甘え上手な銀髪後輩ちゃんの夜食

 かりかり、と紙面の上をシャープペンシルがなぞる音が部屋中に響き渡る。

 今の時間帯は深夜の2時ぐらいといったところで、そろそろ寝ないと明日に響く……なんていう心配をしなくていいという週末の良さを噛み締めながら、俺は黙々と問題集に書かれている問題をノートに写しつつ、それをひたすらに解きまくっていた。


「……」


 俺個人の部屋の中は照明の光と夜の闇が半々入り混じっている状態であり、きっと今ごろは母も妹も、そして今日泊まりに来た後輩の山崎も高いびきをかいているに違いない。


 気づけば、俺は中学生の時からこうして家族が寝入った後の夜遅くまで勉強することが習慣になってしまったのだが、こうしていると……あまり人には同意を得られないのだが……気分が落ち着くような気がしてならない。


「……ふぅ……」


 とは言え、勉強を再開して2時間が経過すると流石に疲れを覚えてしまう。

 そもそも、先ほど勉強の気分転換がてらコンビニに赴いて何か夜食でも食べようとした矢先に俺が勉強を教えている後輩が不用心にもいやがったものだから、ついつい後先を考えず彼女を家に招き入れた所為で、俺は家族2人から彼女のことについて色々と言及されてしまったのも疲れている要因の1つだろう。


「……明日の朝飯はカップラーメンにでもするか……」


 その所為で結局俺はカップラーメンを食べることも、作ることも出来ないまま、たった1人で黙々と勉学に励んでおり、腹の虫が今にも聞こえてきそうですらある。


 とはいえ、山崎をこの家に連れてきた事に俺は一度たりとも後悔していない。

 というのも、お風呂から上がった後の彼女から聞いた内容ではあるのだが……どうにも山崎の父親は中学生の時に離婚して離れ離れとなり、山崎の母親は仕事で4月の中旬から海外出張に出掛ける事になってしまったようであるらしいのだ。


 天涯孤独という訳ではないとはいえ、それでも多感な時期を1人で過ごすというのは最初のうちは我慢できるものかもしれないが、流石にそれにも限度というものがあるだろう。


「……天涯孤独、ね……」


 天涯孤独という単語でついつい連想してしまったのだが、もし俺が都内の大学に入れたのであれば俺の生活は一体どのような変化を遂げるのだろうか?


 何となく想像できそうで、だけど全く想像できなくて。

 それでも具体的な何かを想像しようとして――盛大に俺の腹の虫が鳴った。


「……寝るか」


 勉強もひと段落ついた頃合いであるし、俺は机の上のライトの電源を消そうと手を伸ばそうとした矢先、俺の部屋の出入口であるドアから、こんこん、と控えめなノックの音が聞こえてきた。


 家族がこんな時間に起きているにしても珍しいことがあるものだと思って、俺は何も考えないまま背後にあるドアの方にへと視線を向け、入っていいという意味合いで何も考えずに声を出す。


 俺の声に反応したドアの向こう側にいる誰かが扉を恐る恐るといった風に遠慮がちに開け――そのドアの隙間から来るとは思っていなかった珍客の姿がそこにあった。


「先輩、お疲れ様です。あの、その……こんな時間ですけれども、お夜食でもいかがですか……?」


 遠目から見てもお湯が見えるぐらいに暖かいのであろう2人分のカップラーメンと割り箸を持ちながら、そう言ってきたのは山崎シエラであった。




━╋━━━━━━━━━━━━━━━━━━━




 ――眠れなかった。

 先輩の妹様の部屋で寝ている私はどうしても眠れなかった。


「……」


 私が眠れないのは隣から聞こえてくる同級生の寝息の所為だろうか。

 ただ単純に枕が変わると眠れないだけというのも理由だとは思うのだが、昔から私は周囲に人がいると眠れなかった。


「……歌乃さんは寝ているのね……」


 すっかり暗闇に慣れてしまった私の目はうっすらと横たわる彼女の寝顔を映し出しており、同時に私は彼女に対して幾分かの疑問を抱えていた。


 疑問と言っても、どうして自分という人間がいるのに自分の意識を手放しているのだろうか、というものなのだが。


「……自分は私に襲われないと思っているのか、それとも最初からそんなことすら思っていないのか……」


 幼稚園の時から私は眠る時には自分の部屋に鍵をかけて、誰も侵入してこないようにしてきたし、小・中学生……もちろん、高校生活の時にでも、私は教室内で眠るだなんていう真似をした記憶はただの一度もない。


 ――私は昔から人間というのを信じられなかった。

 自分が何も出来ない寝込みの瞬間をきっと誰かが狙っているに違いないと私は昔から信じて疑わなかった。


「……」


 だから、私は今まで生きていく間に何度も何度も嘘をついて生きてきた。

 そうした方が生きやすいから、そうしてきた。 

 そうしないと耐えられなかったから、嘘という鎧で身を固めるしかなかった。


 自分は苦しくないと、自分自身に何度も嘘をついてきて耐えてきた。


「……お腹、空いた……」


 そう言えば、昨日から私は食料らしきものをまだ何も口にいれていない。

 当然と言えば当然なのだが、1人暮らしをしていると食事を行うタイミングというものは自分1人で決められるので、私はあのコンビニから出た後は誰もいない自宅に帰ってカップ麵を啜る予定にあった。


