第24話 タンポポとカスミそう

 見覚えのある袋の中には、銀色の包装紙に包まれた棒状のものが横たわっている。


「福助のロールケーキ!!」


 帯紙には店名の周りに散りばめられたタンポポとカスミソウ。小っちゃな時から幾度となく幸せな気持ちにさせてくれた絵が、そこには描かれていた。


「しかも季節限定のやつ!!!」


 いつものロールケーキと色違いの文字に、鈴香はさらに顔を輝かせる。


「亮ちゃんありがとう」


 満遍の笑みで鈴香はお礼を言う。

 小さい頃の呼び方で呼ばれた都丸は、ビクッと体を震わせた後に複雑な表情を浮かべる。


「ほら!」


 鈴香は口を広げたままで遥乃に向ける。


「どうしたのこれ?」


 紙袋の中を覗きながら、遥乃が尋ねる


「親が会社でもらったらしくて、食い切れないから持ってけって」

「ふーん」

「なんだよ?」


 遥乃は都丸と視線を合わせる。


「私が一緒だったのは予想外だったとしても事前に理由は考えておくはずだから、嘘をつくにしても、もう少し上手につくよね?」

「はぁ?嘘じゃねーよ!」


 視線を外そうとしない遥乃が憎たらしくなった都丸は、眉毛をぴくりと動かして不満を表しながら横を向く。


「ふーん」


 遥乃は顔を軽く横に動かして、鈴香のことをチラリと見る。


「父親に言った方がいいよ」


 間が空いたので、「何をだよ?」と、都丸が遥乃に顔を向ける。

 遥乃は目だけを使って、視線を紙袋の方へ誘導する。


「お裾分けする時はレシートを紙袋の中に入れとかない方がいいよ、失礼にあたるから」


 都丸の体がピクリと反応する。


「まあさ、高校生ぐらいの子が買いに来たら家族からのおつかいだと思うから、無くさないためにお店の人は親切心で袋の中にレシートを入れるでしょうけど、違うんでしょ?」


 都丸は顔をぐうぅっと顰める。


「ねぇ、スズちゃん」

「えっ?」


 鈴香の表情を見て、遥乃はニッコリと微笑む。


「美味しい?」

「えっ?あっ!バレちゃった?」


 鈴香は照れ笑いを浮かべる。


「今年はメロンの代わりに枇杷なんだって。大丈夫、安心して。メロンどうこうじゃなくて、ロールケーキに合う枇杷を店長が見つけちゃったんだって。だから、今年だけ枇杷なの!」

「そうなんだー」


 幸せそうな鈴香の顔を見て、遥乃は嬉しそうに笑う。


「お店で聞いた話なんだけど、生クリームに包まれた枇杷が少し歯応えがあるんだけれど、トロトロなんだって。何それって思わない?」

「美味しかった?」

「これは間違いのない逸品です」

「やっぱり我慢できずに、頭の中で食べてたのね」


 鈴香は笑顔で頷く。


「さっきの話だけど、聞いてないよね?」

「さっきの話……?」

「うん」


 鈴香は取っ手を親指と人差し指の股の部分、第一指間腔に挟んで、目を閉じながら手を合わせる。


「はるちゃん、ごめん」

 キュッと瞑っていた目を開いて、顔を傾けながら遥乃を見る。

「なんの話してたの?」


 それを聞いた遥乃は「食べ切れないって言ってたから、他にどんな味があったのか聞いてたの。スズちゃんが他に気に入ったのとか、美味しそうなのがあったら交換してもらおうと思って」と、笑う。


