賤のこやいね摺かけて月をみる

 作者:松尾芭蕉(1644-94)


しずのこ(子)」とは、農村の子どもとでも捉えるべきか。それが、夜、恐らく一人で、収穫した稲を臼でついているのだ。要は精米作業。一息ついたところで、何気なく夜空を見上げると、月が出ていた。

 そんな、どうということもない一句だが、芭蕉の句の中ではこれは一番好きなものの一つだ。

 安定感と落ち着きをもった、おおらかさのある一句だ。

 私がこの句を好きなのは、この句の中には稲を摺る音以外、音というものが聞こえないからだろう。彼は農家の一室で、一人で作業をしている。何かはやり歌でも口ずさんでいたかもしれないが、作業には集中力が必要だから、いつか無言の時間となっただろう。

 一人の作業の休むタイミングは、単純に疲れた時である。彼も手首に疲れを感じて作業を中断し、あーあと背筋を伸ばしたことだろう。

 その視線の先に、見事な月が映ったのだ。

 この月は、やっぱりほれぼれするような名月であって欲しい。疲れも忘れるような、秋の夜空に煌々と輝く天の島。

 これは芭蕉が実際に見た光景だろうか。一夜の宿を願った農家の子どもの姿を見て詠んだのだろうか。

 むしろ、私は、実際には月などなかったのだと考えたい。芭蕉が内心で、一人仕事をする子どもを労うために、彼の言葉の世界に望月を掲げたのだ。

 月だけで秋の季語となる。他のどの季節より、秋はつい、月を意識する季節だ。この句の中で、月は本当に美しく、大地に語りかけている。

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