 だがしかし、あの先輩の所為で……いや、先輩のおかげでその当初の目的は果たされる事はなかった。


 もちろん、風呂場で義母様の目の前でみっともなく数分泣いていたという事実も相まって、頭がなんだか疲れたような錯覚を覚えてお腹が空いてしまっているというのも関係しているのだろうけれども。


「……ふふっ……」


 そう考えると、今日は色々とありすぎてそれを思い返すだけでも自然と笑みがこぼれ落ちるのを自覚しながら、私はもぞもぞと毛布の中で蠢いては布団の外から出て、近くに置かれてある自分の手荷物からカップ麵を音を出さないように取り出し、寝室から廊下に出ると――隣の部屋から何かしらの光が漏れているのが目に見えた。


 この光が誰の所為で発生しているのかなんて、考えるまでもない。

 隣の部屋にいるのは先輩で、彼はきっと夜遅くまで勉強に励んでいるのだろう。


 私は内心で先輩は凄いな、と舌を巻きつつ、先ほど彼と交わした約束を思い出していた。


 ――だったら、家まで送るご褒美として俺にその大量にあるカップ麺を1個くれ。それでいいだろ? 実を言うと俺も小腹が空いてカップ麺を買おうとしてたから、それでトントンって言うことで――。


「……」


 彼は偶々小腹が空いたからコンビニに行っただけで、そこで私とばったりと出会ってしまって、そして私を1人で夜道を帰らせるのが心配だから、あぁ言ってくれた訳で。


「……全く。私なんかと違ってお人好しなのよね、先輩は……」

 

 私は困ったと言いたげに、それでも少しだけ笑顔を浮かべながら、ため息を吐き、先輩の家のリビングにへと向かう。


 今の私は招かれている客人とはいえ、勝手にこの場にいるのはあまり褒められたものではないのだろうと思いながらも、明かりをつけないままキッチン方面へと向かって、洗い場の排水口やゴミ箱をチェックする。


 予想通りというべきか、幸いというべきか、ゴミの様子を見るに直近1時間はここで何か調理をした形跡が見られなかったので、私は近くにある電気ポットを無断で拝借して2人分のカップラーメンのお湯を入れてから電源を入れる。


 そして、私は足取り軽く再び自分の手荷物が置かれている寝室へと再度向かう最中で先輩の部屋にまだ明かりが漏れ出ていることに対して胸を躍らせつつ、寝ている妹様を起こさないように足音を殺しながらもう1つのカップラーメンを回収し、またキッチンへと戻っていく。


「……早く沸いてくれないかしら……! 早くしないと先輩が寝ちゃうかもしれないじゃないの……!」


 我ながら馬鹿なことだとは思うのだけれども、ただただ空腹を満たすだけの食事にこんなにも胸を躍らせる日が来るだなんて思いもしなかった。

 しかも、それはどこにでも売っているようなカップラーメン。

 なんて、ロマンチックの欠片すらない食事内容。

 自分が作っただなんて口が裂けても言えないようなモノで、女性が作るモノだなんて到底思えないモノで。

 こんなのを受け取って、嬉しい殿方なんて存在する訳がないのに、それでも私は――。


「……よし! 沸いたわね、じゃあ急いでお湯を入れて……3分! あぁもう早くしてくれないかしら……!?」


 深夜に1人で食べるカップラーメンなんて、とても日常的なものであったのだけれども、私はこれから2人で食べる深夜のカップラーメンなんていう背徳感の塊にしか思えない所業に手を出そうとしている事に、私は夢見る乙女のように心を躍らせていたのでした――。




━╋━━━━━━━━━━━━━━━━━━━




 ずるずる、とカップ麵を啜る音が2つ分、部屋中に満ち溢れる。


 言葉なんて要らないと言わんばかりに、黙々とそれを食べ終えて。

 いつしか寝る予定だったのに食べ物を食した所為で眠気が醒めてしまった彼らはお互いに笑いながら、いつしか一緒に勉強をし始めた。


 勉強に行き詰まったら他愛もないような雑談を。

 雑談に飽きたら再び勉強を。

 また勉強に飽きて、まだ雑談に飽きて。

 それでも何度も襲い掛かってくる眠気には負けたくない彼らは時には真面目な表情を浮かべながらペンを紙面の上に走らせ、時には緩み切った表情を浮かべていつも通りの会話を交わしていく。


 彼らがそうしている間にも、時計の針は回り、世界は回り、彼らを取り囲んでいた深夜の夜空は段々と明るくなっていて、気づけば鳥の鳴き声が外から聞こえてきて、朝の6時ぐらいには流石の彼らも静かに寝息を立てていた。


 長く伸びて広がる見事な銀髪と、短く伸びた黒髪が布団の上で重なっており、彼らは全く同じタイミングで息を吸っては、息を吐き出し、すやすやと心底安心しきった表情を浮かべながらも、お互いの顔がまるで接吻でもするかのような状態で、身体が自然と密着してしまった状態で、お互いに見つめ合うような体勢で、同じ布団の上で。


 土曜日の昼の12時になるまで、彼らは惰眠を貪っていた――。






















「私の兄さんと私の親友が交尾してる!!! 私の部屋の隣で交尾しやがったんだこいつら!!!」


















 ――彼の妹に起こされるその瞬間まで、彼らはこの状況を他人が見たらどう思うのかなんて全く気付かないまま吞気に寝ていた所為で、彼らはこの後、必死になってアリバイなんて一切ない言い訳を述べることとなった。

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