第8話 魔王に請われる

 リックが落ち着くまで三〇分くらいかかった。私たちはソッと側にいた。慰めるでもなく、ただそこに。

 魔王も人間の言葉を話さず、本物のキトのようにニャーと鳴いた。もう魔王と知っているから白いキトがキトらしく鳴くことに違和感しか感じない。ただ、魔王が優しいのだということだけは分かった。今のリックにはキトの癒しは重要だった。

 リックはキトのフリした魔王を抱きしめて、その頭をなで、体をなでた。リックも魔王と知ってはいるけれど、中身が魔王でも今はキトを抱きしめるという行為が必要だったのだと思う。

 リックの心が落ち着いてきたところで、魔王のキトが大きな声でニャーと一鳴きする。すると、空気が変わった。

 白いキトは消えて最初の人型の黒いローブに黒髪ロングの色白魔王になっていた。

 ガラスの壁に遮断された魔王は真剣な顔をしてこちらを見ていた。

「わたしが今回君たちをこの洞窟に招いたのには理由があるんだよ」

 魔王は私を見ていた。視線が固定されている。

「唐突だけど、ギプソフィラ、次の魔王にならないかい?」

 は?

 言われたことが理解できなかった。思わず周りを見回す。テオもリックも目を見開いている。

「魔王の寿命は1000年くらいって言われているんだよ。わたしは魔王になって800年。後200年ある予定なんだけど、君を見つけた。後200年で君みたいな魔王に適性のある人間を見つけられるかわからない。だから、少し早いけどわたしは魔王を引退して、君に魔王になってもらおうと思ってね」

 どう?と軽いノリで聞かれる。

ーイヤイヤ、イヤイヤイヤ、魔王ってそんな気軽になるものじゃないでしょ。

 私はギクシャクと首を動かす。縦にも横にも首を振ることが出来ない。視線をテオとリックに向けると二人も固まっていた。

「三人いる時にこの話をしたのはね、魔王が孤独だからだよ。君たち二人が生きている間だけでもギプソフィラの孤独な心を支えて上げて欲しいんだ」

 とても綺麗な顔をして魔王は笑った。それは、魔王自身の孤独な心を表しているようだ。孤独は美しいものじゃないはずなのに、魔王の孤独は美しく感じる。

「そうだよね、びっくりするよね。今はそういう提案をされたっていう認識でいいよ。数年かけて考えてくれていいよ。魔王になったら普通の生活は出来ないからね」

「ちょっと待って下さい。なぜフィラなんですか?僕は?」

「テオバルト、君は我欲が強すぎるんだ。それに神に対して執着がありすぎる。なったところでただ見守るだけの1000年を生きていけるとは思えないよ」

 魔王は私に視線を移す。

「ギプソフィラには変なこだわりがない。人のために尽くすことが出来るし、人間を外から眺めて暮らすことができる。この人間社会の外から人間を眺めて暮らすことが出来るっていうのはとても大事なことだよ。1000年一人に耐えなきゃいけないしね」

 私は孤独な1000年を想像する。けれど、想像がつかない。一人きりの1000年。そんなの耐えれるのだろうか?

「ギプソフィラ、今孤独な1000年を想像したんだよね?あのね、ギプソフィラ、生まれる前の記憶がまだあるよね?漂っていたでしょう。何もない空間を一人きり、誰とも会話せず、ただ浮遊してた時間があったよね?あんな感じなんだよ、魔王の1000年も。あの時間を過ごすことが出来たのだから心配はいらないよ」

 魔王は私にとっての爆弾を投げ込んできた。誰にも言ってないのに。テオにもリックにも、信頼のおける大事な人たちにも、本当に誰にも言ってない私の秘密を暴露される。

「魔王!!何で?何で言うの!!」

 思わず大きな声が出る。いたずらっ子のような顔を一瞬見せつつ、真剣な顔の魔王が私の怒声に答えてくれる。

「何で言うのかって?ギプソフィラ、もっと人を信頼してもっと人に頼っていいってことだよ。まだまだ臆病だよね。君は愛されてる。どんな君だとしても、誰も君を嫌いにならないよ」

 魔王は最後に囁くように「大丈夫」と私に声をかけた。怖くて見れなかったテオとリックに目をやる。奇異な目を向けてくることはない。私の強張りついた顔を見て、頭に手を乗せてくる。

「出会ってもう8年だ。一緒に何度も魔物討伐にも行った。信頼してもらえてないって言うのは寂しいものがあるよ」

 リックは寂しそうに優しく微笑む。

「やっぱり、フィラも僕と同じだよね、転生者。僕は転生時に、神に出会っているんだ。フィラは神には会っていないってことかな?生まれる前からみんな違うんだね」

 テオはキラキラとした目で嬉しそうに笑顔になる。

 リックはテオを見た。「えー、変わってる奴だなって思ってたら、生まれる前の記憶があるんだな」と何でもないことのように呟いた。

 私はというと、二人の反応に何故か涙が流れる。泣くことなんてないのに、魂が喜んでいるようだった。転生前のことは今も話すつもりはない。でも、転生者であっても良いのだという安心感。もう薄れてきた転生前の生も受け入れられたように感じて、私を丸ごと受け止めて貰えた感が体中を駆け巡る。

 私の涙に二人が慌てた。滅多なことでは泣いたことはない。魔物災害の日、育ての父と母が亡くなったあの日、涙が枯れるほど泣いた。あれから、こんなに涙を流したことはない。

 しかも、今の涙は嬉し泣きだ。生まれて初めてのことだ。魂が喜びで震えて泣くなんて。魔王が私の秘密を話してなかったら感じることのできなかった喜び。私は泣きながら笑って、慌てる二人に嬉しいだけだと伝える。

 魔王がこちらを見ている。私も魔王を見返した。

「ねぇ、あなたも昔は人間だったのよね。その時のことは覚えている?」

「覚えているよ。大切な思い出だからね」

 魔王は一瞬足元に目をやり、静かに優しく微笑んだ。

ー寂しいんだ。

「ねぇ、人間の時の名前は何?魔王じゃなくて名前で呼んでもいい?」

 私は精一杯の優しい声を出す。この寂しげな魔王が未来の私かもしれない。それなら、精一杯優しくしたい。

 まだ、魔王になって欲しいという提案に答えを出せていないけれど、それでも、想像することはできる。

「ギプソフィラ、本当に君は素晴らしいね。ありがとう」

 とても嬉しそうに魔王の口から人間の頃に呼ばれていた名前が発せられる。

「ロバート。親しい人はわたしのことをロビンと呼んでいたよ」

「ロバート。ロビン」

 私は軽快に頷いて、「ロビン」と何度か呟く。そして、美しい魔王に目を向け「ロビン、これからそう呼ぶわ」と宣言した。

 テオとリックは二人で目を見合わせる。テオがゆっくりと手を上げた。

「僕たちもロビンと呼んでも?」

 魔王は、いえ、ロビンは顔を崩して文字通り破顔した。美しいロビンは可愛いロビンに早替わりだ。私は思わず抱きしめたくなったけれど、ガラス越しの彼を抱きしめることは出来なかった。

ーキトなら抱きしめられるのになぁ。

 そんなことを思っていると急にその場が真っ暗になる。一瞬後、私たちはこの洞窟に来る前にいた魔の森の中にいた。


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