甘え上手な銀髪後輩ちゃんは見つめてた

「題名をつけるとしたら、茫然自失、かしら」


 炊いたばかりの赤飯をよそいながら、ニコニコとそう言ってみせたのは俺の母親であった。

 彼女はいつも通りの割烹着を身にまといつつ、寝すぎてしまっていた俺と山崎に昼食を用意してくれたのは普通に感謝するしかないのだが。


「ねぇ兄さん、シエラちゃん大丈夫?」


「そうねぇ。お母さんも心配になるぐらいぽけーっとしてるものねぇ。かわいいわねぇ」


「……」


 あぁだこうだ言う家族を捨て置いて、俺は当たり前のように横に座っている銀髪美少女の後輩の方を横目で見ると、彼女は文字通り茫然自失としていたのが目に映った。


 俺と母に妹、3人の目線の先には現状をまだ把握しきれていないのか、あるいは寝起きの低血圧によるものなのか、目と口をアホのように大きく開けたまま静かに停止していたのである。


「――――?」


 まるで自分に何が起こっているのか分からないと言わんばかりの表情を浮かべている彼女は目の前に遅い朝ご飯がやってきたというのにも関わらず、ぽけーとしており、コップに入った麦茶を口に入れようとして眼球の中に入れようとしているぐらいには心ここにあらずの状態であった。


「山崎。起きよう、な? そろそろ起きよう?」


 すぐ近くにいた俺は彼女の眼球とメガネを守るべく彼女のコップから麦茶が零れ落ちないように取り上げて、再び彼女の眼前にある食卓の上に置くのだが、それでも彼女は反応を起こす訳でもなく、いつまでたってもぼんやりしたままであり、そんな様子の俺たちに対して妹は我慢ならないと言わんばかりに声を出した。


「まぁシエラちゃんの気持ちも分からなくないけれども。だって、朝起きたらすぐ近くにパジャマ姿の異性が自分のすぐそばにいる訳でしょ?」


「そうねぇ、それで何もされなかったというのなら……ねー?」


「ねー」


「女2人で何勝手に好き放題言いやがるんだ」


「そうは言うけれども清司。あんた、自分が何をやらかしたのか分かっているのよね?」


「いや、だから本当に俺は何もやってなんかいなくてですね……!?」


「何もやってないのがアホなのよ兄さんは」


「じゃあ、本当にすればよかったって言うのかよ……!?」


「最低ね兄さん」


「どうしろって言うんだよ!?」


 あぁすれば駄目、こうすれば駄目と逃げ道を完全に塞がれてしまった俺であるのだが、そんな俺をこうすれば良かったのにと笑顔で助言をしてくれたのは俺の母親であった。


「キスすればよかったのよキス」


「そんな事、出来てたまるかぁ!?」


 俺は反射的にそんな大声をあげると、すぐ近くにいた山崎はびくりと身じろぎをして、目が覚めたのかこちらの方をわなわなと震えながら見つめていたのであった。


「はうっ!? ごめなさ――って、先輩!? アレ!? ここ先輩のお家ぃ!?」


 まるで昨日の記憶が抜け落ちてでもいるのか、斬新なリアクションを取ってみせる彼女はすぐさま、はっとした表情を浮かべると生温かい目線で見つめている俺の家族たちの方にへと視線を動かした。


「あら~。おはよう山崎ちゃん」


「おはっ!? おおお……おはようございますお義母様! いえ、その、今朝のは……ごごご、誤解です! 私と先輩はまだそういう関係ではなくてですね!?」


「……まだ?」


「にゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」


 言葉の綾を指摘されただけだというのにも関わらず、山崎は本当に恥ずかしそうに赤面をしてはその顔を隠すように両手で覆い隠していた。


 なんなら横にいる俺には絶対に見せたくないのか、俺がいる方向とは真逆の方に身体の向きを変えたので、俺のすぐ横には山崎の背中が見えてしまう状況である。


 それも本来着るべきサイズとは違う小さい妹の衣服であるので、ぶかぶか……とは真逆の、ボディラインがくっきりと見えて、見るからに窮屈そうで、色々と目のやり場に困っていたので俺個人としてはとても助かるのだが……それはそれとして、無意識のうちに彼女のお尻の方に目が行ってしまうので、視線のやり場に困ってしまうのが実のところである訳なのだが。


「……兄さん、最低」


「いや俺まだ何もやっていないんだってば!?」


「目つきがケダモノのソレなんだけど……」


「違う! 本当に違うんだってば!? 俺はそういうつもりで見ている訳じゃ……!」


「あら~。見たことは否定しないのね? ふぅん?」


 母親がまるで新しいおもちゃを買い与えられた子供のような表情を浮かべながらそう言うと、今度は山崎の恥ずかしさの容量が限界突破してしまったのか、ついにはその場に猫のように背を丸めては座り込んで。


「……うにゃぁぁぁあああ……!」


 まるで絞り出すような、けれども聞いていてなんだかゾクゾクしてしまうようなとても可愛らしい声をあげるのであった。


「まぁお母さんとしては別に清司が誰と付き合おうとしても構わないのだけれども」


 そう言いながら、赤飯を箸で掴んで食べて、ずずっ、と熱いお茶を啜っては流し込んでいく母親に対して、俺と山崎は2人で彼女に対して必死に言い訳を述べた。


「だから、母さん! 俺と山崎はそういう関係じゃないってば! それに俺は大学受験があるんだからそういう事をしている暇もないし!」


「そ、そうですよお義母様! なんなら来年は私が大学受験をしなくてはいけません! そもそも私と先輩はただ単に先輩と後輩の関係でして! 確かに男性と女性という間柄ではありますが! 色々あって先輩の部屋に許可を貰って入り込みましたが!? なんだかんだ一緒に一夜を共にしましたが!? まだそういう一線と言いますか……! 色々とまだなんです! 未遂なんです!」


