第7話 突然の……
今日は、店の定休日。
私がやって来たのは、エズラの仕事場だ。
昨日、最後の客が帰る時間まで店に留まっていたエズラは、「明日きちんと話をしたいから、あの家まで来てほしい」と告げ姿を消す。
行くかどうか最後まで迷っていたが、覚悟を決めここに来たのだった。
部屋に入ると、エズラはすでに待っていた。
「クララが来てくれて良かった。もう、会ってもらえないと思っていたから……」
余所行きではない微笑みを浮かべたエズラに促されるかたちで椅子に腰を下ろすと、彼はおもむろに口を開いた。
「まず、今まで正体を隠していたことを謝罪させてくれ」
「あなたが謝る事なんて、何もないわ。だって、その……王子殿下が危篤状態なんて国の重要機密事項でしょう? それに、もしあの時伝えられていても、私は信じなかっただろうし」
「ははは……たしかに、信じてもらえなかっただろうな」
クララは慎重だからな…と笑うエズラ。
変わらない、いつもの笑顔。
この人が王子だなんて、本当に今でも信じられない。
エズラを眺めながら、私はほんのひと月の間に起こった出来事を思い返していた。
「いきなり『おい、おまえ』って言われたときは何て失礼な霊だと思ったけど、王子殿下なのだから当たり前よね。私のほうが不敬だったわ……」
「あの時のことは、是非ともクララの記憶から抹消してほしいな。俺も忘れるから」
「ふふふ、残念ながら印象に残っているから、忘れられそうにないわ」
「そう言うと思ったよ」
二人で顔を見合わせて笑ったあと、エズラは真面目な顔つきになる。
「クララだけには真実を知っておいてもらいたいが、君が嫌なら無理強いするつもりはない」
「私が一番気になっているのは、あなたが危篤状態に陥ってしまった原因だけど……これも、重要機密よね?」
「隠し事はしたくないから聞かれたことには全て答えるが、聞いていてあまり気持ちの良い話ではないぞ。それでもいいのか?」
「構わないわ」
問いかけに大きく頷いた私に、エズラは順を追って話を始めた。
◆◆◆
ひと月前、いつものように王城を抜け出したエズラは、仕事場に向かっていた。
王都を出歩く際には帽子を目深に被り、庶民のような恰好をしている。
兄たちとは違い、エンズライトの顔はそれほど世間に認知されてはいないが、一応念には念を入れていた。
今日のエズラは、先日書き上げた新作を再度推敲したあと、時間が許せば版元へ持ち込むつもりだ。
自分は自信作だと思っている物語を、版元の店主シルクがどのような評価を下すのか……楽しみ半分不安半分の心持ちだった。
「あの、すみません。道をお尋ねしたいのですが……」
エズラに声をかけてきたのは、旅装姿の小柄な中年男性。
街中を歩いていると道を尋ねられることがたまにあり、これまでと同じように気軽に応じる。
道を教え、礼を言われ、挨拶をして旅人とすれ違った瞬間だった。
脇腹に激痛を感じたエズラは声を発することなくその場に崩れ落ちるように倒れ、気付いたときには空をさまよっていた。
「俺は、命を狙われたんだ」
「そんなことが……」
絶句し言葉が出てこないクララとは対照的に、エズラは冷静に話を続ける。
自分は死んだと思ったエズラは、光が導くほうへ引き寄せられるように向かっていく。
あともう少しで辿り着くところで、ふと脳裏をよぎったのは今日版元へ持ち込むつもりだった新作のこと。
シルクは、人気作家であるエズラに対しても「この
彼の評価を聞くまでは、死ぬに死ねない。
エズラは流れに逆行して、現世に残ることにした。
王家お抱えの霊媒師たちに協力を依頼しようとしたが、彼らが偽物だったと知り絶望してしまう。
目的を失い街をさまよう傷心のエズラが行き着いたのは、ミーサのカフェだ。
ここで食事をしたりミーサとおしゃべりをすることは、エズラにとって執筆の合間の息抜きであり、何物にも代え難い大切な時間だった。
だから、エズラは店の老朽化を理由にカフェを閉店しようとしていたミーサを強引に説得し、改装費用を出した。
これは自分のわがままであり、借金の返済は一切不要。
