第8話 三か月後
エズラの死から三か月後、クララは今日も彼の仕事場にいた。
エズラは家を売却しろと言っていたが、クララはどうしても処分することができない。
第四王子だったエンズライトが、『作家エズラ』として生きた証が失われてしまうから。
エンズライトが亡くなり、同一人物であるエズラもこの世にはいない。
ひと月ほどで未亡人となってしまったクララだが、エズラの死亡を証明するものは何もなく、今も婚姻関係は継続されている。
そのため、目下の悩みは、定期的に入ってくる印税の取り扱いだった。
◇
エズラの遺品はすべてクララの家で大切に保管されているため、この家には空になった本棚や机などの家具しか残されていない。
しかし、クララは店の休業日のたびにここを訪れては掃除をし、家から持参した本を読むことが日課となっていた。
「ついに、読み返しも終わっちゃった」
エズラから譲り受けた初版本を出版順にゆっくりと読み進めていたが、ついに読み終えてしまった。
今日読んでいたのは、クララがエズラの代理として版元に持ち込んだ本の初版本。
店主のシルクからいろいろとダメ出しをされたことが、つい昨日のことのように思い出される。
「あちらの世界では、婚約者と幸せになっているといいけど……それにしても、人を使うことが上手な王子様だったわね」
クスッと思い出し笑いをしたクララは、本を鞄へしまうと立ち上がる。
次の休業日はエイミーとの約束があり、ここへ来ることができない。
そのため、今日は家中の窓を全開にして入念に空気の入れ替えをしていたのだ。
家の戸締りをすべて終えたころ、クララのお腹がグーと音を立てた。
今朝、朝食を食べたあとは何も食べないまま、もうすぐ夕刻になろうとしている。
読書に夢中になるあまり食生活を疎かにしていることを、先日店に顔を出した兄から注意されたばかり。
クララは「兄さん、ごめんなさい」と心の中で猛省しつつ、家路についた。
◇
家に戻ってきたクララは、店の前に人が立っていることに気付く。
眼鏡をかけた、端整な顔立ちの背の高い若い男性だった。
「あの……申し訳ございませんが、本日は休業日でして」
男性を見上げながらクララが謝罪すると、彼は印象的な碧眼の瞳でにこっと笑う。
短髪の彼の髪の中で唯一長めの前髪が、夜風に吹かれてサラッとなびいた。
「いや、今日が店の休業日なのは知っていたから、気にしないでくれ」
「そうでしたか。明日は営業しますので、よろしければまたお越しください」
深々と頭を下げたクララは、男性に背を向けると歩き出した。
「『おい、おまえ、俺の姿が見えているだろう? どうして、何も反応しない?』」
「……えっ?」
聞き覚えのある台詞に思わず振り返ったクララに、満足げな笑みを浮かべた男性。
続けて、言葉を投げかけた。
「『お~い、さっき目が合ったのはわかっているぞ。俺を無視するな!』」
「まさか、あなた……エズラなの?」
信じられないと言わんばかりのクララに、男性は眼鏡を外し顔を近づけてくる。
そこにあったのは、見慣れたあの顔……金髪に緑眼のエズラその人だった。
◇
「もう、びっくりするじゃない! 来るなら来るって、先に言ってよ!!」
店のカウンター席に座ったクララは、隣にいるエズラに不満をぶつけていた。
「クララを驚かせようと思ったのだが、先触れを出しておいたほうがよかったのか……」
すまなかったと謝るエズラに、口を尖らせていたクララが吹き出す。
「ふふふ……冗談よ。エズラに驚かされて悔しかったから、ちょっと意地悪を言いたかっただけなの」
「なんだ、そういうことか。またクララの機嫌を損ねたかと、肝を冷やしたぞ……」
胸に手を当て明らかにホッとした様子のエズラを、クララはまじまじと観察していた。
以前は一つに縛られていた長い髪が、今は短髪になっている。
耳に届くエズラの声が、クララの記憶にあるものとは若干違う。
顔の血色が、今日は良いように感じる。
着ている服は前とは別物で、さらに瞳の色が変わる眼鏡までかけていて、顔をよく見ないとエズラとわからないようになっていた。
「俺の顔に、何かついているのか?」
「ううん。エズラが以前とは別人みたいだから、多少違和感があるだけ」
「そうだろう? 俺は生まれ変わったからな、クララがそう見えてもおかしくはない!」
うんうんと自分で納得したように大きく頷いているエズラに、クララはまた笑いがこみ上げてくる。
「もし、エズラが物語みたいに本当に生まれ変わっていたら、まだ生まれたばかりの赤ちゃんよ。こんなに大きいはずがないわ。まあ……あなたは霊だから、変幻自在ってことよね」
「『霊』って、誰のこと?」
「もちろん、エズラのことよ。あちらの世界に行っても、また会いに来てくれてありがとう」
「うん? あちらの……世界?」
「そういえば、婚約者の彼女とは仲良くやっているの? 皆があなたの悲恋を嘆き悲しんでいたし、私は家族の話も聞いていたから、向こうで彼女と幸せに暮らしていたら嬉しいわ。そうだ! 事情があったとはいえ、私と書類上は夫婦だったことは、きちんと説明をして謝っておいたほうがいい……」
「……ちょっと、待った!!」
突然眼鏡を外し、エズラは聞いたこともないような大声を張り上げた。
クララは驚いて飛び上がるが、彼は頭を抱えたまま微動だにしない。
時折「どうりで、驚きが少ないと思った」や「まさか、話がかみ合っていないとは……」とブツブツ呟くエズラを、クララは不思議そうに隣から眺めている。
「えっと……何から話せばいいのか頭の整理はつかないが、まずは大きな誤解から解いていこうと思う」
「エズラが何のことを言っているのか、よくわからないけど……どうぞ」
首をかしげながら先を促したクララの手を、エズラは両手でそっと包み込む。
「クララ、どう、わかった?」
「すごい! エズラの手の温もりがわかるわ!! 前は一瞬だったけど、こんなこともできるようになったのね」
感動するクララに、「これでは、ダメか……」とため息を吐いたエズラ。
少し躊躇したあと、今度は彼女をギュッと抱きしめた。
「いきなり抱きしめてすまない。でも、これならクララもわかるだろう? 俺の体温とか、息遣いとか、鼓動とか……」
「エズラから良い匂いがするけど、気のせいよね。でも、あなたの激しい動悸を感じるのは、なぜ?」
「それは、君を抱きしめているから……って、そうじゃなくて、これでわかっただろう? 俺は霊ではない」
「……えっ?」
「生きているんだ」
「…………へっ?」
「俺は、死んではいない」
「………………ええええ~!?」
店内に、クララの大絶叫が響き渡った。
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