第56話 ロビンの秘密と宣戦布告
その日、朝からザックの調子が良かった。
下の娘のオーロラも15歳に達し、自分でどう生きるのか決め、家を出ていった。それから半年後、ザックが寝込むようになった。
ザックももう60歳を超えた。元気だったのに娘が家を出たら一気に老け込んでしまった。
魔物災害がなくなってこの世界の寿命が伸びるかと思っていたけれど、悲惨な死を遂げる人はいないものの、結局、平均寿命は六十歳くらいに留まっている。魔石の大きさがその人の寿命のようだ。大きな魔石を持っていても、母のように魔物に襲われれば命は消えてしまうけれど…。
ザックの魔石も特大サイズというわけではないようで、今、寿命が尽きようとしているのだろう。
「ザック、今日は調子が良さそうね」
私はザックをベッドの淵に腰掛けさせる。いつもは体重がずっしりと乗っているのだけど、今日はとても軽く感じた。
「あぁ、なんだかととも気分がいいんだ。今日は散歩もできそうだ」
ザックが一人で立ちあがろうとする。顔に皺は見えるけれど、白髪は見当たらない。この世界の人は老化で徐々に弱るというよりも花が枯れるように一気に萎れていくように感じた。
「アイザック、これに座るといいよ」
ロビンがヒョコリと顔を出す。キトのロビンが話をすることをもう何の疑問も持たなくなってしまったザックは「ありがとう」と言ってロビンが差し出した一人がけのソファに腰を下ろした。
散歩ができそうと言ったザックだったけれど、やはり立つのが精一杯で歩くまでは難しかったようだ。
ロビンが差し出した椅子は車椅子のように動いた。
「行きたいところにその椅子が運んでくれるよ」
ロビンの言葉にザックが目を見開いた。そして、ゆっくりと笑顔の形になる。もう一度はっきりとした声でロビンに感謝を伝える。
「ロビン、ありがとう」
私もロビンの近くにより、「ありがとう」と小さく呟く。
ザックの命が尽きかけているのだ。だから、ロビンは最後にこんなものを持ってきてくれたんだ。私は自分の目にうっすらと涙が浮かんでいるのを誰にも気づかれないように拭った。
「じゃあ、久しぶりにサロンに行かない?」
クラーク領にもサロンを作った。そこにはたくさんの花が植えられ、年がら年中咲いている。
ザックが頷いた。私はソファの横に立ち、ザックの手を握る。ソファは宙に浮き、ザックの思考を理解して動いているようだった。私たちの後ろをロビンが静かに歩いてくる。
最近雇い入れた侍従長にお茶の準備を頼む。
十年仕えてくれた侍従長が一年前になくなった。新しく迎え入れた侍従長はナリス男爵家の三男だ。とてもステッドに似ている。
サロンには色とりどりのギプソフィラが咲いていた。
ふわりと花の香りが鼻をくすぐる。
太陽は高い位置で輝いているけれど、サロンの中は暑くもなく寒くもなかった。
「きれいだな」
ザックが呟く。私は頷く。
「フィラ、ありがとう。私は幸せだった。アントニー王のこともありがとう。君のおかげで、アントニー王も安らかに眠りにつくことができたと思うんだ。ギプソフィラはこの世界にとってなくてはならない人だ。そんな君を私は二十年独り占めにしてきた。本当にありがとう」
私の目にはジワリと涙が浮かぶ。
ー泣いたりしない。
「私こそ、ありがとう。あなたが生まれて初めて人と愛し合うことを教えてくれた。人の温もりや熱さを教えてくれた。あなたのためではなくて、私自身のために必要だった二十年よ」
私は笑顔を向ける。ザックの隣にしゃがみ、その手を取る。
「ありがとう」
ザックに感謝の言葉を伝えるとザックが私に笑顔を返してくれた。そして、そのまま目を瞑るザック。瞼が閉じると同時にザックの体の力が抜けたのが分かった。
ーあぁ、ザックが旅だった。
私の頬に熱い涙が流れる。最高の人生を送らせてくれた私の大切な人は今息を引き取ったのだ。老衰だと、どうやら肉体が崩れていくらしく、ザックだった肉体は手の先から砂のようにサラサラと崩れていく。私の手の中にはザックの粉が握られている。
ボトン。
ソファの上にザックの魔石が落ちた。跳ねることもなく、そこにザックがいた証のように黒い小さな石がキラキラと輝いている。
ーザックの生きた証。
私はそっと手にとる。ずっと愛用している自分の収納バックから古い皮の袋を取り出した。大きな緑色の魔石と赤い魔石は2つ入っている。その中に、私はザックの魔石を入れた。
ザックとゲオと母の笑顔が小さな皮袋の中に広がっているようだった。
それから、私はクラーク家を継ぐ予定の長女のレイラを呼び戻し、家を出たオーロラにも連絡を入れる。
ーこれで、私の人間としての生は終わり。
一線を
テオもリックも魔物退治のために勇者の教育を今でも行なっている。リリーは今でも私のメイドだ。ただ、今はザックと二人で居たいと
ザックが息を引き取って一ヶ月。
私はロビンを呼び出していた。
「もういいよ。約束通り、魔王になる」
ロビンが頷いた。
初めて会ったあの日から今まで、彼が人間の姿になったことはなかった。ロビンは薄い壁もなく、キト型から人型に変化した。
大きな力に圧倒されるかと思ったけれど、私にはロビンが人型になったにも関わらず、圧迫感も緊迫感もない。
「ギブソフィラ、私と対峙してもなにも感じないかな?」
私は頷く。初めて見た時はその美しさにも圧倒されたものだけど、今は美しい顔だと思う程度だ。
「ふふふ、ギブソフィラ、本当に君は素晴らしい」
ロビンが笑った。その顔が薄くなっていく。
ーえ?
