第2話

「では、続いて新藤先生にやってもらいましょうっ」

「本当にやらなきゃいけないわけで……?」

 困惑したような声で私は言う。

「あの、早くお願いします。生徒がちょっとソワソワしてるので」

 それがなんだ竹山の熊。内心毒づきながら私は行きます、と小声で言った。

 竹山の頬に唇を近づける。

 チュ

「以上です」

「えーっ、先生、竹山先生を見習ってくださいよ! どうせならもう少しじっくりね、女らしい魅惑というか、そういうのを漂わせてゆっくりやるのが筋ってもんでしょう?」

 学級委員、岸野玲央れおがチャラチャラした声で叫んだ。

「先生、ここは普段と違う一面も見せないと」

 二組のモテ女、西澤夏希にしざわなつきもはしゃぎ声で同調する。

「しかも、こういう結婚させるための授業でしょ? 女性の場合、やっぱり色っぽさで男性を誘惑した方が必然的に男性が寄ってきますよね。結果、めでたしめでたしじゃないですか。先生はそういう見本を見せるためにあるんじゃないんですか?」

 一組の岸野に並ぶモテ男、野球部の岡島秀孝ひでたかが野太い声でダメ押しをしてくる。

「ったく、お前らはアホか? これは遊びじゃな……」

「まあまあ、生徒がそういうならやってみたらいいんじゃないですか? 岡島君の言い分は分からなくもない」

「いや、だからそんなんだから先生は……」

 小さな多目的ホールにはものすごいブーイングが響いている。その中で、私の頭の中では竹山の湿った唇の感触がグルグルが回っていた。

「はぁ……」

 その後、私がどのようなキスをしたのか全く覚えていない。残っているのは、ウェーイという、生徒の勝鬨と竹山の固まっているような声だけだった。


「じゃ、ここでパートナーを発表しますね」

 平林の声が聞こえる。

 元々は私がこれを発表する予定だった。だが、さっきの脂っぽい頬への口づけのせいか、体が熱くなっている気がして、なるべく頼りたくない相手を頼る羽目になってしまったのだ。

「まず、宮岸みやぎしと岸野。続いて、岡島と瀬尾せお春川はるかわ小野寺おのでら原口はらぐち福岡ふくおか西澤にしざわ高峰たかみね。これで、第一グループです」

「マジで?」

「玲央やったじゃねぇか!」

「ぎしちゃんいいなぁ」

 岸野と宮岸と言えば、学年を代表するラブラブカップルじゃないか。

 そのまま発表が進み、どんどんと歓声が大きくなり、時々落胆の声が出る。

「以上。実は、これは琴天坂中学校OBで、うちの名カウンセラーさんが色々考えて作ってくださったものです。かなり適格だと思うんで、このペアでまずは子供を作れるようにしてください。じゃ、移動!」


 みんながワイワイ言いながら先生の指示に従い、八グループに整列する。

「じゃあ、さっきのを自分らでやってみてください。竹新カップルが巡回しながら、美しいキスについて解説していくので」

「平林先生、余計なこと言わないでください」

 低いトーンで私は牽制球を送った。




 チュ

「はい、もうちょいね、しっかり間を取っていきましょう」

「どういう感じですかぁー?」

 調子のいい男子生徒が質問する。

「こういう感じです」

 で、私が頬を持たれ、竹山の紳士的な目にじっと見つめられる。で、そっと竹山の胸あたりに引き寄せられる。

「心臓、めっちゃ鳴ってる……」

 思わず言葉が飛び出してしまった。

 その呟きは聞こえていなかったらしい、身長が高い竹山に、上からそっとキスをされる。

「なんか言いました?」

「あ、いや別に……?」


「おー上手い……」

 思わず感嘆してしまうほど、鮮やかなキスを決めたのは岸野だ。

「いや、もうちょいね、相手の目を見ましょう」

「細かいですね……」

「いや、新藤先生。岸野君は上手いですよ。じらしたりするとかテクニックをすごい駆使している。ですが、最後の、本キスは絶対に相手の目を見ておかないといけないんです。分かった? 岸野君」

「あ、はい。見本お願いします」

 だんだん伝播してるらしく、私たちは見本見本としか言われない。

「こういう感じですよ」

 と、私はそっと抱かれてしまう。顎を上げてみると、竹山がそっと、熊のような細い目で見つめてきている。

「はっ……」

 思わず息を呑んだ。このままでは、竹山の瞳に吸い込まれてしまう。

 チュッ……




「それでは、キスはまた次の授業の最初にやってみますね」

「いや、もういいから……」

「まあ、いいじゃないですか。上達してもらわないといけないし。見本をたくさん求められると思いますけど、ご協力よろしくお願いします」

「多分、生徒は本気でよくわからなくて見本を求めてるのではないと思いますが……」

「んじゃ、それでは、最後に告白の実演をしてもらいましょう!」

 平林が声のトーンを倍高くして言った。

「行きましょう」

「いや、手を引くのはいいです」

 前に出て来たと思うと、竹山はどこからか紙を取り出した。美しい和紙の便箋だった。

「……新藤先生、少しいいですか?」

「あ、はい」

「これまでずっと先生に隠していたことがあるんですが、今ここで言ってもよいでしょうか?」

「は、はぁ……」

「新藤先生っ」

 急にハイトーンになりやがった。

「ずっとずっと、あなたのクールでも真っすぐで、熱い心を持ったところに惹かれていましたっ。食事の時も風呂に入っているときもベッドの中にいるときも、あなたの時折見せる気さくな笑顔が脳裏から離れませんでしたっ!」

 熱いが、でもゆっくりゆっくりと言葉を紡いでいく彼の瞳は真っすぐこちらを射抜いている。


「これまであなたは片思いの相手であり、あこがれの人でしたがその関係は今日で終わりにしたい。百合絵さん、どうか、私と付き合ってください!!」


 シーン、と、この竹山の、熊さんと言われている男の醸し出す雰囲気に、多目的ホールは静かになる。

 パチ、パチ、パチ

 と、誰かをはじめに、少しずつ拍手がホールにこだまし、やがてそれはここにいる人すべてに広がった。

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