第3話

 まさか、公爵家出身の騎士団長がアマーリエを憎からず思っているとは、本気で想像もしていなかった。


 そもそもアマーリエは平民の出身だ。一応貴族の血は引いている。けれども傍流も傍流であるため、本家との交流などない。


 もっと強い魔力を持っていたら、本家の養子にという話が持ち込まれる可能性もあったのだろうが、あいにくとアマーリエの有している魔力は中の中もいいところだ。


 セトルバーンの魔法学校に入学する力はあったけれど、この国の最高峰である魔法学校へ挑戦できるほどでもなかった。


 アマーリエとしては、魔力があったため職業婦人になれたのだし、卒業後はセトルバーン騎士団の魔法部隊への就職し、街の下宿屋に二食付きで部屋を借り、お気楽な独身生活を謳歌することもできているため、現状何の不満もない。


 恵まれた職場で唯一何かあるとすれば騎士団長であるバーナードのアマーリエへの当たりが少々きつかったということだろうか。


 本来報告書は直属の上司にまず手渡すものである。そして上司が確認し、サインをすれば然るべき棚に保管をする。


 これで完結なのだ。それをバーナードは何の気まぐれか、魔法使いたちの見回り報告書を自ら確認するのである。現場には一定の緊張感も必要だとかなんとか言って。


 それ自体は団長のやり方なのだから、と諦めモードも入るのだが、どうにもアマーリエは団長チェックが入る回数が多かった。


 あの顔面吹雪の前に立たされると、何かやっていなくても緊張で胃がきりきり痛むのですが、と何度思ったことか。


「……それが全部わたしとの接点を作るためだっただなんて」

 はあ、とため息交じりに独り言が出てしまった。


「そもそもわたし、団長が好きになるようなきっかけとか接点とか、あったかなぁ?」


 首を捻り過去を回想してみてもまるで思い浮かばない。


「でも……あの心の声からすると……そうなんだよね。オカズにされてるくらいだし」


 だいぶ性欲が強いんですね、団長……。と心の中で突っ込みを入れてしまうくらいには彼の脳内はほぼピンク色であった。


 深層の令嬢ではないためアマーリエ本人、そして友人同僚を含めて性関係の知識はしっかり持ち合わせている。


「おかずがどうしたんだ?」

「うわっ!」


 独り言に返事があって、アマーリエは飛びのいた。

 目の前に佇むのは騎士団所属の茶髪の青年だった。


「どうしたの? コリー」

「あ、ああ。おまえ最近上の空でいることが多いだろう? 何か、悩みごとか?」

「え、そうかな? 特に悩みごとなんてないけれど」


 アマーリエは空笑いをした。確かに悩み事はある。妖精助けをしたら厄介な祝福を授けられましたと、本人が聞いたら怒りだしそうなことを考える。


 バーナードの心の声が聞こえていたたまれませんとはさすがに言えずに、アマーリエは「何か用があった?」と話題を転換した。


「用がなきゃ話しかけちゃいけないのかよ」

 コリーはどこか拗ねたような表情を浮かべる。


「やだなあ。同期なんだからそんなこと思っていないわよ」

「ま、一応用事はあったんだけどさ」


 あったんかーい、という突っ込みを同期の気安さで行ったのち、コリーが話を始める。


「あのさ! 今度俺のイトコが誕生日なんだけど。あいつ生意気にも香水が欲しいって言いやがって。いや、可愛い妹分だからな。別にいいんだ。だけど俺はほら、普段こういうのからきしだから、できればマリーに助言をもらえればなって思っているんだけど。今度の公休日、俺たち被っていたよな?」


 と言ってコリーが続けた日付にアマーリエはこくこくと頷いた。


「そういえばそうだね。お休み被っているね」

「じゃあさ、一緒に選んでくれないか? 休みの日に付き合わせた礼に飯おごるよ」

「え、いいの?」


 と、頷きかけたその時。


「コリー、おまえにイトコの妹分がいたとは初耳だ」


 地を這う低い声がとどろいた。

 導かれるように二人同時に顔を向けると、これから人を殺りそうな形相のバーナードが佇んでいた。


「ひぃ」


 それはどちらの喉から出た呻き声なのだろうか。


 バーナードが大きな歩調で一気に距離を詰めた。背が高いと一歩が大きいのだと、どうでもいいことを考えた。


「おまえの家族構成は両親と兄と弟、そしてイトコは男が二人と十三歳、十五歳、十八歳年上の女性だったはずだが? 最近新しく生まれたのか? だとしたら香水はまだ早いだろう」


「えっと……よくご存じで」


 コリーが汗をダラダラ流しながら、それだけ言った。


『ちっ。私だってアマーリエをデートに誘うこともままならないのに、抜け駆けしやがって。こいつは常日頃からアマーリエの同期という立場で、いい友達ポジションをキープしているからな。しかもちゃっかりマリーなどと愛称で呼ぶ始末。くそ、私だってマリーとか、マリたんとか、略して呼びたいのに』


 マリーはともかく、マリたんはどうだろう。


『やはりこいつも夏の祭りのダンスの相手にアマーリエを誘いたいのだな。よし、ここは一つ、今のうちに……』


 心の声が凶悪さ三割増しになったようにも感じ取ったアマーリエは咄嗟に口を挟んでいた。


「ご、ごめん! コリー、今度の公休日は団長と一緒に、彼の又従兄の義理のお姉様の妹の旦那様の従姉妹の誕生日プレゼントを選ぶことになっていたの! 本当にごめん!」


 気がつけば咄嗟とはいえ、とんでもないことを口走っていた。

 とにかく、コリーとバーナードをこれ以上この場に居させたくない一心であった。


「そ、そっか。先約があったのか。じゃあまた次の機会にな」


 コリーはそそくさと立ち去って行った。

 ふう。危機は回避した。コリーの安全を確保でき、安堵の息を吐いたアマーリエのもとに、僅かに上擦った声が落ちてきた。


「ま、待ち合わせは何時にするか?」

「へ……?」


「公休日に又従兄の義理のお姉様の妹の旦那様の従姉妹の誕生日プレゼントを選んでくれるのだろう?」

「へ……?」


 ずいと顔を寄せられたアマーリエは、どうしようとだらだらと汗をかいた。

 いや、まさかバーナードが乗ってくるとは思わないではないか。

 というか、自分は彼と一緒に出かけることが嫌なのだろうか。


『沈黙されるということは……やはりアマーリエは私のことなど嫌いなのだろうか。分かっている。私はこの表情筋の動かない顔のせいで全世界の女性から恐れられているんだ』


 などという消沈した声に断ることなどできるだろうか。


「行きます!」

「ほ……本当か?」


「はい! ぜひとも、団長の又従兄の義理のお姉様の妹の旦那様の従姉妹の誕生日プレゼントを選ばせてください!」


「あ、ああ。よろしく頼む」

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