虫取り行ったら女の人がいた、殴った。

東雲の幻想屋

それはもっとも暑い夏の日の出来事だった。

突き刺さるような暑さ、澄み渡る空、ふわふわと綿飴のような白い雲、そこかしこに聞こえる蝉の鳴き声。


全身に夏という感覚を浴びながら目的地まで進んでいく。

装備は虫取りかごと虫取り網と水筒、そして己の精神と肉体のみ。


十分だ、この日のためだけに全てを準備したと言っても過言ではない。

歩き続けて1時間ほどか、ようやく目的地に辿り着いた。


そこは祖母に絶対に入るなと言われた裏山。

鬱蒼とした木々がまるで怪物の口を表現しているようで、山自体が別の生き物のような雰囲気を醸し出している。


なんでも人がここに入ったら二度と戻って来れない、という噂があるらしい。

実際親戚の子供とその友達が虫取りをしにいったまま帰ってこなかった、肝試し感覚で遊びにきた不良集団や散歩でこの山の近くを通ったきりの老人等と多くの行方不明者を出しているこの魔の裏山。


しかして子供のなのでそんなことは知らぬ存ぜぬと吐き捨て古びた看板を蹴り飛ばし有刺鉄線を剥がして奥へと進んでいく。


一歩入れば異世界、その言葉を体現するかのように森の中は異様に涼しかった。

今日は気温が高く日差しが痛いから非常にありがたい。

滴る汗を拭い、道なき道を進み生い茂る草木をかき分けて突き進んでいった。


親にバレればタダでは済まない、母は噴火し父には雷を落とされる。

だがそんな危険を冒してまでここにきたのは訳があった。


カブトムシが欲しい、ただそれだけのためにここにきたのだ。


誰もが夢憧れる存在、それが欲しい。


夏休み終了まで残り2日、明日は家に帰らなければならないので実質1日。

宿題は全部終わらせてきた、あとは時間との勝負。

一分一秒無駄にしてる暇なんてない、一刻も早くカブトムシを捕まえなければと考えて現在に至る。


気がつけば誰かが通っていたであろう獣道を見つけた。

その証拠に大きな木に文字が書かれている、痕跡からして約一年前だろうか。

まあ今はそんなことを考察してる場合じゃないと奥へと足を運ぶ。


歩き続けて途中休憩を入れつつ約3時間ほどいったところだろうか、鬱蒼とした森を抜けると開けた場所に出た。

ところところゴミが散乱しているのが気になったが、それらを気にさせないように存在するしめ縄が結ばれていた大木が目に入る。

また別の異世界に来たのかと思わせるほど異様な存在を出していたがそりゃ何年も成長してたんだからと気にすることはないだろう。


ちょうどいいし一休みするかと大木に近づいて腰をかけようとして、やめた。


見上げると焦茶色に輝き一本の剣を携えた王、カブトムシが甘い蜜を啜っている。


見つけた、と同時に自然と笑みが溢れる。

少年なら誰もが憧れるその動く宝石に目を奪われしまう、もちろん自分も例外ではない。


ゆっくりと腰に装備した虫取り網を持ち構えを取った。

こちらに気がついていない獲物を見つめて、全意識を集中。


集中を切らそうと嘲笑うかのように頬を撫でるような風が靡く。

だが、研ぎ澄まされた己の精神にはそれはあまりにも無意味だと笑い返す。


途端、奴が羽を広げる。


まずい、逃げる気だ。

羽音を鳴らし颯爽と空に逃げようとする奴に向かって握っていた虫取り網を振り翳す。


しかし時すでに遅しと言うべきか、奴は空中へと逃亡。

再び渾身の一撃を繰り出すも悠々と躱し青空へと飛んでいく。


夏の空に溶けるように、奴が去ろうとしている。


……ここで諦めるか? 否、そんな選択肢は存在しない。


すぐさま走り出してしめ縄部分を足場にして一気に踏み込んで飛びかかる。


飛んでる最中奴と目が合った。

感情読み取れぬ瞳が、黒い眼が、交差し合う。


