からない。

 けれどもまぁ、なんとなく察しはついていた。

 恐らくは、あの婚約破棄がキッカケなのだろう────あれによって、常に完璧であろうとしていたグロウリアのキャリアに傷がついた。

 それがキッカケで……諦めがついたのかもしれない。

 いや、吹っ切れたと言うべきだろうか。

 いずれにせよ、今のグロウリアには以前には無い余裕がある────たったそれだけの事実でも、この執事にとってはかけがえのない幸せたり得たのだった。


「……結局、どうしたんだろう。爺や……」


 そして一方、ヒカリは首を傾げていた。

 というのも、彼女には何故爺やが涙を流していたのか察しがつかなかったのである。

 原作で出てきたキャラクターの心理ならある程度は察しがつく。

 しかし、グロウリアの執事というモブキャラクターは、スピンオフ小説でセリフが一行か二行あるかないかぐらいの出番しかない。

 故に、ヒカリにとってあの執事は、見知らぬモブ故に心情が読み取れなかったのだ。


「まぁ……爺やが良いっていうなら、良いのかな?うん」


 けれどまぁ、考えても仕方ない事を、ずっと考えていても仕方がない。

 ヒカリは取り敢えず先ほどの事を忘れ、前を向く。

 クルスフィリア学園────その強大かつ荘厳な空気が、この場を圧倒する。

 その美しい光景は、ヒカリの気持ちを盛り上げる事に最大限貢献していた。


「よし……爺やの言っていた通り、楽しんじゃおう!」


 そう言ってヒカリは、ゆっくりと歩みを進める。

 見渡せば見渡すほど広がる理想郷。

 噴水の音、人の話し声、その賑やかさ────ヒカリが生前、触れる事すらままならなかったものである。

 それをじっくりと、ゆっくりと堪能していると────その美しい空気に、ノイズが鳴り響いていた。


「はははなんでこの場に貧民が紛れ込んでるんだ?ここは君の様な小娘が来る場所じゃあないんだぞ?僕たちの様なエリートに蹂躙される苦しみを味わう前に、とっとと家に帰るべきさ」


「え?あぁいや、私はちゃんと入学する権利を持っていて……」


 前述した、入学式のイベント────貧民であるが故に、主人公であるリリエルが悪しき生徒の二人組に絡まれるシーンである。

 ヒカリにとって、これもまた何度も見た光景である。

 この後、この二人組との戦いでチュートリアルが始まり、そしてリリエルは間に割って入ったカリス王子と出会うのだ。

 それがキッカケで、彼女はカリス王子との縁ができる。

 そこから特定の手順を踏む事でカリス王子ルートとなり、攻略する事ができる……という筋書きだ。


 故にこの光景は、ヒカリにとってあまりにも見慣れた光景である。

 ゲームをプレイし直すたびに、必然と何度も見る事になる、そんな光景……。


(……って、うん?二人組だったと思うけど、何故か三人組になってる?)


 しかし、自分が思い描いていた光景とは少し違う点もあったが……。

 だがしかし、モブ程度一人増えても変わらない事だと認識し、ヒカリはそれを受け入れる事にした。


「…………」


 しかし、だというのにヒカリは────(一人増えている事は置いておいて)もうとっくに見慣れていた筈のその光景に、不快感を抱いていた。

 否、不快感という言い方は語弊があるかもしれない。

 しかし、正さねばと思った事には変わりない。

 この状況を収めねば────そういう、使命感にも似た感覚がヒカリを襲う。

 そもそもリリエル•ラレンティーヌは主人公────つまりは、かつてのヒカリ自身の分身であると言える。

 そんな彼女が虐げられていて、黙って見過ごせるわけもなかった。

 それ故に、ヒカリは────


「ちょっと────あまりにも見苦しくってよ。貴方たちも、彼女を笑える立場なのかしら?どちらの方が上なのか……私と比べてみる?」


「ぐ、グロウリア•ダークウィル……」


 この学園の入学式では珍しくもない、貧民が不当に扱われる光景────だがしかし、その間にグロウリアが割って入った。

 その事実によって、多くの野次馬が周囲に集う。

 ただでさえグロウリアは、つい最近王子に婚約破棄を告げられていたばかりというだけあって、とんでもない話題性を秘めている────故に、そんな彼女が騒動の渦中へと迫れば、周りの目は必然と集まっていくのだ。


「あら、ギャラリーも私たちの様子が気になるみたいね……どうする?これ以上恥をかいてみる?」


「っ……弟たちよ、ここは撤退だ!グロウリア•ダークウィル……僕たちを愚弄したこの恨み、いつか必ず晴らすからな!」


 そう言って悪しき生徒達は、戦う事もなくこの場から逃げ去った。

 こうして、カリス王子が割って入るまでもなく────この騒動は終わりを迎える。

 野次馬たちも、これ以上は面白くならない事を悟り……そして何処かへと消えていった。


「あ、あの……その」


 リリエルはグロウリアに対して、礼を述べようとしていた。

 彼女は独学でこの学園に入る程の力を秘めていたが、彼女自身あの人数を相手にして勝てるとは思っていなかった。

 事実としてゲームのチュートリアル内でも、リリエルが自力で倒した相手は一人だけであり、残りの一人はカリス王子が黙らせていたのである。

 そして、今回に至っては何故だか更に一人多いのだ。

 故に、これは確かにリリエルにとって窮地だったのだ

 彼女は、この窮地を救ってくれた相手────グロウリア•ダークウィルへ感謝を述べようとする。

 だが────


「え?……あ、礼なら不要よ!それじゃあ、また!」


 ────そう言って、ヒカリイングロウリアは何処かへと消え去ってしまった。

 ……天之川ヒカリは、人とのコミュニケーションに慣れていなかった。

 何をどう話せば良いのかも分からないし、ゲームの筋書きを壊してしまった事による負い目を感じていた。

 この影響で、リリエルはカリス王子と接触するチャンスを失ってしまった────それに対して、罪悪感を抱いたのである。

 衝動的に飛び出しちゃったけど、実は私……彼女の運命を良くない方向に捻じ曲げちゃったんじゃないかしら?と────。


 故に彼女は、これ以上リリエルの運命を変えないためにも、早々にこの場から去るという選択を選んだのである。


「……どうしよう。グロウリアさんって名前だったよね……また会えるかな。さっきのお礼をしに行かなくちゃ」


 そしてそんな事情も知らないリリエルは、またいつか直接会って彼女に礼をしようと決意するのだった。


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