白木槿嬰児も空を見ることあり(細見綾子)
作者:細見綾子(1907-97)
吉本隆明が茨木のり子の詩を、「人格で書いている詩だ」と評している。私は同じことを細見綾子の俳句を読んでいると感じる。人格で書いた俳句。
しばしば破滅型の生き方が賞揚されがちな日本の文学界において、「人格の優れた人」とか「人格者」などという評価にはうっすらと揶揄の響きすら感じる。俳句の世界ではあんまり破滅型の人はいない。放哉と山頭火くらいか。
近現代の女性俳人の句は、しばしばおさえた口調の下から激情の炎の舌がほのみえるというタイプのものが多い。例えば橋本多佳子、杉田久女、三橋鷹女。
みなその句作からは彼女たちそれぞれの個性は痛いほどうかがえるが、細見綾子において感じられる「人格」というほどのものはない。
細見綾子の俳句の特徴は、曇りのなさ、闇より日向へ向かう性質、影の中に留まることの拒否というようなことだと思う。
そしてその句作は、彼女の実人生と切り離しては考えられない。だから単純な写生句ではない。
この人の俳句は基本的に前を向いて歩いている句である。そこに、「人格的」という言葉を私は連想するのである。彼女には同年代の女性俳人の「お手本」を意識していたかのような風貌がある。
同じことは茨木のり子の詩にも私は感じる。からっとして言いたいことをきっぱり言い、じくじくしたもののない、ナメクジに平然と塩をふるような作風。それを私は細見綾子の俳句にも見出だすのだ。
だからといって細見綾子の人生が、苦もなく波乱も知らない日当たりのいいものだったかというと、およそそんなことはなかった。先に挙げた多佳子、久女、鷹女と比べても、綾子の人生には襟をただされるものを感じる。明らかに世間一般のありふれた人生とは違う道を、それにまつわる嫌なことや苦しいこともはね除け、一歩一歩踏みしめるように90年の長きに渡って生きとおしたことにも、「独立した人格」を感じさせるのだ。
掲出の句は、43歳にして第一子をもうけた綾子が、恐らく子を抱きながら詠んだものだ。みごもってから生むまでの句も、彼女はよく詠んでいる。
生まれたばかりの赤子にとって、目に写る全ては新しい。赤子は何も分かっていないようで、何もかも知ろうとしているのだ。大人のように、ふと空を見上げることもある。物思いなどまだ知る由もない。鳥や飛行機でも飛んでいたのだろう。それでも母は、自分自身の力で世界を認識していこうとしている我が子の姿に、頼もしさと共に親離れの僅かな一歩を感じ、かすかな寂しさを交えこの句を作ったのだろう。この子が生まれる少し前まで、この空には敵機が飛び交っていた。もうそんなことのないように。そんな願いも込められていたかもしれない。しかしこの1950年夏、海の向こうの朝鮮半島の空には、死をもたらす兵器が飛び交っていたのである。
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