確かに空中戦では奴の方が圧倒的に有利、羽がない哺乳類では歯が立たない。

しかし、速さではどうだろうか。


出せる力を全てを注ぎ込み振り下ろす。

落下する瞬間、この夏のことが走馬灯のように脳裏に流れる。


数々の難問、土手で見つけた大人向けの本の感想文、3日で枯れたひまわり、捏造した日記。


────どれも、美しき夏の思い出だ。




衝撃、そして痛みで目が覚める。

起き上がって虫取り網に目を移すと念願のカブトムシがいた。

すぐにかごに入れてその姿をじっくりと堪能しようとした直後。


「楽しそうだね」


鈴のような、駄菓子屋に売ってあるラムネのような、透き通るような女の人の声が背後から聞こえた。

人がいたのか? さっきまでそんな気配はなかったような気がする。


それでも、なんだこの違和感は……?


「どうしたの?」


思考を巡らせようとしたのを遮るように女が話しかけてきたので思わず後退りをしてしまった。


長い黒髪に似合う真っ白な肌、麦わら帽子に白いワンピース、そして人間とは思えぬほどの美顔。

その女はこちらをずっと見つめ終始笑顔を浮かべていた。


これほどの存在感を出している女に気付けなかったのは虫取りに夢中になりすぎていたのか、だとしてもやはり何か、妙な違和感が引っかかる。


「どうしたの、怖い顔なんてしてさ」

「…………おばさん、だれ」

「ふふっ、お姉さんだよ」


怒るかと思ったが意外にも怒ることはなく、諭すように語りかけてきた。


「それはそうとして、こんなところで何してたの?」

「カブトムシ、つかまえにきただけ」

「へぇ、そうなんだ」


すると何か思いついたように手をぽんっと叩き、また笑顔で口を開いた。


「ならさ、あっちにもっとたくさんいたから一緒に行こうよ」

「いかない、かえる」

「そんなこと言わないでさ、クワガタとかもたくさんいたよ?」

「にとうりゅうよりいっとうりゅうがいい」

「そ、そうなんだ……? お姉さんそういうのはよくわからないなぁ」


眉を顰めて少し困ったように笑った。

一刀流の良さがわからんとはまだまだだなと思い、そのまま立ち去ろうとした時。


「あっ、待ってってば」


そう言って腕を掴まれた瞬間、背筋が凍った。

握られた腕が凍死しかねんほどの冷たさに襲われ一瞬思考が停止する。


この女、のだ。


「せっかくだし2人で捕まえに行こうよ、カブトムシだってたっくさん見つかるって」

「い、いい、もうつかまえ────」

「いいから、ね?」


ぐい、と顔を近づけてきた、当然その女と目が合う。

完全な黒、夜、奈落、人間の言葉で表現するのには限界がある、それほどまでに異常な暗闇が続いている。


あの時のは、と考えたところで今はこの状況を脱することに集中しなければ。


「ほら、怖くないから一緒に行こうよ」


優しく肩を摩り、蕩けるような声が耳元で聞こえた。

なぜかこの声、いや音を聞くと頭が朦朧としていき、振り解こうとしても女の掴む力が強く軟弱な力では振り解けない。


じゃあどうするか?

答えは簡単。


「はなせ」


殴る。

足を踏み込み女の顔向けて右ストーレトを放つ、少年からそんな攻撃が飛んでくると思わなかったのかガードが間に合わずこちらの拳が直撃し後ろへとよろめいた。


その拍子で掴まれた腕がするりと抜けたのでバックステップで距離を空けて女の様子を見る。


「…………痛いなぁ」


女が静かに言うと体中の骨を鳴らしながら体を起こしてこちらを睨んだ。

表情は笑顔のままだが殴った部分がひび割れて皮膚らしきものが乾いたペンキのようにポロポロと崩れて、それを隠すように右手で抑えるが隙間からからどろりと黒い何かが溢れ出す。


