第25話 SS ゆっくりとした時間 上

「すみませーん」


 私は手を手をあげる。

 物腰の柔らかな初老の女性がニコリと頷く。店主の男性と同年代に見えるから、ご夫婦なのかもしれない。


「ご注文は決まりましたか?」

「フルーツパフェとチョコレートパフェで。両方ともセットをつけて下さい」

「パフェのセットが、お二つ。お飲み物はどちらにしますか?」


 お店の雰囲気とマッチした優しく丁寧な言葉遣いに、少しだけ緊張してきた。


「私はアイスティーで。藤原君は?」

「コーラ」


 彼はそれだけ言うと、女性の目を見て何度か首を縦に振った。

 女性は小さく頷く。


「セットの飲み物はアイスティーとコーラがおひとつずつ……。かしこまりました」


 女性は注文票に書き終わると、複写の一枚を切り取って伝票立てに差し込んだ。


「少々お待ち下さい」


 女性は軽く頭を下げてからカウンターへ歩いて行き、複写のもう一枚を男性へ手渡した。


 映画やドラマでしか見たことのない世界が、目の前で繰り広げられている。


「カフェなら何回か行ったことがあるって言ったけど、純喫茶ってところは初めてなんだ」


 私の好きなグルメリポーターが、『絶品! 純喫茶だから食べられる至極のパフェ』という動画で、何軒かのパフェを紹介していた。その内の一軒が、最寄り駅の近くだったので、藤原君を誘って食べに来た。


「実は私も、純喫茶は初めてなの」

「千草ちゃんも?」

「うん」

「なんだか注文するだけで緊張した」

「それ私も!」


 あっ、少し声が大きかった。


 周りの様子を窺ったついでに、店内をぐるりと見渡す。

 純喫茶というところは、図書館とまではいかないけれど、静かな空間らしい。ここでは、この雰囲気を楽しむのが正解なのだと思う。

 その証拠に、店内の装飾はとても落ち着いている。年月を感じるのに、棚の一つ一つまで綺麗に掃除されていて清潔感がある。

 壁にはヨーロッパの街並みの写真や、シャンとした男性と綺麗な女性が写されている、映画のワンシーンらしきジグソーパズル。少し黄ばんだ天井は、ランチタイム以外は喫煙可能の証だとキャスターは言っていた。


「ねえ、あれ見て」

「うん。あんな形した時計、小学校にあったやつ以来、見てないよ」


 二人の視線の先には、年代物の振り子時計の振り子がゆっくりと揺れていた。


「純喫茶ってすごいね。ハマっちゃいそう」

「俺も」


 注文が済んで気持ちが落ち着いたのか、彼は物珍しそうに店内の至る所に目をやった。


「漫画もあるんだ」

「本当だね」


 大きめの棚にびっしりと漫画が並べられている。少し古いものが多いけれど、有名な漫画の最新刊もあるから入れ替えはされているのかも。


「脚本を喫茶店で書くってのも、これなら納得できる」


 彼は将来、映画やテレビで脚本を書くことを夢見ている。さっきの話を聞いたことがあったので、ここに食べに来ることを決めた。私ばかり美味しい思いをするのは申し訳ない。彼は優しいから、どこでもいいと言ってくれる。だから私の希望を叶える振りをして、ここを選んだ。

 この先どうなるか分からないけれど、少しでも彼の将来に繋がれば良いと思っている。




 アイスティーの氷がカランと音を立てる。その音が聞こえるぐらいの小さな声で、私たちは会話をしている。

 その分、二人の距離が近くなるからドキドキする。


 カウンターにパフェが二つ置かれる。女性はそれを金属製のトレンチに乗せる。


「少しぐらい声が大きくても大丈夫だから、気にしないでおしゃべりを楽しんで」


 女性はそう言ってパフェをテーブルの上に置く。

 彼は会釈で返す。


「食べてみて美味しかったら、『美味しい』って言ってね。そうすればあの人が喜ぶから」


 女性は私に話しかける。


「えっ?」

「冗談よ、冗談。デートなんでしょ?楽しくおしゃべりしてちょうだい。それに、楽しくおしゃべりして食べた方が、デザートは美味しいでしょ?」


 女性はニコリと笑って、カウンターの方へ歩いて行った。


 突然の出来事に呆気に取られていたけれど、藤原君と目があった途端に二人してクスクスと笑った。

 確かに私は、美味しいものを食べた時は近くの人と喜びを共有したいタイプだ。


「うま!」


 彼は目を見開く。


「うま」


 私も真似をする。


「本当に美味しいね」

「うん。まじで、美味い」


 彼はスプーンを手に持ったまま、パフェを色々な角度から眺めている。きっと、どうやって食べ進めるかを考えているのだろう。


「どうぞ」

「本当に良いの?」

「うん」


 私は彼のパフェにスプーンを差し込む。彼はパフェが倒れないように下を押さえてくれている。


「そこじゃなくて、もっとチョコが掛かってるところでいいよ」

「えっ?」

「大丈夫、大丈夫」


 私が大丈夫じゃない。


「これぐらいだったら、食べたって太らないでしょ」


 紹介されたのはフルーツパフェだけれど、チョコレートパフェは昔から定番の、「オススメ」みたい。ダイエットをしている私のために、彼がチョコレートパフェを食べてくれることになった。


 ダイエットなんていつでもしている。心配してるのはそこじゃない。


「でも、スプーンでさしちゃったし」

「俺、食べ物の形が崩れても気にしないタイプだから」


 彼は、顔の前で手首を振る。

 こっちが気にしているのはそこじゃない。私はスプーンを一回使っている。


「ちょっと貸して」


 彼は私からスプーンを奪うと、一番美味しそうなところを掬って、手を添えながらゆっくりとこちらに差し出してきた。


「ありがとう」


 チョコレートと生クリームの甘さが口いっぱいに広がった後、チョコの香りと苦味が少しだけ顔をだした。


 彼にはお姉さんがいて、無理やりカフェに連れていかれる度に、こういったことをするらしい。

 気になってパフェの味が分からなくなるから、こういうことはやめてほしい。


 嬉しいけど。

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