第33話 熱の正体

 どれも美味しい食事だった。私の給仕はリリーが務め、ザックの給仕は私の知らない新しい侍従だった。話題といえば、この三年の魔王討伐の旅の話、騎士団の遠征の話、ハリーの妃の妊娠だろうか。

 ハリーのお妃が妊娠したことは王都に帰ってきて次の日には聞いた。まだ、お腹が目立たないから社交界にも出席されているらしい。それを聞いて、私はとても複雑な気持ちになった。

 私はメインのお肉をナイフで切りながらため息をついた。

「どうした?肉が硬かったか?」

 私は首を振る。

「今回、ウィルス王国にハーミヤ領から帰ってきたの。その時、ハーミヤ邸に一泊させて貰ってね、そこで出産直後の婦人がドレスでお迎えしてくれたの。出産直後ってすごく体が疲れててしんどい時にだよ、コルセットをして!!私それが辛くて、普段着に着替えて欲しくてね。ちょっとそのことを口にしたの。そしたら、ハーミヤ卿がちょっと嫌な顔をしてて……まぁ、コルセットなしで人前に出ることを破廉恥としてるこの国で勇者とはいえ男性もいる前で下着を取って下さいって言ってるようなもので、旦那であるハーミヤ卿はいい顔しないのはわかるんだけど、本当にこの国は女性に優しくないし、出産に対する知識も少なすぎる。妃も妊娠してるのに社交会に出てるってことはコルセットを閉めてる訳でしょう。大丈夫なのかしら。本当にもっと女性を労って欲しいし、もっと尊重して欲しい」

 私はナイフで切り分けた肉をフォークで刺したまま、手も動かさず口を動かし続けた。ザックは私の口が止まるまで待ってくれている。

 私が切り分けた小さな肉の塊を口に入れるとザックが頷いた。

「そうだな。女性に対する扱いを変えていけたらいいな。それにしても久しぶりにフィラの弾丸のような話を聞いたよ。なんだか懐かしいな。随分とこうして話をする機会がなかったんだな」

 ザックは私の話の内容よりも、私が話すこと自体が嬉しかったようで、ニコニコとしながら食事を続けている。

 私はザックの目尻の下がったその顔を見ながら、ハーミヤ邸でハーミヤ夫人に言われた一言を思い出す。「ギプソフィラ様にはいい人がいるのですね」その時私はいないと言った。あれからまだ二週間ほどしか経っていないのに、ザックが「いい人」になってるのだ。

 私は顔に熱が集まってくるのが分かった。少し俯いて赤い顔を隠す。すぐにザックが気づいて手の届く位置まで移動してくる。これは厳密にはマナー違反なのだけど、私もザックもそんなことはおかまいなしだ。リリーも気にしていない。ただ、初めて見る給仕役の侍従が目を丸くしている。彼の目はルビーのように赤く、見開いた目はとても目立っていた。

 ザックが私の肩に手を乗せる。触れられた所が熱い。

ーこんなこと前にもあったな。

 フと記憶の底にあった微かな恋の記憶を呼び覚ます。

ーあぁ、転生前、初めて男の人が私の体に触れた時の感覚だ。

 ちょうど転生前、一度目の死の数日前にバイト先の先輩から「送って行くから一緒に帰ろう」と誘われ何度か一緒に帰った。その時に一度だけ彼が私に触れたことがある。もうよくその時の詳細は覚えていないのだけど、その時の体の熱だけは覚えていた。

ーあぁ、この熱が恋の始まりなんだ。

 自然にそう思えた。あの時は人生を終えてしまって恋にならなかった。今度はこの熱を逃したくない。

「ザック、私たちは恋人なの?」

 多分、ザックにもリリーにもそしてもう一人の赤い瞳の侍従にも唐突な質問だったのだろう。空気がざわついたのが分かった。

 私は伏せがちだった顔をあげてザックを仰ぎ見る。私は目を丸くした。ザックの顔が真っ赤だ。私の方を見ているのに、私の目からは視線を外している。

「ザック?」

 名前を呼んでも反応がない。体が固まっている。

 私はソッと自分の手を私の肩に置かれたザックの手の上に乗せる。

 ザックが一瞬で我にかえり、反射的に手を引っ込めた。

 ザックの顔は赤いままだ。

 私はザックの手に触れた自分の手を膝に置く。

 ザックがクルッと後ろに向き、両手で自分の髪の毛をかき混ぜながら吠えた。

「ああぁぁぁ!!すごく恥ずかしい。今まで普通にフィラに触れてきたけれど、恋人という単語は威力がありすぎる。いや、フィラが恋人でも良ければ私は嬉しいだけだ。いや、でも、私は四十でフィラは十五で、いいのか?生い先短い私と恋人になっていいのか?」

 ザックは私を背にして「いいのか?」を繰り返す。なんだかザックが可愛く見える。

「大事な人はいいけど、恋人だと年の差を気にするんだね」

 私は揶揄うようにいう。ザックは「当たり前だ!」と勢いよく振り返った。

 ザックと目があう。ザックが私の近くに椅子を引き寄せ膝がくっつくほどの距離で話を始めた。

「恋人がどういう存在か分かってるか?」

「うん、お互いを大事に大切に思う存在でしょ?」

「そうだ、でもそれなら家族と何が違うか分かるか?」

 私は少し口を開けては閉じてを少しだけ繰り返して、顔を赤くしながら「体の触れ合い」と小さな声で答えた。

 ザックは私の頭を撫でる。そして、顔を近づけて耳の近くで私にだけ聞こえるように囁いた。

「私と口付けができるか?」

 私は耳に触れそうな距離にあるザックの唇が自分のそれと重なるのを想像した。体が熱くなるのを感じる。触れそうで触れていない絶妙な距離を保っているザックに少しだけ触れてみたいという欲が生まれる。

 私は自分の頭をザックに寄せて、その耳に唇が触れそうな距離で囁く。

「私、ザックと口付けしたい」

 ザックの全身から何かが放出されたように感じた。彼は椅子に深く座り、私との距離を取る。そして、テーブルの上を見て、まだ最後まで食事が終わっていないことに気づいたようだ。

 ザックは深いため息をいた。

「せっかくだし、デザートまで食べよう。お肉は火を入れなおそうか?」

「いいえ、このままで大丈夫です。それよりも早くデザートまで食べてさっきの話の続きがしたいです」

 ザックが目を一瞬見開いた。けれど、私の言葉に同意を示すように軽く頷く。

 私は私の中の自分の熱を認めたら、ブレーキを掛けていた気持ちが全部なくなってしまった。恋がどういうものなのか未だに分からないけれど、その一部があの熱なのだと気づいてしまった。一旦意識するともう止められなかった。

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