 都丸は自分に向けられている小悪魔の笑顔から、面倒くさそうに視線を逸らす。

 視線を外される瞬間に遥乃はニコッと意味深に笑い、鈴香に顔を向ける途中でそれをメガネの奥に隠す。


「もーーー、全然」

 取っ手を持ち替えて、鈴香は体を小刻みに振る。

「これが良い、これが食べたかったの。亮ちゃん本当にありがとう」


 鈴香は奥歯が見えるほどニッコリと口を広げ、目が線になるほどに幸せそうな笑顔でお礼を伝える。


「あ……」


 言葉を詰まらせた都丸は、一つ咳払いをする。


「いや、俺はただ届けに来ただけだし」

「ううん、いいの。亮ちゃんが届けてくれたんだから、亮ちゃんにお礼を言いたいの。ありがと」

「お…、おう。親に伝えておくよ」

「うん。おじちゃんにもありがとうって伝えておいて」


 都丸は頭を掻く。


「じゃあ、渡したからな」

「はい、確かに受け取りました」


 鈴香はぺこりと頭を下げる。


「何だよ?」

「別に何も言ってないじゃん」


 顎を上げながらニヤリと笑う遥乃に向かって、都丸は軽く舌打ちをする。


「用は済んだし、帰るな」

「うん、また明日ね」


 都丸は手を振る鈴香をチラリと見るが、それには手を振り返さずに遥乃に顔を向ける。


「またな」


 都丸の棘のある言い方に、遥乃は鼻で笑う。


「スズちゃんちょっと中を見せて」

「えっ、どうしたの突然?」


 鈴香は紙袋の口を開く。


「美味しそうだねー」

「うん」


 遥乃はおもむろに、鈴香越しに草薙食堂を見る。鈴香はその視線につられて振り返る。

 遥乃はその隙に紙袋からレシートを抜き取ると、都丸に手渡す。


「ありがとうは?」


 鈴香には聞こえないように囁かれた遥乃の言葉に、都丸は感謝するような、苦虫を噛み潰したような複雑な表情を浮かべ、レシートを握りつぶしてポケットに押し込む。


「またね」


 遥乃は、先ほどの都丸と同程度の棘で意趣返しをする。

 その言葉で鈴香が都丸の方へ振り向くと、唇を噛み締めて都丸は背を向けた。


「バイバーイ」


 手を振る鈴香の嬉しそうな声に、都丸は返すことなく帰路に就いた。




「スズちゃん良かったね」

「うん」


 幸せに満ち溢れた顔で、鈴香は紙袋の中を見つめる。


「ハルちゃんもお裾分けいる?」


 鈴香は幸せのお裾分けを勧める。


「いらない、いらない」

 遥乃は可愛らしく手を振る。

「そんな顔を見せられて、もらえるわけないよー」


「ははー」

 鈴香は紙袋を高く掲げ、頭を下げる。

「痛み入ります」


 遥乃は、鈴香に手の平を見せて軽く振る。


「ならば、『山吹色のお菓子』を期待しているぞ」


 鈴香の前に突如として悪代官が現れる。

 それを見て鈴香が笑うと、つられて遥乃も笑う。


「分かった。今度、学校にものすごく美味しい『おやつ』を持っていくね」

「うん」


 遥乃は頷く。それから少し間を空けてから、気遣うように話し始める。


「教室でのあれってさ、一種の病気みたいなものだから気にしない方が良いよ」

「大丈夫。帰り道でそれについて教えてくれてありがと」


 鈴香は笑顔で頭を下げる。


「でも恋をするとそれに似たことをしちゃうんでしょ?」

「そう、本人だってそれをやったら自分の立場が悪くなるのが分かってるのに、体がいうことを聞いてくれないんだから」

「うん。でもさ、それもタイミングが悪かったってこと?」

「教室での出来事はタイミングとか彼女の性格とか色々あるんだけれど、その気持ちは違うの。あれはどうしようもないの。いつもなら我慢できるの。でもその気持ちはふとした瞬間に溢れちゃうから、どうしても我慢できないの。だから、タイミングなんて関係ないのよ」

「そうなんだね」


 遥乃は静かに頷く。


「まだ、おませなスズちゃんには分からないかもー。な、お話だけどね」

「もう」


 鈴香は頬を膨らませる。


「でも、私って高二だよ。そんな経験がないのは、ちょっと変なのかな?」

「変じゃないんじゃない。私なんて似たような経験をしたのって幼稚園の時だよ。そっちの方が変でしょ?」

「間近で見てきたから、なぜだか説得力がある」

「あらやだ、この子って失礼」


 二人は笑う。


「そうだ、スズちゃん。私がロールケーキを奪って逃げたらどうするー?」

「必死に追いかける」


 鈴香は真剣な眼差しで答える。


「考えるより先に体が動いちゃうって感じでしょ?」

「うん。そんなの当然じゃない」

「それなら、取られるけれどそこで我慢しててねって言われたら?」

「うーん、難しい。返してくれるなら我慢するけれど、本当に取られちゃうなら追いかけちゃうかも」

「そうだよね、そうなるよね。でもね、あれはそれより苦しいことなの」


 遥乃は左手を腰に当て、右手の人差し指を立てて鈴香に言い聞かせる。


「考えて考えて、ダメだ、ダメだって我慢しているのに体が動いちゃうの。それでやっぱり場の雰囲気が悪くなっちゃう。そうなることが分かりきってるのに、やっぱり我慢できないの。それって苦しくない?」

「うーーん。そう言われると、何となくだけど分かるかも」


 確かに言われてみると、大好きなものを取られるけれど追いかけるのは我慢しなさいと言われても、苦しいだけでしかない。我慢できずに動いちゃうなんてそれ以上だから、よっぽどのことだと思う。


「それの百倍すごいのが体中を駆け巡るの」

「百倍!?」

「そう、恋は苦しいものなのよ」


 ロールケーキを取られた百倍だなんて想像できない。抑えられないほど好きってどれほどなんだろう。そこまで苦しいのに、何でみんな恋をするんだろう。そもそも好きって気持ちは何なんだろう。

 それが何なのか分からないから、美味しいものを食べて幸せな気分になった後で考えることにしよう。それの方がいい気がする。


「人によってはもっとかもね」

 伏し目がちな遥乃の口元が、微かに動く。

「早くスズちゃんもこちら側へいらっしゃい」


 顔を上げる遥乃の目を、日の光がメガネに反射して鈴香から隠す。


 途中の顔がどんなものだったか分からないが、鈴香の方に向き終わった時にはいつもの可愛らしい笑顔が浮かべられていた。


「面白いものが見れたし、スズちゃんのロールケーキが温まるのもイヤだし、そろそろ『バイバイ』かなー」

「はーい。また明日だね」

「また明日ー」


 遥乃は誰かを待つように少しだけ間を置いて、辺りをゆっくりと見渡しながら歩き出した。


 それからはいつものように遥乃は何度か振り返り、その度に手を振ったりふざけたりして、鈴香はしばらくその場所で笑っていた。

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