第30話 ザックの誓い

 私はエリアス副団長の笑顔に寒気がした。口の両端をグッと持ち上げて作った笑顔。その顔から目を逸らす。逸らした先には地面に置かれた小さな小瓶。中に赤い液体が揺れている。

 小瓶が揺れている訳でもないのに、中の液体だけが揺れている。奇妙な赤い血はきっと王のものなのだろう。その赤い液体がどくどくしく感じる。同じように小瓶を見つめていたのはリックとテオだ。私たち三人の視線に引き寄せられるようにザックとエリアス副団長も小瓶に目をやる。

「これが何か知ってそうだな」

 エリアス副団長が声を落として呟く。私たちは何も反応できなかった。軽々しく話ができる内容ではない。ザックが動く。小瓶をサッと拾い上げた。自分の目の高さに持っていき中を検分する。赤い少し粘度のある液体だということしかわからないと思う。ザックに目をやるとその小瓶を目にし、固まっている。そして、小瓶をクルリと回し目を見開いた。

「それ知ってるもの?」

「知ってるのか、それ?」

 私と副団長が同時に声を上げる。私は同じ疑問を持った副団長をチラッと見る。副団長の方からソッと心地良い風が送られてきた。

「いや、知らない。どこでもある小瓶だ」

ーいや、小瓶なんてどこにもはないから!

 私はザックの言葉に心の中でツッコミを入れる。この世界ではガラス製のものは高級品だ。どこにでもはない。貴族の邸宅でもガラス製の製品が置いてあることは少ない。窓が至るところにある王城は本当に高級な建物なんだと実感する。ザックの屋敷も普通に窓はあったし、ガラスのグラスがある。それはとても貴重なことだ。

 私は旅をするまでガラスが高級で貴重なものだと知らなかった。ザックの家に行く前はとても貧しい平民の暮らしでガラスなんてなくて、ザックの貴族の屋敷でガラスを見つけ、それは貴族なら当たり前だと思っていたから。でも、違っていた。ガラス製品を持つのは貴族の中でもステータスのあることで、ザックのようにステータスを気にする訳でもなく、「グラスの方が酒が飲みやすいし、うまい気がするから」という理由でガラス製のグラスを持っている貴族の方が珍しい。

 そんなガラスの小瓶。それがどこにでもあるってどうかしているのだ。

 テオとエリアス副団長が同時にため息をついた。

「本当にザックは時々大貴族のボンボンなんだと思い知らされるな」

「本当です。団長はガラスが希少なものだと知らないのですか?ねぇ、エリオット副団長」

 この二人は基本仲がいい。考え方が似ているのだと思う。

 リックはこの話題に入ってこれない。彼はガラスが普通に生活の中にある王城で暮らしていたから。ザックのように言われないように、自分の存在を消してるようなところがあった。

「まぁ、いい。まだか、あのキトは?」

 エリアス副団長がザックとガラスの話題から話を逸らす。ザックがあからさまにホッとしていて、妙に可愛く見えた。

「何、ニヤついてんだ」

 すかさずエリアス副団長の笑いを含んだ声がとんでくる。私の口もとが緩んだのを見逃さなかったようだ。

 ここにくる前、緊張した面持ちだった私たち五人の顔がこの瞬間、緩んだ。ともに戦場をかけてきた五人だからこそ、どんなに緊迫した状態であっても、緊張状態は長く続かないし、誰かが和むように配慮するところがある。

 

 私たち全員の肩の力が抜けたその時、足音も立てずにロビンが帰ってきた。口に今ザックが手に持っている小瓶よりも大きなフラスコ瓶のような形の瓶を咥えている。この瓶の中にも同じような赤い液体が揺れている。小瓶の10倍はありそうな量だ。

「これはなんだ」

 エリアス副団長がストレートな問いを投げつける。

「これは魔物災害のもとだよ。少し離れたところにこの瓶を割るための人間が潜んでる。私は人間のすることに干渉しないんだけど、今回は事情があってね」

 そう言って、フラスコ瓶を地面に置く。

 ザックがその横に小瓶を置いた。

「ちょっと待て、理解が追いつかん」

 エリアス副団長は鎧の兜を脱ぐ。彼の深い緑の髪が汗にぬれ、ベッタリと頭に張り付いていた。ザックを見るとジッとその二つの赤い液体を見ていた。彼は王に近いところにいる人間だ。何か知っているのだろうか?でも、ロビンは騎士団は知らないと言っていた。ロビンも万能ではないのかもしれない。

 ザックの様子がおかしい。

「ザック?」

 私がザックの横に立つ。下から彼を見上げる。ザックの顔が思いの外近いところにあった。ザックは一瞬苦しげな瞳を私に向けてから頭を振って、彼も兜をぬぐ。腰につけていた小さな収納バッグに兜を押し込む。兜はその中に消えていった。そしてザックは汗で張り付いた黒い髪をグルグルと掻き混ぜる。

