さびしさを日日のいのちぞ雁わたる

 作者:橋本多佳子(1899-1963)


 鳥渡るとか雁渡るという季語にはロマンがある。人間はどんなに頑張っても空を飛べないし、渡り鳥がどんな旅路を経て目的地に向かうのか、つききりで見届けることもできない。自分には経験できないからこそ、いつまでも憧れ続けるのだ。

 先の宮坂静生は、そんな鳥たちは、「はらわたの熱」さを糧にしながら目的地へ向かうのだと言った。ところが橋本多佳子は、「さびしさ」を旅程のその日その日の「いのち」として彼らは飛んでゆくのだという。似たような光景を見ても、感じるものはずいぶんと違う。ただどちらも、渡り鳥たちの孤独と旅を続けるエネルギーに打たれてそれぞれの句を作ったのだろうと思える。

 しかしはらわたの熱さにしろさびしさにしろ、どっちも人間が勝手にそう思っているだけで、実際の鳥にはそんな感傷の入る余地はなかろう。途中で力尽きたり、事故や何かのトラブルでたどり着けない鳥たちもいるはずだ。身一つで命がけの旅なのだ。

 そうは言っても、私も詩になじむはしくれの一人として、やっぱり大空に散っていく鳥たちを見れば、この多佳子の句だったり静生の句だったりを口ずさむだろう。そして結局、どちらの句にせよ、そうしている自分に向けて作ったのだと気づくのである。

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