草枯や海士が墓皆海に向く

 作者:石井露月ろげつ(1873~1928)


 草枯と墓という侘しい語が一句に綴じられている。それはみな海士あまの墓だ。海士というのは、あの素潜りして貝を取ってくる人たちのことか、それぞれに海を愛し、海に泣かされ、海を糧道として生きた人生だったはずである。

 その海士たちの墓が、みな海を向いている。露月は「羽越線の車中」から、その光景を見たという。死してなお、自らの人生にかけがえのない存在であった海を向き、海士たちは眠っているのだ。海士たちにとって、海は喜怒哀楽をもたらす、体の一部でさえあったかもしれない。人と仕事との関係性につき、物思いを誘う名句だと思う。

 想像を逞しくするならば、「海士」たちの中には、露月がその病床に侍し、最期を看取った者もいたかもしれない。この句を読んでおよそ一年後、露月もまた墓中の人となる。

 露月という人は、確か秋田の人だったと思うが、正岡子規の有力な弟子であった。子規がもっとも期待をかけた一人であったとも言われる。それは残された句作を見ればよく分かる。専門俳人が権威として君臨する俳壇以前の俳句空間が持っていただろう、花鳥諷詠の順守に捕らわれない、世界に開かれた柔軟で幅広い感性が、露月の句にはある。

 彼は医師であった。東京で俳人として立つことをやめ、郷里で開業した。そういう立場から、人間にまつわる様々な出来事や感情に通じることができた。彼の作品に流れる詩情は、人が持つかなしさをよく知る人特有の優しさの表れであった。

 この句、「海士の墓」ではなく、「海士が墓」となっているところがいいと思う。どこがどう良いのか、上手く言えないが、いい。

 露月は、生前ついに句集を出さなかった。彼にとって、表現は日々変貌を遂げていくものであり、本にすることで、それらが固定されることは、彼の良しとするところではなかったのである。

 しかし私はそういう姿勢を別に立派だとは思わない。


 草枯や一夢と消えし都の灯

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私の好きな俳句たち 佐伯 安奈 @saekian-na

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