「あーぁ、クソッ!」

ーやっぱり何か心当たりがあるんだ。

 ザックは王に近いところにいて何も疑問を持たないほど無能な人間じゃない。

「これはわたしが処分する。魔物災害はもうここでは起こらない。だから騎士団もギプソフィラたちも帰ったらいい。ただ、このことは内緒だよ。王にも言っちゃダメだし、王太子にも言っちゃダメだ。この場にいる人間だけの秘密だよ」

「秘密なのはいいのか?その赤い液体が魔物災害のもとで、その赤い液体がなければ魔物災害が起こらないのだろう。騎士団に探させて赤い液体を回収できればいいじゃないか?それを設置した人間とそれを割るための人間を捕えれば解決する話だ。そうすれば、魔物災害に多くの民が苦しむことがなくなる。そうだろ?」

 エリアス副団長がもっともな意見を言う。ザックが制した。

「エリオットこれは多分そんな単純なことじゃないんだ。とりあえずここでのことは秘密にする。それで今回は納得しといてくれ。この赤い液体に関しては私が考えるから」

ーいや、ザックは考えなくていいから。

 また、私は心の中でツッコミを入れる。ザックを前にすると心の中でも饒舌になるのに言葉にできないことが多い。

「アイザック、君も考えなくていいよ。アイザックはギプソフィラの一番の見方でいて上げて、そして、ギプソフィラを守ってあげてくれると嬉しいな」

 ロビンがザックにウインクする。ザックが真剣な顔になる。

「何を当たり前のことを。私はフィラの一番の見方で、彼女の騎士でもあるんだ。フィラに私の魔石を捧げている。今更他人にそれをお願いされるようなことはない」

「誰よりも何よりもギプソフィラが一番と考えていいのかな」

 ロビンが踏み込んで聞いてくる。それでなくても過保護なザックなのに、もっと過保護になってしまうよ。

「当たり前だ。私はずっと彼女が何よりも大切だ」

 私の顔がだんだんと熱くなる。

ーエリアス副団長もテオも呆れた顔をしてるんじゃないかな。

 私がソッと二人の様子を伺うと二人は優しい顔をしてこちらを見ていた。テオの後ろでリックが項垂れているのが見える。

ーリックはどうしたんだろう。

 私はリックが項垂れているのに気を取られ、ザックがひざまずいたことに気づかなかった。

 ザックに左手を取られる。ハッとして私は左手に目を向ける。ザックの黒いつむじが見えた。

「ギプソフィラ、改めて、私は君の騎士だ。君に私の心臓を捧げる。私を君の騎士として認めてくれるか?」

 私は昔からザックにそう言われてきた。私はザックから目を離し、周りを見渡す。テオとリックとエリアスが見ていた。

 私は自分の今の本当の気持ちを伝えるために口を開く。

「ザック、私は守られるだけは嫌です。私もザックを守りたい。ザックのいるこの世界を守りたい。だから、騎士としてザックが私に心臓を捧げてくれるなら、私もザックに心臓を捧げます」

 私は守られるだけの存在なんて嫌なのだ。

 可愛い笑い声が聞こえた。ロビンだ。

「本当にギプソフィラ、君は素晴らしいね」

 ロビンのその笑い声につられるようにテオとエリアス副団長も笑いだす。項垂れていたリックも笑い出した。

「ザック、ギプソフィラは勇者だ。ただの女の子じゃない。守られるだけは嫌なんだと。いい女だな」

「さすがフィラだね」

「フィラは最高だ」

 ザックは左手で頭をかいて、立ち上がり、右手で持っていた私の左手に口付けた。私はそのザックの右手を引き寄せて私からも口付けする。

 みんなが目を見開いた。私はそう言うことをしたことがないし、そんな話を私から聞いたこともないからだろう。一番驚いていたのはザックだ。

「恋とか愛とかはよくわかりません。でもザックのことがとても大切で、ただ守られるだけなんて嫌で、私もザックを守りたい、そう思うんです。だから、ザックの騎士は私がします。だからこの口付けはザックの騎士になるっていう口付けです」

 エリアス副団長が吹き出した。

ー私の一世一代の告白に吹き出すなんて!

 そんなこと思ってたら、近づいて私の頭をぐりぐりとかき混ぜた。私のポニーテールがグチャグチャに崩れる。

「勇者ギプソフィラはすごい女性だよ。もう女の子じゃないな。立派な大人の女性だ。ザック良かったな」

 私はザックの腕の中に匿われる。ザックは鎧をつけてる。私はその冷たい鎧に少しホッとする。もし暖かいザックの腕の中に匿われたらと思うと頬が火照る。

「最高だよ、ギプソフィラ、本当に君は素晴らしい」

 ロビンが素晴らしいを繰り返した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る