第6話

 さて、迷子の少年を騎士団本部へ連れ帰ったまではよかったのだが、名前を聞いても年を聞いてもどこから来たのかを聞いても、少年はだんまりだった。


 結局聞き出せたのは、お腹が空いたことと、母親はいるけれど会えないということだった。

 要領を得ない答えに騎士団の人間もお手上げで、一晩どこで子供を保護するか話し合い、結果バーナードの屋敷に連れ帰ることになった。


 アマーリエから離れたがらない少年ではあったが、預かるのなら責任ある立場の人間の方がいいとバーナードが主張したためだ。


 アマーリエまで屋敷に滞在することになったのは、少年を不安にさせないためである。

 その少年は使用人にお風呂に入れてもらい、新しい衣服を着せてもらってご満悦でアマーリエのもとに戻ってきた。


 それから蜂蜜がたっぷり入ったパン粥を三回お代わりをしたのち睡魔に襲われたのか、こてんと眠ってしまった。


 客室に寝かされた彼の健やかな寝息にふっと表情を崩したのち、アマーリエはバーナードとともに退室した。


「ふふっ。寝顔は天使のように可愛かったですねえ」

「今日は長い一日になったな。公休日にも関わらず、遅くまで付き合ってくれて礼を言う」

「何を言いますか。わたしも騎士団所属の人間です。公休日だろうと困っている人がいれば助けるのが筋というものです」


 応接間にて上等なお茶を出されたアマーリエの力説に、バーナードがかすかに口の端を持ち上げた。


 部屋の扉が叩かれ、使用人を連れた執事が入室する。

 どうやら夜も遅いことから今晩はアマーリエ用の客室も用意したとのことだ。

 突然の来客にも動じない執事の対応と、複数の客室を揃えた屋敷の規模に驚きを通り越して乾いた笑みしか出てこない。


「お夜食も準備してございます」


 至れり尽くせりである。

 しかもお夜食と言いつつ出されたのが牛のヒレ肉を赤ぶどう酒でじっくり煮込んだもので、その柔らかさに頬が溶けるかと思った。


「今日はありがとう」

「え?」


 高級料理店ではないと食べられないような美味しい食事を堪能していると、前に座るバーナードが突如礼を言った。


 先ほども礼を言われたが、それとは別のものだろうか。


「幼少時……私たち兄弟は父から、公爵家の人間たるもの隙を見せないために常に冷静沈着であれ。表情も面に出すべきではないと教えられ、実践してきた。私は父に認められたいために頑張ったのだが、その頑張りが行き過ぎたのか、穏やかな場でも表情筋が動かない人間になってしまった」


 そう話すバーナードの表情は確かに表情筋が仕事をしていないいつもの顔つきのままである。


「兄は器用な人間で、父の教えを守りつつも時と場合に合わせて笑みを浮かべることができるんだ。このままでは社交に支障をきたすと思い、兄を見習って笑顔の練習をしたのだが……兄の娘には泣かれ、今では私を見つけるなり全速力で逃げ出すようになってしまった」


「それは……」


 なんて答えたらいいのだろうか。

 身内に全力で避けられるのは辛い。辛すぎる。


「騎士団の団長を任され、厳しい表情が役立つ場面がある一方、親しみに欠けると部下から敬遠されているのも知っている」

「で、でも。団長が職務に忠実で公平で優秀なのは皆ちゃんと知っていますよ」


 己のことを客観的に淡々と話すバーナードの様子に居たたまれなくなり、アマーリエはつい口を挟んでしまった。


「今日もきみがついていてくれて助かった。私だけでは最悪人攫いとしか思われなかっただろう。きみのその笑顔にはいつも助けられている」

「いつも……ですか?」


 思わず復唱すると、バーナードが頷いた。


「二年前に街の外を流れるヴァスレ川が増水したのを覚えているか?」

「はい。長雨の影響で」


「あの時、橋の下で野営をしていた親子が橋脚部分に取り残され救助に向かった。そのなかには入隊したてのアマーリエも含まれていた」


 街の外を流れるヴァスレ川は普段は穏やかな川で、旅の行商人が橋の下で野営をすることが常習化していた。

 様々な理由により長期間生活する者も中にはいて、その中の二家族ほどが逃げ遅れたのだった。


「上流の雨が思いのほかひどく、どんどん増幅する水への対処で精いっぱいな中、きみは救助された子供たちの怯えを取ろうと一生懸命になっていた」

「あれは……。まだ新米だったわたしにはあまりやることがなく……」


「だが、誰もが見落としていた子供たちの心の傷にきみが一番早く気付いた」


 そんな二年も前のことを覚えていてくれたことにびっくりした。

 評価が欲しくて行った行為ではなかった。


 ただ本当にあの時のアマーリエはまだ配属されたての新人で、魔法の実践経験もすくなくて。

 だから自分ができることをしただけだ。


「子供も大人も、きみの大げさなほどの、もう大丈夫、という台詞に励まされていたのだと思う。敢えて明るい声と表情を作って彼らを安心させる様子に感心すると同時に、己の無力さを痛感した。私では、あのような表情はできない……」


 最後の声は平たんだったけれど、様々な感情が込められているような気がした。


「職場を明るく照らすのは、きみのような人間なのだろう。私がいると皆ぴりりとした空気に包まれてしまう。もちろん、緊張感があるのは悪くはないが……」


「皆団長のことを慕っていますよ。そりゃあ、顔は怖いですけれど。何考えているのか分からなくて苦手だったけれど、思いがけずたくさんお話しできて、色々な思いを知ることができて。もっと前から団長のことを知ろうと思えばよかったって。そう思いました」


 そうなのだ。顔は鉄面皮で怖いけれど、別に彼は恐怖政治を敷いているわけでもないし、誰か一人を過剰に贔屓しているわけでもない。


 その職務は真面目で、部下への指摘も適正なものだ。表情が氷を通り越して吹雪のために過剰反応してしまうだけである。


 それに、アマーリエはもう知っている。

 顔に出ないだけでバーナードがとっても感情豊かだと言うことを。


(あれ……? そういえば、団長の心の声が聞こえてこない……?)


 今気がついたが、これまで当たり前のように頭の中に響いていたのに。ちっとも聞こえてこない。


「きみに……嫌われたくはなかった」


 そう続けるバーナードの声にはどこか哀愁が漂っているようにも思え、アマーリエは即座に首を左右に振った。


「嫌うだなんて、そんなこと絶対にありえません!」

「……そうか。よかった」


 そう言ったバーナードが微笑を浮かべた。


 彼は、今自分がどのような表情をしているのか自覚しているのだろうか。

 この人はこんな風に笑うのだ。

 笑顔を作るのが下手だなんて。そんなの嘘ばっかり。

 アマーリエは彼の眼差しから目を逸らすことができなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る