第26話 SS ゆっくりとした時間 中
「このあとは、何か用事はあるの?」
「いえ、ないです」
「よかったらこのあともゆっくりしていってね。喫茶店はそういうところだから、気にしないでね」
女性はコップに水を入れた後に、パフェのグラスを厨房に運んで行った。
「気を遣ってくれたのかな?」
「多分そうだと思う」
パフェを待っている間に、次はどこに行こうかと話をしていたから、気を遣ってもらえたのかもしれない。あまりお金がないってのが聞こえちゃったかもしれない。少しだけ恥ずかしい。
でも、ウィンドウショッピングになったとしても、彼となら楽しいと思う。
一人の男性が立ち上がって、出入り口の方へ歩いていく。ドアの前に立ち止まり、店主に向かって口の前で二本指を何回か振る。それを見て店主は頷く。
あれは、タバコを吸うという仕草だ。
私は壁掛け時計に目を向ける。
「えっ?」
私の視線を追って彼も「えっ?」と同じような声を出す。
私は慌てて伏せてあったスマホをひっくり返す。
壁掛け時計の時間は合っていた。
「もうこんな時間だったんだね」
彼は言う。
「私は初め、壁掛け時計が壊れちゃったのかと思った」
もうすでに、店内で喫煙をしてもいい時間になっていた。
「いやいや、それは言い過ぎだって」
彼は私が、アンティーク時計にかけて冗談を言っているのかと思っているみたい。
「本当に、本当。こんな時間になっているなんて思わなかったの」
「本当に?」
私が頷くと彼は笑い出した。
テーブルの上にあるホットコーヒーのカップに、スプーンが当たってカチャリと音がした。
ドアベルの音が鳴ってさっきの男性が店内に入ってきたので、私は会釈をした。
男性は軽く手を上げて席に座ると、一口だけコーヒーを飲んで新聞を広げた。
「本当にコーヒーのお金はいいんですか?」
彼は心配だからと、女性に確認してくれた。
パフェのセットだけでこれだけの時間、お店でお話をさせてもらったすれば値段が釣り合わなく感じる。
「気にしないで。あれはマスターからお二人へのプレゼントよ。それより味はどうだった?」
「コーヒーって苦いだけかと思っていたんですけど、飲んだやつは苦味が少なくて、えっと、上手く言えないんですけど酸味っていうんですか、あれ。甘酸っぱいような感じがして美味かったです。良い匂い?香り?もしました。コーヒーって色々な種類があるんだなって思いました。えっと……。マスター、ご馳走様でした」
彼の言葉に『マスター』は何度かゆっくりと頷く。私も店主と目があったけど、彼の話の途中だから会釈だけにした。優しく笑い返してくれた。
「ご馳走様でした」
私は頭を下げる。
「高校生?」
「はい」
「一ヶ月記念日とか?」
「えっ!?あっ、はい」
そうなんだけれど、突然そんなこと聞いてきてどうしたんだろう。
「あっこちゃんの動画を見てきてくれたの?」
「そうです。美味しそうだなって思って、『あっこちゃん』さんとお知り合いなんですか?」
「あなたの座っていた場所で、よくパソコンと、何時間も睨めっこしているわよ」
「えっ!」
千草は自分の座っていた席に目を向ける。
ボンヤリとだけど、『あっこちゃん』が腕を組みながら、難しい顔をして画面と睨めっこをしている姿が思い浮かんだ。
「もしかして……、それが分かっててあそこに座らせてもらったんですか?」
女性はニコリと笑う。
「この仕事を長くしていると、一目でお客さんのことが分かる時があるの。だから安心して、あなたたちの会話は聞いてないから」
千草は驚いて息を吸う。
「そんなこと思ってないです」
彼が慌てて否定してくれた。
「ごめんね。これは聞こえちゃったから聞くんだけれど、あなたはものを書いたりしてるの?」
「ものを書くと言って良いのか迷いますが、趣味で脚本を描いてます」
「へー、すごいじゃない。それなら煮詰まっちゃったらここへおいで、ね」
「いや、それは……、ちょっと」
彼はバイトをしていない。今日だって無理をしてきてくれた。
「お店が暇な時なら注文しなくても良いわよ。それならどう?」
「でも、ご迷惑になるし」
「気にしないで、これは先行投資よ。あなたが有名になったら、ここは思い出の場所になるでしょ?」
「あっ、はい」
「それならお店が空いていたら、験を担いであっこちゃんの席の向いに座ってもおうかな。あなたが有名になったら、あのテーブルがもっと有名になるわ」
女性は私にウィンクを二回してきた。
「良い案だと思うけどな」
私がそう言うと、女性はニコリと笑う。
彼がこちらに振り向く。
「部屋に篭って書いてるより、インスピレーション?、みたいなものが湧いてくるんじゃない?」
そうなれば、真剣な表情でパソコンと向き合っている彼のことを、何時間でも眺めることができる。あっこちゃんの席から。
「無理にじゃ、ないわよ」
それでも尚、申し訳ない顔をしている彼に、女性は優しく語りかける。
「たまにはいいじゃない?その時は私のホットケーキを半分、分けてあげる」
「えっ?千草ちゃんも一緒にいる前提なの?」
女性は「あらあら」と口を押さえる。
「邪魔はしないから」
「邪魔っていうか、一緒にいるだけで緊張しちゃうから書けなくなっちゃうよ」
「大丈夫だって、気にしないで。できあがったら一番に読んであげる」
「それはもっと嫌かも」
彼は照れくさそうに笑う。
いつも冷静な彼だけど、実は緊張している。
私だけ緊張しているんじゃなくて、二人おんなじだって分かって嬉しかった。
この後、三人で何か話をしたはずなのにあんまり覚えていない。
「また来てね」
「本当に、絶対、また来ます」
「お待ちしてます」
甲高いドアベルの音が鳴る。
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