男を死を迎ふる仰臥青葉冷(山下知津子)

 作者:山下知津子(1950-)


 俳句はそれに触れた人をホッとさせ、安心させることを目的とした文芸であろうか。

 しかし、読んだ人を不穏にさせ、迷路の中に置き去りにさせるような作品の方が私は好きだ。私は癒しより苛烈を求める。安寧より絶望を求める。むしろその正反対のベクトルが一つに重なり結び付いて、大きな調和を生み出している世界に最大の魅力を覚える。これは私がいろいろな点で双方向に引き裂かれている性質の人間だからだろう。なぜそんな風に生まれついてしまったのか。今さらどうしようもないことである。しかしそんなどうしようもない生の中で俳句の面白さを知ったのは、数少ない幸福と言える。

「男を死を迎ふる仰臥青葉冷あおばびえ」。よくこういう句が作れるものだと思った。骨の中から取り出したような句だと思った。

 女はただ横たわっていて、女の生において重要なものはその姿勢のままやって来るというのである。女はそれを受身に受け入れることしかできないとでも言いたげである。政治的に正しい人たちからは顰蹙を買いそうな発想かもしれない。しかし男だって女だって人生において本当に自分自身で制御できている部分がどれほどあるだろうか。みな仰臥したまま上からやって来るものに対処しているようなものではないか。

 この句の凄みは、男と死が同列のものとして捉えられている点である。どちらがどうということではない。要するにそれはやってくるのだから、迎えるのである。覚悟でも諦念でもなく、そうすることが自然だからそうするだけなのだ。寛容とも違う。そういう個人的な資質の話ではなく、木が芽吹いて成長し、花を咲かせ実をつけてやがて枯れていくのと同じ次元に人間もまた存在するということなのだ。

 私は俳句の持つ大切な機能、或いは「いい」俳句の条件の一つとは、自然の中に人間を消してしまう、若しくは自然と人間を同化させてしまうことだと思う。そんなのは当たり前のことだ。この句の作者は青葉冷という季語で一句を閉じた。新緑の森の木々の中に、眠る彼女自身を融解させていくように。

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