第七十七話 でももあさってもないのじゃ

「なんじゃこれは……まるで地獄じゃの」


 それはまだ始まりに過ぎなかったんだ。

 

 ぶぉっと空気が揺らぎ、その音の先を見ると大妖ハデスが四本の腕を持ち上げ、のけぞっている。

 ドォォォンッという爆音とともに、その指先を勢いよく地面に打ちつけた。


 見る見るうちにそののめり込んだ拳から、真っ黒い管がまっすぐ伸びていく。それはたちまち竜宮城を抜けて、枝分かれしながら、王都エテルネルの城下に広がっていった。

 


 街道の石畳がめくれ上がっていく。

 街道を蹂躙じゅうりんした血管は、シュウシュウと赤黒い蒸気を吐きながら、そこら中をのたうちまわった。


「……だぁ」

「うわぁ……」


 時折吹き付ける風に乗って悲鳴が流れてくる。


 ワルレー軍卿が口元をハンカチで押さえながら

「大妖ハデスが自らの血管を伸ばして、瘴気をばら撒いているのだ」

 と、くぐもった声で答えてくれた。


「伝承によれば、アレを吸い込んだ者どもは正気を失い、見る者全てが襲いかかってくる敵に見えるという。そして互いに殺し合い憎しみが地を満たす」

 つまり――と顔を歪めた。


「憎悪に満たされた魂が出来上がる。それを喰らうのが大妖ハデスだ」


 とそそり立つその元凶をおぞましげに見上げた。

 大妖ハデスが現れたのは、竜宮城の兵部のあったあたりだ。その地下の神殿から地表を突き破って出てきたから、オレたちのいる物見櫓ものみやぐらからはほんの二、三十メートルも離れていない。


 ときどきみじろぎする化け物が、首を回して禍々しい嗤いを浮かべるものだから、こちらも生きた心地がしない。


 城下には黒い霧のようなものが立ち込めて、パンパァンと、あちこちで同志撃ちをしている銃声が聞こえる。


むごいの」

 と思わずクロウさんが呟いた。


「そろそろこちらにも瘴気が流れてきます」

 結界を展開しているシズ姫から注意がうながされ、太郎さんが見返してうなずいた。


「我らも退避した方が良いでしょう」


 と太郎さんが促したときだ。

 ヴィィィィ――ンッとスズメ蜂の羽音のような重低音が聞こえた。

 それに目を向けると、空にゴマ粒のような黒点がポツポツと現れ、たちまちビー玉ほどの大きさに近づいてくる。


「いかん、飛行籠トンボじゃ。爆撃する気じゃ」

 早う逃げよ、退避じゃ、と皆を押しやる。


 脳裏には正門の櫓ごと破壊されたあの爆撃された風景が蘇っていた。

 ワルレー軍卿とカトー大佐が、流れるように物見櫓のハシゴを降っていく。


「太郎殿、王族の廟の隠し通路までみんなを引率してたも。七郎も連れて行ってたもれ、シズ姫は引き受けますほどに」

 と声をかけると、シズ姫に何かを言いたげに目をやる。

 だが、「太郎殿、すぐに追いつきますゆえに早う」と急かすクロウさんの声に押されるように


「クロウ殿、頼みますぞ」

 と言い残して七郎さんを連れてハシゴを降りていく。


「さぁ、シズ姫も早う」

 と腕ごと振り回して急かすクロウさんに、シズ姫はかぶりを振り舞を続ける。


「皆が退避するまで結界を維持しなくては――」


「馬鹿を申すな、その前に飛行籠トンボの落とす爆弾で焼き殺されてしまうのじゃ」


「でも……」

「でもも、あさってもないのじゃ。どちらに転んでも危ういのなら、逃げるが勝ちじゃ」


 御免ごめんと言うと、シズ姫をあっという間に抱え上げてしまう。ここら辺は『波動を筋肉に通し――』とやっていた成果なのか、信じられないくらいの力を発揮した。


「良いか? シカとつかまれ」


 と言うが早いか、物見櫓の舞台から飛び降りた。


「うわぁぁぁぁ――っ」

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