第18話 ハーミヤ夫妻
小高い丘の上にハーミヤ邸はあった。丘の下に広がる町はどこかゆっくりとしていて、ハーミヤ領の賑やかな雰囲気とは違っていた。
馬車に揺られ、小さな門を抜ける。馬車はガタガタと揺れながら邸の玄関を目指す。高い木もなく、馬車の窓からは下の町が見え、少し上を見上げれば、煉瓦作りのやしきが見える。
「ここはのどかですね」
テオの声が聞こえた。テオは私の前に座っている。横にはハーミヤ卿が座りテオの声に答えていた。
「えぇ。この町は商売をする場というよりも暮らしの場でして……。前回お越しいただいた時もお話しさせていただきましたが、我が領土では住む場所と商売をする場所となるべく分けるように通達しています。そうでなければ気持ちが休まりませんから」
柔らかい笑顔を私や私の隣に座るリックにも向ける。ハーミヤ卿は商売の鬼というわけではないらしい。税もそれほど多くないようだ。ハーミヤ領は暮らし安いと聞いていた。ただ、移住してくるのは難しいとも。
私の視線に気づいたハーミヤ卿が私に向けて首を傾げた。小さな子や可愛らしい子がすれば可愛い動作ではあるが、ハーミヤ卿の場合は可愛くない。私は少し、目を逸らし言葉を発する。
「ハーミヤ領は住みやすいと聞いてます。だけど、同時に移住しにくいとも。それはなんでですか?」
私の疑問にハーミヤ卿があーと声を出す。私はまたハーミヤ卿に目を戻し、答えを待った。
ガタン。
馬車が大きく揺れる。
「すみません。大きく揺れましたね。明日の帰りは揺れないように道を綺麗にさせておきますね。
それで、移住者の受け入れが悪いという指摘ですね」
私はえっ?と思った。悪いなど一言も言っていない。
「いえ、悪いとは言ってないですよ」
正しておかないとなんとなくダメな気がして、訂正を入れる。なんとなく、この男を敵に回すのは得策ではないように感じた。
「あぁ、そうですね。移住しにくいと噂をお聞きになっただけでした。責められてると思ったわけではないですが、少し気にしていたことでしたので、少しばかり物言いがきつくなってしましましたね」
だんだんとスピードが落ちていき、ハーミヤ卿が最後の一文字を口にした瞬間に馬車が止まった。
「着きましたので、この話は冒険譚をお聞きするときにでもお話しさせて頂きますね。まずはゆっくりと旅の疲れを癒してくださいませ」
ハーミヤ卿がそう言って、短い指を擦り合わせ、パチンと音を鳴らすと外にいた御者がドアを開けた。馬車を降りるとズラリと居並ぶやしきの人々。一番前にいたのはハーミヤ卿の妻であるハンナ・シェリー・ハーミヤ。彼女は黄色のドレスに身を包み、優雅にカーテーシーをする。フワッとピンク色の淡い髪が揺れる。
「勇者様がた、無事の帰還何よりでございます。本日は当やしきでごゆるりとくつろぎ下さいませ」
私たちに挨拶をする。夫人の後ろにそれぞれの乳母に手を引かれた小さな少女と少年が佇んでいた。もう一人、赤ん坊の姿も見える。
「ありがとう。汚い身なりで申し訳ないが休ませてもらいます」
リックが代表して挨拶をした。こういう公の場では王子であるリックが声をかけるのが一番いい。汚い身なりではあるけれど、ここに来る前、一応、魔法で体も服も清潔にしてきた。やしきを汚す心配はない。
私は目に映った子供たちが気になって仕方なかった。
私は一歩踏み出し、婦人と子供達の前に進む。
「お世話になります。3人目が生まれたんですね。男の子ですか?女の子ですか?どちらにしてもとても可愛い」
白いベビードレスを着せられた愛くるしい赤ちゃんがこちらを向いている。私が笑顔になると赤ちゃんも笑顔になる。
ーかわいい。
「つい十日ほど前に生まれたばかりです。抱っこされますか?」
私は一瞬動きが停止してしまう。目の前のハーミヤ婦人の腰はキュッと閉められ、何事もないかのようにドレスを身に纏っている。
