第32話 皆の視線
アイザック邸に着くと馬車は止まった。私はピンクのドレスに身を包み、髪を結い上げ、ザックから四年前にもらった髪飾りをつけている。私の斜め前の席にリリーパルファが座っている。
緊張で胸の鼓動が早くなる。ガチャリと外からドアが開いた。開けたのは侍従長のキックリ・ミヌ・ハーバー。ロマンスグレーのおじい様だ。年の頃は六十歳。私の知る中でも高齢な部類に入る。
「ようこそいらっしゃいました。
キックリは馬車のステップに右足をのせ、右手の掌を私に差し出す。私はその手に左手を軽くのせ、右手でドレスの端を持ち上げ地面に降りる。顔を上げるとそこには満面の笑みのザックが立っていた。
「ザック様、お気持ちは痛いほど分かりますが、もう少し落ち着かれませ」
私のエスコートを終えたキックリが、主人の勢いを削ぐように嗜める。多分、私ではない誰かだったら、きっとキックリもそんなこと言っていないと思う。侍従に注意を受ける貴族など、貴族社会では笑い者だ。私だったから、キックリも普段の調子で嗜めたのだろう。そう思うと、私はザックのやしきの人にとってもザックの家族みたいなものなのだ。
チクンと小さな棘が心に刺さったように思う。家族と恋人は違う。家族だと思っていた人間が恋人になったら不快なのではないだろうか?一瞬
「すまない。ついつい、フィラがうちに来るのが嬉しくてはしゃいでしまった。もういい歳なのに、すまないな」
ザックがキックリの言葉に反応して私に謝ってくれる。私はその謝罪に首を振る。
「いえ、大丈夫です」
いつもなら、「大丈夫よ、ザック」と明るくいうところなのに、何故か頬が熱くなって、まともにザックを見ることも出来なくなる。私は首を振りながら俯いた。
ー淑女たるもの、顔を俯けたらダメだ。
後ろで淑女教育をしてくれたリリーも見ているというのに、こんな状態で食事ができるだろうか。
案の定、リリーが後ろからそっと背中を突く。
私は意を決して顔を上げた。ザックの茶色の瞳とぶつかった。ザックの瞳はいつも以上に優しい。
「ギプソフィラお嬢様、私と食事をご一緒していただけますか?」
ザックが
私は赤い顔を隠しもせず、少し震えた声で返事を返す。
「もちろんです」
顔は赤いけれど、意識ははっきりしてくる。周りを見る余裕も生まれてくる。
ーえ?みんないる?
アイザックの王都のやしきには、それほど人を置いていない。最低限の人間だけだ。その少ないはずの侍従・メイド・料理係・庭師やしきの全ての人間がそこかしらでこちらを見ていた。
皆、私のことを知っている。それぞれと一対一で対峙したこともある。そう、何度も訪れてきた王都のアイザック邸、でもこんなこと初めてだった。
その皆の雰囲気が優しい。みんなほんのりと笑顔だ。
私が皆の視線に気づいたことに気づいたザックが申し訳なさそうにした。
「すまないな。フィラに大切な存在だと言われたことが嬉しくて、ついつい皆に話して回ったんだ。そしたら、今日は私とフィラ、二人が並んでいるところが見たいと皆に請われてね。こっそり見るならいいと許可したんだよ。皆、君を歓迎してるんだ。
でも、見られると恥ずかしかっただろう。すまない」
歓迎されていると言われ、ホッとする。私の緊張が緩んだのがザックにも伝わったようだ。ザックも肩の力を抜いたのが分かった。
「お二人とも、そろそろお食事になさいませんか?」
キックリがゆったりとした声で提案してくる。押し付けがましさがないその言い方がとても不思議だ。侍従という人間は主人を立てながらうまく誘導する方法に長けているのかもしれない。それとも、主人である人間が誰かに指図されることを想定していないから押し付けがましさを感じないのだろうか?
「フィラ、どうぞ」
ザックが左腕を少し曲げて体と腕の間に空間を作る。私はソッと自分の右腕を伸ばしてその間に手を差し込んだ。顔に熱が集まってくるのが分かった。まるで私の中にある血液の量が一気に増えたみたいに心臓もザックに触れている手も熱の集まってる顔も至るところで拍動が起こってる。
ー母さんはこんな時もしかしたら自分の血液を操って顔の赤みを消したり、自分を落ち着かせたりしてたのかな?
私はフローラルのいつも安定した笑顔を思い出す。
ーそれともハリーに会ったら母さんも真っ赤になったりするのかな。
私はフローラルとハリーを一緒に思い浮かべて、後悔する。その後を追いかけるように勝手にゲオが顔を出してきたから。私にとって、母の隣に立つ人はゲオという父親だ。決してハリーではない。
母と父たちのことを考えていたら、顔から熱も引いたし、至るところであった拍動も治っていた。
「どうぞ」
ザックが椅子を引く。私はザックの腕を離れ椅子の前に立つ。ゆっくりと座るとちょうど良い位置に椅子を移動してくれる。私もザックも慣れたものだった。もう三年この動作をしていないとはいえ、体は覚えている。
ザックも席につき二人だけの晩餐が始まった。
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