その代わり、長く店を続けてほしいとお願いをしたのだ。
それなのに、自分はこんな姿になってしまい、もう二度と店へ行くことはできない。
最後に、彼女へ別れの挨拶をして出て行こうとしたエズラに声をかけてきたのは、ミーサだった。
「ミーサ叔母さんも、エズラがわかったのね」
「『姿はほとんど見えないけど、気配は感じるし、声も聞こえた』と言われたよ。それが、ミーサさんが亡くなる前日だった」
自分の希望を伝えたエズラに、ミーサは自分にはもう時間がないから代わりに姪を紹介すると伝える。
そして、その場で遺言書を書いたのだった。
「クララは、最初から借金の形になどなっていないんだ。確実に俺に会いに来るように、ミーサさんが手配をしてくれただけで……本当に、今まで騙していて申し訳ない」
自分へ深々と頭を下げるエズラを、クララは黙って見つめる。
クララがここへ来るか来ないか最後まで迷っていたのは、エズラから様々な真実を聞かされて自分がどういう感情を抱くのか、知るのが怖かったから。
「エズラ、頭を上げて。それに……王子殿下が庶民に頭を下げるなんて、絶対にダメでしょう?」
努めて明るく、冗談めかしてクララは告げた。
「たしかに私は騙されていたけど、今やっていることは、全部自分が望んだことでもあるのよ?」
カフェは、いずれ再開させるつもりだった。
それに、推し作家の執筆の手伝いなんて、こんなことがなければ絶対にできなかったとクララは言い切る。
「だから、もう自分自身を責めるのは無しだからね!」
「ハハハ……本当に、クララには敵わないな」
苦笑しながら、エズラは机の引き出しを指さす。
「この中に、書きかけの原稿や資料などがあるんだ」
「あなたの大切なものだから、私が大事に保管しておくわ」
引き出しを開け中身をすべて取り出したクララは、持ってきた鞄に丁寧に入れる。
「この家の鍵は、クララが持っていてくれ」
「わかったわ。エズラがいつ来ても大丈夫なように、ここは私が管理しておく」
「いや、その必要はない。この家は売却し、君に不要な物はすべて処分してくれ。世話をかけて申し訳ないが、ここにある初版本と残った金と、これから入ってくる印税等は手間賃としてぜひ受け取ってほしい……夫から妻へ、最初で最後の贈り物として」
「エズラ……急にどうしたの? また会いに来てくれるんでしょう?」
新作を書くと前向きになっていたはずのエズラの心変わり。
胸騒ぎを覚えたクララは尋ね返したが、彼は小さく首を横に振った。
「残念ながら、俺にはもう時間がないらしい。ずっと俺を呼んでいる声が聞こえていて……もう行かなければ」
「そんな……あの新作は、まだ完成していないのよ! それに、本だって発売されるのに……」
二人で協力して一から書き上げた作品や、版元に持参し手直しもした作品だけに、クララの思い入れは深い。
悲鳴に近い声を上げたクララに、エズラは優しいまなざしを向ける。
「クララ、君と出会えて良かった。今まで本当にありがとう。どうか、これからも元気で……」
「エズラ、待って!!」
クララが伸ばした手をエズラは両手で優しく包み込むとゆっくりと目を閉じ、フッと消えた。
それは、瞬きをするようなあっという間の出来事。
しかし、クララは彼の手の温もりをたしかに感じ取った。
◇
数日後、第四王子エンズライトの逝去が発表される。
国民は若くして亡くなった彼を悼み、冥福を祈り、喪に服す。
クララは自宅の棚に置いてあるエズラの遺作となった未完の原稿の前に花を供え、一人静かに涙を流したのだった。
◇◇◇
後日、大聖堂で行われた国葬には多くの国民が詰めかけた。
参列者が花を手向ける先にあるのは、二つの棺。
一つはエンズライトのもので、もう一つは、彼の婚約者だった公爵家令嬢のもの。
彼の死を聞きショックのあまり床に臥せっていたが、彼女も後を追うように亡くなった。
公務の場では仲睦まじい姿を見せていた彼らの悲劇は悲恋として語り継がれ、その後、歌劇や物語の題材となっていく――――
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