ーイヤイヤ、ダメなんじゃないの?まだ二週間も経ってないのに、こんな締め付ける服を着て、お母さんが元気じゃないと、こんな服着て立たせてたら産後の体に障っちゃうよ。
「それは、お疲れ様でした。でも、それなら、こんな服を着てお出迎えはしなくて大丈夫です。すぐに赤ちゃんを連れて部屋に戻り、楽な服装に着替えて下さい」
私の笑顔が一瞬で消え失せ、硬い声で婦人に言葉を返す。
貴族である婦人はマスタード色の目をパチクリし、それでも微笑みながら、掠れた声を出した。
「申し訳ありませんでした。お目を汚してしまい。すぐに下がらせて頂きます」
私はそこで自分の失敗に気づく。婦人を気遣ったつもりだったのだが、傷つけてしまったようだ。どうにか、この誤解をときたい。
テオが額に手を置きながらフォローをしてくれる。
「ハンナ様、ギプソフィラは怒っているのではないのですよ。逆です。ハンナ様の体を心配しているのです。出産後十日ということは、まだ体は通常の状態に戻っていませんからね。
赤ちゃんを連れて部屋に戻るように伝えたのは、赤ちゃんと母親は常に近くいる方が赤ちゃんにとって良い環境だからです」
テオが婦人に微笑み掛ける。そして、私の方に向いた。釣られて婦人も私を見た。私は一生懸命に微笑んだ。
「ハンナ様、誤解を生むような発言、申し訳ありませんでした。そのドレスがどうしても産後の方には窮屈なのではないかと思って……」
私は頭を下げる。
「いえ、こちらこそ、勇者様に頭を下げさせてしまって、申し訳ないです。そんなふうに産後の女性に気を使われる方は今まで出会ったことがなかったものですから。出産後の女性が穢れているという風習のある地域もありますし、そちらのご出身の場合も考えてしまいました」
私はびっくりした。そうか、出産後の女性を穢れているとする地域もあるのか。嫌な風習だ。
「とにもかくにも、着替えてきて下さい。ハーミヤ卿、ハンナ様が普段着で私たちと接触してもよろしいですか?」
ここで、旦那にこんな質問をしなければならないこの世界が少し歯痒くもあった。まだまだ、女性の市民権が低く、男性の付属品のように扱われる傾向にある。普段着を見せるのは仲の良い男性に限られている。そのため、一応、私は旦那であるハーミヤ卿に承諾をえる。
ハーミヤ卿は一瞬口をへの字に曲げた。ほんの一瞬だったけれど、私とテオは見逃さなかった。そして、ハンナ婦人も気づいたようだ。
一瞬後、優しげな笑顔を作り「いいですよ」と言葉少なに承諾の意を示す。ただ、私たちは見てしまった。
ハンナ夫人の顔が少し曇っている。テオに目配せをする。なんとかして欲しい。
「ハーミヤ卿、ハンナ夫人、私たちは一度お部屋で体を休めさせて頂きたいと思います。ですので、この後は、またお食事の時にハンナ夫人とお話しさせて頂ければと思います。お部屋で休ませていただいてもよろしいですか?」
テオが改まった様子で直ぐに部屋に案内して欲しい旨を伝える。リックが後ろで、えっという顔をしたけれど、無視した。私もテオの尻馬に乗って、「そうですね。一度休ませてもらいたいですね」と笑顔を作る。リックの背中を突いて、頷くように促した。
「もちろん、よろしいですよ。では部屋への案内をよろしく頼む」
ハーミヤ卿は後ろに控えていた執事長に私たちを任せ、自分は子供と夫人を連れて自室へ向かう。ハーミヤ卿の背中があからさまにホッとしていてビックリする。
ーこの男はこんなに独占欲の強い男だったかな。
過去2度この地で見たハーミヤ夫妻を思い出す。仲の良い夫婦であった。政略結婚の多い貴族の夫婦の中で、本当の夫婦だと思えるような夫婦だった。
ー二人の間に何かあったのかな?
私は前世の父親と母親を思い出す。父が母を支配していた。ハーミヤ夫妻がそうでないことを祈りながら、老齢の執事長の後をついて歩いた。
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