第6話 転機


 カフェ店内での私は、客へ商品を提供したあとは叔母と同じように客席が見渡せるカウンター席の内側に座る。

 客の様子を見ながら、恋愛相談に乗ったり、読書に勤しんだり、エズラの口述から紙へ書き留める作業をしていた。

 新作の執筆は、順調そのもの。

 以前、版元に持ち込んだ原稿はエズラ指示のもと私が清書をして、先日無事に納品を終えたばかり。

 手直し作業で何度も繰り返し読み内容をそらんじれるくらいの私だが、きちんとした書籍で読み直すことを今からとても楽しみにしている。



 ◇

 


 カウンター越しに、私は相談者の女性の話を聞いていた。

 店が狭いこともあり、なるべく相談者には小声で話をするようにお願いをしている。

 私は他の客に相談内容が漏れ聞こえることが非常に気になってしまうのだが、あまり気にしない人が多いようだ。

 先日の相談者は人目を憚らず泣き崩れ、私のほうがあたふたしてしまった。

 常連客の皆さんは慣れたもので、そんな光景もこのカフェの日常風景となりつつある。


 女性の話を聞きながら彼女の守護霊へ顔を向けると、渋い顔で大きくかぶりを振る姿が見えた。

 守護霊が感じ取った相手の本性が、私にも伝わってくる。

 やはり、守護霊が反対する人物はお薦めできない。

 

「残念ながら、彼はあまり誠実な人ではないようです……」


 良いことも、悪いことも、私ははっきりと伝えることにしている。

 その上で、今後どうしていくのか判断をするのは相談者自身だ。


「やっぱり、そうなんですね。実は、私も薄々とはわかっていたんですが、なかなか踏ん切りがつかなくて……でも、ようやく目が覚めました。彼とはきっぱり別れることにします」


 ハンカチで目頭をおさえた女性は吹っ切れた顔で立ち上がり、「次は、いい男を見つけます!」と宣言し帰っていった。

 世の中には、誠実な男性もたくさんいる…はず。

 だから、彼女には是非とも前を向いてほしい。

 