肉でもない、血でもない、何か悍ましいものが女の体から溢れ出し小さな水たまりになった瞬間、それがこちらに向かって飛びかかってきたのを虫取り網の竿の部分でそれを弾き飛ばし女との距離を開ける。


少しでも反応が遅れていたらどうなっていたことか、できれば想像したくないものだと考えていると不意に女の足元からカランッと何かが転がる音がした。


音の発信源の方へと視線を移すとそこには自分と同じくらいの子供の白骨死体、高校生くらいの男子、腰の曲がった老人、が湧き出るように蠢いている。


「……おねえさんひとたべるんだ」

「そうだよ、こうやってニコニコしてると馬鹿な男が寄ってきて勝手に騙されてちゃんだよ、当然君のことも食べるつもりで見てたんだからね?」


無邪気に笑うと女の背中から人間の腕とは思えぬほどの太い骨が生えてきた、しかも8本。


蜘蛛か、と理解した直後に骨の手が襲いかかってきたのでそれら全てをいなして躱し一旦呼吸を整える。


「あっはは、すごいすごい」


楽しそうに手を叩くと、釣られて8本の手も拍手し出した。

その瞬間、爆音が踊り出すように辺りに響き渡る。


耳を塞いでも脳内に直接響く感じで対処のしようがない、意識が吹き飛びそうなのを下唇を噛んで無理やり保つ。


「ふ〜ん、じゃあこれはどうかな?」


ハッと意識を女に向けると今度は8本の手で地面を叩き始めた途端、


反応に遅れ、体が宙に浮く。

そのまま落下し奈落へと誘われる。


「ばいば〜い」


嬉しそうに手を振る女を見て短く息を整えて、崖を蹴り上げる。

一気に上り詰めてすぐさま地上へと戻ってきた。


「わあ、疲れないの?」

「しらないの? なつのこどものたいりょくはむげんなんだよ」


首を傾げながら言うと女は可笑しかったのか吹き出すように笑った。


「すごいなぁ、お姉さんが会った子は怖くてみ〜んな動けなくなってたんだよ、特に君と同じくらいの男の子、可愛かったからね? ついその子の腕を」


悪趣味の女の話に付き合う暇はないと駆け出して虫取り網の竿を振り下ろすが骨の腕に阻まれ弾かれた。


「えへへ、残念でした」


思わず汚い言葉が出掛かったを飲み込んで思考を切り替えた。

現状あの腕をどうにかしなければ攻撃は通らない、手持ちの装備ではこの状況を打開できそうなのは……と考えるが女の声が邪魔をする。


「ほら、よそ見しちゃだめだよ」


聞こえたのと同時に白い無骨な腕が下から迫り、捕まった。

虫取り網を握っていた手を封じられて身動きが取れなくなってしまい、詰みの状態に陥る。


「やっと捕まえた、すばしっこくて大変だったぁ」


今まで以上に女の笑顔が歪む、もはや気持ち悪いや不気味などと言った言葉で表現するのも限界というほどの禍々しいものを感じた。


さて、この絶望的な状況からどう挽回するか。

暑さのせいでいつもより正常な思考ができなくなっているのはわかっている、しかしそのおかげと言うべきか不思議というべきか恐怖が感じない。


「君は今までの子と違うからどうしようかな、そうだなぁ、あっ」


思いついたように鼻歌を歌い出した、すると再び女の背中から歪な音を鳴り、骨で出来たクワガタのような鋭い角が形成された。


「お姉さんね? まだ子供の首を切り落とした事なかったんだぁ、前からやりたかったの」


鋭い角を首に当て、勝利を確信したかのように笑う。

それは大層嬉しそうに、高笑いをして両手を広げた。


待った甲斐がある、と照準を見定め拘束されていないもう片方の手で既に紐を引きちぎっていた水筒を勢いよくぶん投げる。


水筒は想像異常の速さを繰り出して女の顔に直撃した。


「ぐ、うァアッッ!!!」


怯んだと同時に拘束が解けた、着地は下手なので受け身を取って痛みを軽減。

すぐに立ち上がって構えを取る。

女の顔からは既に笑みは消えて、当てた場所から絶えず黒い液体が流れ出していた。