「ロビン、薄くなっていってるよ!!」
私が慌てた声を出すと、「うん」と小さく頷いた。
「ごめんね、ギブソフィラ、次の魔王が現れると今の魔王である私は消えるんだ。でも、記憶は君の中に残るから、これから何をすればいいか、どうしていけばいいのかは迷わないよ」
ロビンが笑った。幽霊みたいに後ろが透けている。
「それからね、私の記憶を見てきっと驚くと思うんだ。だから、最後に私の口から伝えておくね」
そう言って消え掛かっているロビンは一呼吸入れて言葉を紡いだ。
「かすみ姉さん、俺はずっとあなたに幸せになってもらいたかった。最期の瞬間にあなたの幸せな日々を見させてもらえて本当に俺も幸せだった。ありがとう」
ロビンの体が薄くなる最期の瞬間、その影はかおるのものになった。もうその顔をはっきりと思い出すことはできないと思っていた前世で弟だったかおる。ロビンの最期の瞬間はかおるの姿だった。
私の頭はこの現実に追いついていない。でも、消えてしまったロビンの記憶が一気に私の頭の中に流れ込んでくる。前世の記憶と合わせて。
そして、同時に私の前世の記憶も子供のころの記憶も鮮明に思い出せた。
私は、その記憶の量と内容に押しつぶされそうになり、しゃがみ込む。そうして、きっと何日も経ったのだろう。やっと動けるようになった私はロビンの、いやかおるの記憶の中から魔王がしなければならないことを拾い上げていく。
ーとにかく、人里に行こう。
私はキトになった。私は真っ黒のキトだ。
私が王城に行くとリックが随分老けた姿で自室にいた。
私はキトの姿のままリックに話かける。
「リック、ねぇ、ギブソフィラよ。随分老け込んでるけど大丈夫?」
リックが私を見た。目を見開く。
「あれから何年たったと思ってるんだ。そうか、魔王になったのか」
リックが私の頭を撫でる。想像以上に気持ちのいい感触だった。
「何年経ってるの?」
私は数日のつもりだった。
「お前が姿を消してから、もう十年になる」
ーえ?
私は記憶を探る。どうやら、魔法になると時間がとても早く進むようだ。私がうずくまってあの記憶の渦を自分中に取り込むまで、十年。私はため息をついた。
「みんなは元気なの?」
「あぁ。テオも元気だし、兄上もお元気だ。それから、お前のところのリリーもまだ元気に仕事をしてるはずだぞ。それから、お前の二人の娘ももうどちらも結婚して子供がいる」
私は自分の娘たちの可愛らしい少女のような顔を思い浮かべる。
ーもう、お母さんの顔をしてるんだね。
「それで、お前はどうすんだ?」
私はリックを見上げた。年をとっても、私がキトの姿をしていてもリックは変わらない。
「私は、魔王としてやるべきことがあるから、世界を見て回って、またここに帰ってくるわ」
「もう十年も待たせるなよ。一年に一回は顔をだせ。俺たちもそろそろいつ命がなくなってもおかしくないからな」
私はうんと首を縦に振り、スッと姿を消した。どうやってこの魔法を使うのかなんて理屈じゃなく体と頭にしっかりと刻まれている。私は消えて、人間と神の狭間の世界に留まる。神とはこの空間でしかコンタクトが取れない。
この世界では、魂の存在になるから、私は人間の姿に戻っていた。いや、生きていた三十五歳の私の姿ではない。二十歳くらいの時の姿になっている。
私は大きな声で叫んだ。
「神のクソッタレー!!あんたたちの思い通りに動いたかもしれないけど、あんたたちに動かされてるわけじゃないからね!!私はこの世界が好きなんだよ!!この世界を無くしたりしない。でも、私はあんたたちのおもちゃじゃないんだよ!!」
私の声が何もない世界に広がり吸い込まれていった。
複数の笑い声が聞こえてくる。
「人間も私もあんたたちに操られたりしないんだから。私達は自分たちの意思で生き抜いていくんだ!!」
私は拳を握り込む。
遥か彼方から微かな声が聞こえてきた。
「やってみよ」
それは別段怒っている風でも、期待している風でもなくとてもフラットな声。私は頷き、また人間の世界へと戻る。
遥か上空から私はその地を見つめる。
これから、神による支配から離れ、人間による人間の世界が始まるのだ。
太陽が私の位置よりも遥か上空に輝いている。
大地から、人々の声が聞こえてくるようだ。
フローラルの声が頭に響いた。
「愛しているわ、ギブソフィラ。あなたが思うように頑張りなさい。私はいつでもあなたの味方だから」
私は微かにその声に頷く。大地を見、私は人間たちのいる大地を目指して下降した。
勇者ですが、魔王から次の魔王にと請われています。 うらの陽子 @yoko-ok
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