 色々と言い募る俺たちであったのだが、母親の目は明らかに面倒くさいと言わんばかりの色をしていたのであった。


「あなた達がそう言うのならそうなのだろうけれども、現場的にも明らかにアレだったというか、真っ黒というか……そんなことよりも山崎ちゃん。あの状況はすっごく大チャンスだったじゃないの。既成事実を作ってしまえば清司はヘタレで真面目なんだからもう逃げられなかったのに」


「母さんは息子の前でなんて事を口にしやがるの!? ねぇ!?」


「お母さん、お父さんをそうして手籠めにして清司を作ったわよ」


「息子の前で息子が出来た時の話をしないでくんない!? 明らかに昼食で話すような内容じゃあないよねこれ!?」


「あぅ……! あぅぅぅ……! うぅぅ~~~~~~! そうすればよかったのにぃ……! いざやると嫌われるんじゃないかって思うとどうしても怖くてぇ……! ずっとこういう関係でいた方が傷つかなくていいから日和ってしまってぇ……!」


「ほら見ろ! 母さんが寝起きの山崎に色々言いやがるから錯乱してるじゃねぇか!?」


 いつまでもこんな所にいれば、永遠に俺たちは目の前にいる家族2人に弄り倒されると確信した俺は急いで用意された昼食を口の中にかきこんで、ぱん、と両手を合わせてご馳走様でしたと声を出した。

「じゃあ俺は自分の部屋に戻るから!」


「あ、待ちなさい清司。まだ面白い話を聞くのは終わっていないのだけれども」


「今日中にやらないといけない課題があるの! 察して!」


 とにもかくにも、俺は急いでその場から逃げて自分の部屋に戻った。

 当然、起きた瞬間には色々とあったので意識する暇もなかったのだが、すんすんと軽く匂いを嗅いでみると、鼻腔に山崎の匂いがして……思わず、胸が痛いぐらいに脈打って、まるで心臓が皮膚を破って外に出てしまいそうな勢いで高鳴っていた。


「……勉強勉強!」


 色々と湧いて出てきた雑念を取り払うようにそう言葉に出しつつ、やる気を入れる為に両頬を思い切り叩いて俺は椅子に座って勉強机へと向かったのだが、ふと気づけばくんくんと匂いをかいでしまっている俺がおり、今度は自分の鼻を摘まむのだが、視界の隅に何かあるのを目で捉えてしまっていた。


「……あ」


 そこにあったのは汁まで飲み切った空のカップラーメンの容器が2つあった。

 当然と言えば当然なのだが、ゴミというものは片づけなければ消えない訳で。


 ……いや、ここでいう問題はそんな事なんかじゃあない。

 本当の問題点はこのカップラーメンの容器という生活跡にして存在が、俺と彼女が一夜をどういう形であれ共にしてしまったという証左に他ならないという点なのであった。




━╋━━━━━━━━━━━━━━━━━━━




「あら、うちのバカ息子が本当に部屋に戻っちゃったわね。にしても、山崎ちゃんと一緒に一夜を過ごした場所だというのに良く戻れるわね。そこまで頭が回っていないのかしらね。今頃どうせ1人で悶絶してるでしょうに」


 山崎ちゃんはゆっくり食べていいからねー、なんて間延びした声でそう言ってくれるお義母様の言葉を耳に挟みつつ、私は昨晩の……いや、厳密的に言うのであれば今日の2時から6時までの出来事を勝手に思い返してしまい、こんな緩みに緩んだ表情を人様にはとても見せられないので私は顔を覆い隠した体勢のままであった。


「ところで、清司がいなくなったから聞きたいんだけれども……山崎ちゃんは本当に清司に何もしなかったの?」


「………………………………しちゃいました」


 私は長い沈黙を打ち破って、先輩についていた嘘を彼女たちに開示した。


「やっぱり交尾したんだ!?」


「落ち着きなさい歌乃。それで? ねぇねぇそれで? しちゃったの? してしまったの!? 清司が来ないうちに聞かせて頂戴な!」


 私は恐る恐る顔を上げ、周囲の様子を見渡して先輩がいないかどうかだけを確認して、その事を口にしようとして――やっぱり先輩が隠れているんじゃないかと思って、再度周囲の様子を見渡す。

 本当に先輩の姿がそこにはなかったので、私は再び自分の背をまるでアルマジロのように丸めてから、私は自分の犯してしまった罪を告白するように口にした。


「……その、私よりも先に寝付いた先輩の手を、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ触って、あと筋肉とか触って……腹筋とか、腕の筋肉も触って……あと、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、手を握って、手を絡めて……後は、その、先輩の唇を、柔らかかったあの唇を、少しだけ、本当に少しだけ……10秒ぐらい、その、顔を近づけて、ちょっとだけ息を止めて――」


 けれどもやっぱり、全部を言ってしまうのは余りにも恥ずかしかったから、私はまた息をするように嘘をついた。


「………………………………見てただけなんです」


 私がそう言うと同時に目の前にいるのであろう彼女たちは年甲斐もなく黄色い声を出していたのであった。

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