「こンのガキィ……! ナメた真似しやがって……!」

「ナメプしてたのになにキレてんの」


ぷっと嘲笑うと女の顔が怒りでさらに歪んだ、もはや最初であった時の面影はなくただの醜い怪異の姿と成り果てていた。


「うるせえ! ガキは大人しく喰われとけ!」


声を荒げて手を交差すると2本の角が迫ってきた、それを意図も容易く躱して角に乗っかり女の元まで走り抜ける。


顔に開いた穴を見つめたまま、虫取り網を握りしめた。


「無駄だッ! そんな攻撃効くはずねェんだよッ!」


例の腕が現れ女を守る。

もちろんその行動も想定済みだ、むしろそれを誘発するために目の前で握って見せた。


完全に守りの体勢に入った女は余裕綽々の様子でこちらを見ている、


「おなじてをにどもつかうとおもうの?」


そう言われて気付いたところでもう遅い。

突きの体勢でそのまま突進し穴に向かって虫取り網の竿を突き刺す。


「ギャアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!」


女とは思えぬ、人ならざるものが繰り出す不協和音が蝉の声と混じるように鳴り響く。


蝉の声が止まる頃に女の悲鳴も止まり、女の死体はアイスのように溶けて地面に吸い込まれていき跡形もなく消えていった。


「…………たあはぁ」


緊張の糸が切れたようにその場に倒れ込んだ、背中が地面とくっつき動けなくなる。


無理もない、激しい運動に加えてこの暑さ、水分補給をしていないからだ。

転がった水筒を拾い上げて中のミスを飲もうとするが、ちょうど空だった。


それもそうか、約3時間の道のりを歩けばそりゃあ水もなくなる。

我ながら誤算だったと自嘲した。


「……はやくかえらなきゃ」


日が暮れ出した、親を心配させるわけにもいかない、だが体が動かない。

参った、完全に詰んだと目を瞑る。


どこからか聞き覚えのある羽音が近づいてきた辺りで意識が途切れた。








「……………!」


気がつくと薄ぼんやりと見覚えのある天井があった、そこは祖母の家だ。

額には子供用の熱冷ましシートが貼られ、布団の近くには麦茶が入って合ったであろうピッチャーとコップが置かれていた。


外は真っ暗で、梟と蛙のデュエットが聞こえるだけでおかしな点は何もない。


……まさか山に入ったのがバレた? いや出かけると言ったが目的地までは言っていないはず、もしや目撃者がいてそれを報告された?


だとしたら……と最悪のケースを考えていると母が話しかけきた。


「あら起きてたの? ご飯出来てるわよ」

「……えっ?」


素っ頓狂な声に母も首を傾げていた。


「どうしたの、具合でも悪いの?」

「……カブトムシは?」

「カブトムシ? 何言ってるの、貴方朝から熱中症でずっと寝てたじゃない」


ますます訳がわからず頭にはてなを浮かべていると母が困ったように笑った。


「まだ暑さで頭が朦朧としているのね、今冷たい麦茶持ってきてあげるから待ってなさい」


そう言って母は台所へと足を運んでいった。


兎にも角にも、助かったと安堵の溜息を溢して寝っ転がる。

それにしてもあの出来事は一体……と考えるも今日はもう疲れたということで無理やり納得して思考回路を閉じて、なんとなく縁側の方へと視線を動かすと奴がいた。


不動の構えでこちらを見据えていたので捕まえようかとしたが、流石に疲れたので今回は諦めることに。


「…………助けてくれてありがと」


それだけ言うとカブトムシは満足した様子で羽を広げてどこかに飛んでいった。


果たしてあの出来事が現実か、真夏の幻覚だったかはわからない。

だが、忘れられぬ夏の思い出には変わりはないのだから。

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