三色菫コップに活けて退職す(菖蒲あや)
作者:菖蒲あや(1924-2005)
俳人に身分の上下など有り得ないが、菖蒲あやさんは明らかなる「庶民派」の俳人である。そんなレッテルを貼るのは間違っているかもしれないが、私はこの人の俳句の目線の低さ、格調の高さとか雄大な世界観を志向しない日常性がとっても好きなのである。
菖蒲あやさんは、東京は墨田区の生まれで、15歳で工場づとめを始めた。その傍ら、富安風生や岸風三楼(私はこの俳人のことは全く知らない)に師事して俳句を作り始めた人である。自分の生まれ育った下町を「路地」と呼び、その必ずしも広いとは言えない生活空間の風物をよく詠んでいる。一つの特徴としては、菖蒲あやさんの句には、白粉花がよく出てくる。そのいかにもその辺にある飾り気のない花感が、この人らしい好みだと思える。
この句は、菖蒲あやさんの何気なさがよく出ていると思えて、特に好きな句だ。
退職する人に贈る花というと、必ずと言っていいほど胡蝶蘭がしゃしゃり出てくるが、私はああいう自己主張の強い花には強烈な生理的嫌悪を覚える。そこへ行くと、職場を去って行く人が、ビオラを机に残していった、というのはささやかな行為だけにかえって印象深い。ビオラはそんなに大きくならないし、殊に退職の時期である3月末ならまだ小ぶりだろうから、コップにちょっと差すだけで十分だ。自分の机に置いていったのか、若しくは応接机にでも置いていったのか、私は後者だと思う。
机にちょっと花が飾ってある職場は、何となくいい。そういう心遣いのできる人がいる。悪い気はしない。そして、プロがアレンジした、私は精一杯咲いておりますお高いお花で御座いますですハイ、なんて花でなく、ビオラというこれまた白粉花のようなありふれている花を選ぶところに、やっぱり菖蒲あやさんの俳句だと嬉しくなる。
この句は歯切れの良さも楽しい。何度も口ずさみたくなる。
一つの職場に勤め続けることは、いい記憶ばかり残る訳ではないが、願わくば私もこんな風に去っていきたいものだと思わせる一句である。
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