第5話

 愛活が時間割にない月曜日を挟み、火曜日となった。

 八十人の体操服の生徒たちは、厚い雲の下でああやこうやとひたすらはしゃいでいる。

「……あとは竹山先生だけなんですけどね……どうしたのかな? 遅いですね」

「そうですね。竹山先生あんまり遅刻とかしなさそうなのに」

 平林の問いに、私はさらっと答える。が、少し呼吸の数が増えているのが分かった。

「……事故とかにでもあってないでしょうね?」

「まさかぁ。竹山先生事故なんて絶対起こしませんよ」

 平林は笑って否定した。でも、私は心配でならなかった。

「先生、心配ですかぁ?」

 と、二組の西野がニヤニヤしながら会話に割り込んできた。

「先生、竹山先生好きなんでしょ?」

「いっ……」

 これまでに出したことのない変な声が出てしまった。

「……私は単純に、同僚が来ないのが心配なだけだ」

 これが、私の本心のつもりだった。

「ホントぉ?」

「本当だ。西野、教師にはしっかり敬語を使え」

「顔、めっちゃめちゃ赤いですよぉ?」

「気のせいだ早く列に並べ」

「はーいはーい」

 終始ニヤけながら西野はクスクス笑い、集団に溶けてゆく。

「すみません! 遅れました! 車が壊れちゃって」

 と、視界の隅に太った体を揺らしながらずんずん走ってくる竹山が見えた。

 厚い雲の間から、太陽が私たちの頭上に差してきた。




「カフェでは、自分の食べ物とか恋人に食べさせてあげたりしてみてください。飲み物で、相手が嫌がらなかったらストローを渡して間接キスとか良いですね」

 マニュアル通りに竹山は説明していく。

「あとは定番のこれです」

 と、竹山はパウンドケーキの端っこをすくい、熊のような笑いを浮かべながらコチラに近づいてくる。

「あーん」

「……はひ? うがっ」

 はい? と言いたかったところの“は”で私は、口の中に竹山からパウンドケーキを差し込まれた。

「……美味しい」

「ちょっと僕かじりましたけどね」

「……え、じゃぁ?!」

「間接キスじゃーん」

 誰かは分からないが、そう言ったやつがいる。

 ……結果、周囲がざわつき始めた。




「これから山に登っていきます」

「え? とよやま園じゃなくて?」

「はー?」

「ショックー」

 思ったよりもがっかりされてる。企画者の竹山が慌てて取り繕った。

「いや、山登りって楽しいですよ。すごいお互い喋れますしね、良いんですよ。日曜日に新藤先生と行ったんですけど、めちゃめちゃ楽しかったですよ!」

「え?」

 空気が一瞬、止まった。

「えぇーっ?!」

 八十人のうち九割が目を見開き、開いた口が塞がらない、という顔をしている。

「ま、とりあえず行きましょう!」

 竹山は生徒にペースを合わせる気は一切ない。

 ……と。

「あ……」

 竹山がコチラにそっと手を合わせ、謝るような仕草をしてくる。

「……フフッ」

 そっと微笑み、私は彼へ手を振った。




 生徒がみんな帰っていった中、教師陣は山のふもとで輪になり会議、というか打ち上げだ。

「最終的に生徒も山登り楽しんでくれたみたいだったので良かったですね」

「ですね。こっちも楽しませて、ニヤニヤさせてもらいました」

「やっぱり岸野・宮岸ペアはカップルなので、良いですね」

「岡島・瀬尾も結構よくないですか?」

「あぁー」

 そんなことを話して盛り上がる。

「ところで、竹山先生と新藤先生はどうなんですか?」

「は?」

「え?」

 途端に段野校長が発した言葉で空気が一気に凍り付いた。

「あ、いや、何でもないです」

 気まずい雰囲気が漂う中、平林の帰りましょうかの合図を皮切りに、そうですね、とまた和やかなムードになってゆく。


「……良かったぁ」

 みんな車で帰っていくのを横目に、私は言葉をこぼした。

「え?」

 竹山がきょとんとした顔でこちらを見ている。

「あ、いや何も……。というか、竹山先生歩きで来たんですよね」

「そうなんですよぉー」

 パッと明るい顔になる。ちょっと上目でコチラを見る感じに。

「ええと……車で家まで乗せていきましょうか?」

「え? いいんですか?」

「あ、いいですけど……」

「本当ですか? 嬉しいです。ちゃんとナビはしますので……すみません、お願いできますか?」

 またもや上目遣い。口調からして、もう竹山は車に乗ることを決めているようだった。

「いいですけど……」

「ありがとうございます!」

 途端に竹山は手を握ってブンブンと振り回してきた。

 急な展開に、心臓はドキュンと大きく跳ね、激しく鼓動し始めた。


『やがてやがてやがて~恋人たちの冬は過ぎ~やがて春がやぁてくる~♪』

「この人誰ですか?」

 なかなか何も話しだせない雰囲気の中、竹山が歌に興味を持ってくれた。

「あ、これ『Blue Spring Melody's』っていう少年バンドです!」

「少年バンドですか?! 何歳?」

「中学生なんですよ。すごくないですか? 全員中学二年生なんですよ。私キーボードの西堀良平にしほりりょうへい君が大好きなんですよぉ。なんか可愛いのに、めちゃめちゃピアノ上手いんですよ」

「へぇ……すごいですね」

『私の恋は……恋なのか……?』

 と、曲は変わり、中森翔なかもりしょう君の静かな透き通る声が車内に響く。

『これは……友情なのか? それとも……』

 信号でふと隣を見ると、竹山も急に真面目な顔をして、音楽に耳を傾けていた。

『認めない、認めたぁくなぁい……それでもぉ~彼を見ると~胸がジュワッと熱くなる~♪』

 久々に聞いた曲。でも、こんなに今の私に合う歌詞は他にあるだろうか。

『たぁだ……見つめられ続ける……吸い込まれてしまいそうな、瞳で……からだが熱くなる……逃げなければ、でも逃げられない……』

 と、竹山がコチラを見ていた。紳士的な優しさのこもった目。

 ――いや、私はあくまで同僚の教師を車に乗せて助けてるだけだ。この熊みたいな生徒に甘すぎる教師とは私は合わない……。

 前の車の赤いランプが消えた。私はそっと目を逸らし、アクセルをそっと踏んだ。

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