 女性を見送ると、まずは両腕を上にあげてグッと伸びをする。それから、カップの片付けを始めた。

 今日は重い内容の相談ばかりで、少々疲れたかもしれない。

 他に客が誰もいない静まり返った店内に、パチパチと拍手をする音が聞こえてきた。

 音の発生源は、もちろんエズラ。

 彼は先ほどの女性が座っていた席の隣に座り、一緒に話を聞いていたのだ。

 以前は霊体が不安定なこともあり、日が出ている時間帯は私でも彼の姿が目視できないときもあったが、今は昼間でもはっきりと確認することができる。


「……どこにでも、不誠実な者はいるのだな。事が起こる前に彼女たちが別れる決心をしてくれて、本当に良かった」


「『事が起こる』って、フフッ、エズラの貴族物語じゃあるまいし……」


「人と人が関われば、些細なことでも事件は起きるものだ……特に、男女の間では。でも、クララぐらい慎重であれば、悪い男には騙されないだろうな」


 これは、素直に褒め言葉と受け取ればいいのだろうか。

 つい、エズラに意地悪を言いたくなった。


「でも、悪い男かどうか見極める前に、私はどこぞの男前さんと結婚させられましたけど?」


「お、俺は悪い男ではないから、大丈夫だ!」


 自分で「俺は悪い男ではない!」って言っちゃうの?と冗談めかして尋ねたら、エズラは少々口を尖らしプイと私から顔を背ける。

 こういうところも、本当に子供っぽいなと思う。

 エズラ本人は気付いていないようだけど。


「そうそう、いくら自分の姿が見えないからといっても、真横で話を聞くのはさすがにどうかと思うわ。守護霊たちも、エズラが気になっていたようだったし……」


「俺は全然気にならなかったが、クララの仕事の邪魔になるようなら少し離れるとしよう」


 店内をぐるりと見回したエズラが「ここにしよう」と腰を下ろしたのは、カウンターの一番端の席だった。

 聞けば、ここがエズラの定位置だったとのこと。

 ずっとそこで話を聞くつもりなのかと呆れる私に、エズラは「新たな着想を得るためだ」と微笑んだ。


「もしかして……新作を執筆する気になった?」


「そうだな。彼女たちの恋愛の悩みを聞いていて、俺なりの『恋愛物語』を書いてみようかと思い付いたのだ。もちろん、こちらは貴族物語と違い明るい話だぞ」


「それは、読むのが楽しみだわ。あなたなら、きっと素敵な作品が書けるわよ!」


 彼と結婚してから、ひと月あまり。

 これまでとは異なる種類ジャンルの作品を執筆しようと、意欲を見せたエズラ。

 彼が前向きな姿勢になったことが嬉しくて笑顔になった私に、エズラも笑い返してくれたけど……すぐに目を伏せた。


「クララとは、別の形で出会いたかった。それなら、これからも……」


「『別の形』って、『人と人』ってことでしょう? エズラが『人』として元気になったら、いつでも店に来てくれればいいのよ。借金の返済だって、まだまだあるのだから」


「…………」


「いくら本職が忙しくなるからといっても、一週間とか月に一回くらいは自由な時間もあるでしょう? エズラの気が散らないのであれば、ここで一日中執筆してくれても構わないわ」


「それが実現できたら、どんなに幸せだろうな……でも、俺の立場ではどんなに願っても叶わない」


 力なく笑うエズラの体の色が心なしか薄くなったような気がして、私は慌てて別の話題を振ったが、彼はそれには乗らず話を続ける。


「どうして俺が『貴族物語』を書けるのか、クララは疑問に思ったことはないか?」


「……えっ? だって、物語なんだからすべてエズラの創作でしょう?」


「いや、作中で起こっていることは、を参考にして書いている。もちろん、登場人物たちの名や爵位・国名などは違うし、脚色部分も多分に含まれているから、たとえ当事者が読んだとしても気付かないだろうが」


「実際に、エズラが見聞きしたもの……」


 エズラの言葉で、瞬時にすべてを理解する。

 思い返してみれば、これまでの彼の話の節々にそれらしい言葉があった。


 『知り合いの霊媒師のところには真っ先に会いに行ったが、も……』

 『周りには治癒士がいて……』


 大勢の弟子がいるのは高名な霊媒師たちで、彼らは市井しせいにはおらず貴族のお抱えとなっている者がほとんど。

 それに、治癒士を複数人依頼すれば高額な治療費がかかるため、庶民では一人にお願いするのがやっとだ。


「……エズラは貴族なのね。それも、それなりの爵位を持つ家の……」


 なぜ今まで気付かなかったのか、自分の鈍感さに心底あきれてしまう。

 育ちが良いとは思っていたが、大店の子息くらいとしか思っていなかった。


「実は、俺は……」


 先を続けようとしたエズラの言葉を遮るように、客が来店した。

 その後も次々とやって来る客の対応に私が追われる中、エズラは静かに隅の席に座って待っている。


「ねえ、クララちゃん。さっき町で売っていたから気になって買っちゃったんだけど、この噂を知っていた?」


 声をかけてきたのは、昔からの常連客の一人であるハンナだった。

 叔母よりも年上である彼女が手にしていたのは、嘘か誠かわからない有名人のゴシップネタが印刷された瓦版。

 それをよく店に持ってきては、私にも見せてくれるのだ。


「ハンナさんは、ホント好きですね。それで、今日はどんな噂話が載っているんですか?」

 

「それがね、第四王子殿下が危篤状態なんですって! まだ、十六歳とお若くて、婚約者もいらっしゃるのにねえ……」


「それって、本当の話なんですか? こんな記事を載せて、不敬罪に……」


 何気なく瓦版へ視線を送った私は、言葉を失う。

 そこには、身近な人物に酷似した肖像画が大きく掲載されていた。

 記事には、関係者の話として『ひと月前から第四王子であるエンズライト殿下が危篤状態にあり、今なお予断を許さない』とある。

 震える手で瓦版を握りしめた私が顔を向けたのは、エズラが座っている場所。

 彼は視線を逸らさずこちらを向き、肖像画と同じ余所行きの顔で微笑んでいた。


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