第7話
迷子の少年の親を名乗り出る大人はおらず、彼はそのままバーナードの屋敷に留まっている。
その間アマーリエは一度下宿先に戻り、ケストナー夫人に事情説明をしたうえでバーナードの屋敷に通っている。
日中寂しがる少年を騎士団本部へ連れて来て、遊びの相手をするのもアマーリエを含む魔法使いたちの職務に組み込まれた。
すっかり馴染んだ少年ではあったが、自分の出自になると口を閉ざしてしまう。
おかげで名前もまだ聞き出せていない。偏食も激しく、蜂蜜が大好きで肉類などは好きではないようだ。果物やミルク、それから木の実などが好物のようで、結果お菓子ばかり食べている。栄養状態も気にかかるところだ。
少年は最初こそバーナードを怖がって見せたが、徐々に慣れていき、手を繋ぐくらいまでには打ち解けた。
その様子を見た騎士団員が「あの団長が……子供と手を……」と驚愕の表情で固まっていたのは別の話である。
「そろそろ家族のことを話す気になったか、少年」
「……僕……」
子供には適度な運動が必要だ、というバーナードの主張のもと、一日一回の散歩が日課に加わった。
騎士団の制服姿のバーナードと魔法使いのローブを身に纏ったアマーリエ。真ん中で二人と手を繋ぐ薔薇色の髪の美少年。
なかなかに珍しい組み合わせである。
大人二人と手を繋いだ少年は、下を向き黙り込んでしまう。
やはり自分のことは話したくないようだ。
「……僕、お母様に内緒で家を出てきちゃったんだ」
「家出少年だったのか? その線も考えてはいたが」
ようやく話すつもりになったのか、少年が初めて己の身の上に言及した。
「この子、見た目年齢七歳とか八歳とかですよね? それで家出……? 最近の子は分からない」
早熟すぎやしないだろうか。
「僕、こう見えても結構生きているよ」
「……ソウデスネ」
即座に反論されたアマーリエは教科書を棒読みするような一定の速さの声を出した。
子供なりに長生きをしているつもりらしい。そうか。そういうお年頃か。自分にもあったなぁと、つい在りし日の己に思いを馳せた。
「母に内緒で出てきてしまったから、怒られるのが恐いのか?」
バーナードが話を戻した。
「……うん」
それに対して少年が頷いた。
「勝手に家を出てしまったことに対して、確かに母親は怒るだろう。しかし、それはきみを嫌っているからではない。心配しているからだ」
「それは……」
少年はしゅんと項垂れた。
「私も一緒に怒られてやる」
「でも……お母様、怒るととっても恐いんだ。髪の毛がね、こううねうね~って逆立って」「それは恐ろしいな」
大真面目に語る少年にバーナードが相槌を打った。なかなかにいいコンビだと思うのはアマーリエだけだろうか。
散歩のコースはその日によってまちまちで、今日は城壁の外の道を歩いていた。
風がぶわりと舞う。
突風に髪を押さえやり過ごそうとするも、風はどんどん強まるばかりだった。
「おまえたちがわたくしの子を攫ったのか」
風の中から見知らぬ女性の声が聞こえた。
「な、何事?」
ごうごうと轟く風を前に目を開けていられない。
魔法使いの端くれのはずなのに、突然のことに対処が遅れた。
「アマーリエ!」
すぐ近くでバーナードの声が聞こえる。
風が止み、そぅっと目を開ける。
いつの間にか彼の両腕の中に閉じ込められていた。周囲は無風だった。風が止んだのではなく、バーナードが魔法を使ったのだと当たりをつける。
「どどどうしよう。おお母様がきちゃった!」
アマーリエの後ろでは、少年ががくがくと震えている。
結界の外では変わらず風が吹き荒れ、その中心から一人の女性が進み出てきた。
朝露を浴びた艶やかな薔薇とも見紛う色を持つ女性だった。
年の頃は二十をいくらか過ぎた頃と見受ける。
まるでどこかの絵画から飛び出てきたのかというほどの美女であった。細い肢体はしかしメリハリがつき、煽情的な薄いドレス姿なのにちっともいやらしくない。神々しさすらあった。
その彼女は白い腕をゆっくりと持ち上げた。
「おまえたちがわたくしの息子を拐かしたのだな」
「ち、違いますっ! 彼は街で迷子になっていて!」
「言い訳など見苦しいぞ」
美女が目を眇めた。迫力のある眼光に晒される。
そして次の瞬間、圧縮した空気がアマーリエたちを襲った。
あまりの力の強さにバーナードが張った結界が耐えきれずに砕けてしまう。
「きゃぁぁ!」
「アマーリエ!」
バーナードが吹き飛ばされそうになるアマーリエに覆いかぶさり盾になった。
「ふんっ。いいざまだ。人間がわたくしの子を攫うからこうなるのだぞ」
冷たい声に晒される。反論したくても声が出せない。上から空気に圧迫され、内臓が圧し潰されてしまいそうだ。
「違うよ、母様! 僕がいけないんだ。僕が人間の街に行ってみたくて母様の言いつけを破って遊びに行ったのがいけないんだよ」
美女とアマーリエたちの間に少年が立ちはだかった。
両手を水平に上げてこちらを庇う姿勢を見せる少年に、美女が繰り出した魔法の力が少しだけ弱まった。
「僕が嘘をついていないって、母様ならわかるだろう?」
「それは……」
数拍したのち、魔法が完全に止んだ。
アマーリエはけほけほと咳き込んだ。新鮮な空気が美味しい。
「長い間帰って来なくて……気配も消して……心配したのよ」
「それは……怒った母様は髪をうねうね逆立てるほど恐いから」
少年が正直に答える。
先ほどの逆鱗を思い起こしたアマーリエは、うっかり頷きそうになったのを必死に誤魔化した。
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