第4話

アニサは山口県の国立大学の聴講生の敏和と知り合った。敏和、二十四歳のときである。アニサは二十歳だった。

 そして、すぐに同棲し、男の子で子供が生まれた。もちろん、愛し合って一緒になったのだが、アニサが積極的にアプローチして結果である。時間が経つにつれて、国際結婚であったために、それぞれの国の歴史的な背景や国柄などが影響し、自然と縁遠くなり、何のちょうちょもなく二人は呆気なく別れた。

 子供の名は、アブとアニサが名付けた。その子供のアブは、アニサが育てることになった。

 勇樹には、そこの詳細はよく分からない。彼にとって、二人が一緒になった経緯や別れた理由なんてどうでもいいことであった。要はその後どれだけかして勇樹の父広衛門と知り合い一緒になり、定丸の家に住み着いたということだ。もちろんアブという男の子を、定丸の家に連れて来ている。

 そのアブは七歳で、もちろん定丸の家で今も生活をしている。

 その日、つまり定丸の家に飛び込んで来た時のアニサからは、勇樹に一言の挨拶もなかったし、父広衛門からも今日から俺の女房になった女がやって来るからなという説明もなかった。

 (ふん、親父らしいな・・・)

 勇樹は苦笑し、怒る気もしなかった。勇樹なりに父を理解していたのだ。この時、彼は広衛門を尊敬などしていなかった。とっくの昔に、父への尊厳も無くなっていた。いや、そんな感情はもともとなかったと言っていいかも知れない。

 

 案の定、アニサの子供アブは勇樹に懐かなかった。それは、夫の広衛門にもいえたようだ。だが、広衛門はそんなことは少しも気にしないようだった。また勇樹も同じだった。広衛門の日常に何の変化もなかった。気が向いたら自由にまたもや海外にも行っていた。勇樹も自由気ままな生活を送っていた。絵に描いたようなグレた生活を満喫していたといい。


 その日、夏のひんやりとした空気は開けっぱなしの窓からふんわりと家の中に入り込んで来ていた。アブは二歳ということもあり、人懐こい性格なのか仕切に勇樹に後を付いてきてはいた。それなのに、甘えるという気もないようだった。

 そんなアブを、勇樹は知らぬ振りをし、無視していた。少し、

 「可哀そう・・・」

 とは少しも思わなかった。

 何時だったか、アニサとアブが家に来て、半年たった頃アブは二階から落ちて怪我をしたことがあった。

 その時勇樹はたまたま家にいたのだが、子供の泣き声聞こえた。この家には、

 「あいつ・・・」

 しかいない。

 気になるので行って見ると、アブが泣いていた。ちょっと見ただけでは、なぜ泣いているのか分からなかったのだが、よく見ると、の手首が多少赤くはれているのが見て取れた。

 「どうした?」

 勇樹は日本語で訊いた。

 アブは何も答えない。まだ日本語が理解出来ないようだった。顔を見ると相当痛がっているのは、彼の表情を見ても分かる。それでも、アブは泣かない。それに・・・

 下半身をもじもじしていて、落ち着かない。勇樹にはそう見えたのだが、自分に何を要求しているのかが分からない。

 その内、アブは泣きながら小便を漏らした。勇樹は、

 (なるほど・・・)

 と、納得した。

小便をしたかったからズボンを脱がして欲しかったのだ。だが、もう遅い。

その内、母親のアニサが返って来て、アブの下半身の後処理をしてやった。アニサは勇樹を睨み付けていたが、何も言わなかった。彼女が出かけて行くとき、この子を頼むわよ、と言っていなかったのだ。世話を頼まれていないものを、勇樹は何もする気はなかった。

 アニサの性格からか、勇樹に気軽に話しかけて来る。だが、この時以後、彼女の態度が一変する。最も、勇樹の態度はそれまでと少しも変わらない。

 

 ところでだ・・・あの女子高生、八重山みつは、毅然とした態度で、例の女子高生の頬をを思いっ切り二発殴ったらしい。後で、勇樹はミツルから聞いたのだが、

 「そんなものなのかな・・・」

 と、勇樹は思った。

 もともと、みつは気の強い女子であったようだ。あの時まで恵美などという同級生と口を利いたことはなかった。もちろん、同じクラスに恵美がいるのを知っていた。もちろん、その時点で名前など知る由もない。

 あの時、みつが蛇に睨まれたカエルのように固まってしまっていたのは、ただただ、

 (あの女が・・・)

 と驚いていたからに過ぎない。そうでなければ、みつはその時恵美に突っ掛かって行っていただろう。互いに同じクラスにいるのは知っていたのだろうが、気性は知らなかった。

 「ねえ、ちょっと屋上に来てくれる?」

 みつは恵美に誘いを掛けた。

「何・・・今すぐ?」

 「そう、今すぐ」

 恵美はみつの後を付いて来た。昼休みだから屋上には何人かが散らばり、それぞれが話し込んでいた。

 「ねえ・・・」

 みつの声は鋭く、相手を睨み付けていた。この前とは全然様子が違った。早くも恵美はその異様さを感じ取っていて、少し驚いているようだ。

 「この前は、やってくれたわね」

 恵美はきょとんとして、みつを見ている。

 「もう一度言ってくれる。あんた、あの時私に何が言いたかったの?」

 恵美は言い知れぬ恐怖を感じているのか、言葉に詰まってしまっていた。まるで、

 (この子の様子が普段とは全然違う・・・)

 のである。

 (どういうこと・・・!)

 恵美にはこの可愛らしい女の子について、それほどの情報があるわけではなかった。ただ彼女には、その可愛さが憎らしかったに過ぎない。それも、彼女だけの印象たけなのである。だから、一人では不安だから、いつも連れ添っていた仲間の男と子について来てもらって、ちょっと脅そうと思っただけだった。

「それが・・・・」

恵美にはどう反論していいのか分からなかったのだろう。

この時・・・その瞬間といった方がいいかも知れないが、恵美の両頬はびっくりするほど強く叩かれたのである。もちろん、八重山みつに、である。その強烈さに、仰向けに恵美は倒れてしまった。

「何をするの?」

「分からない・・・あんたを殴ったのよ。文句ある!」

 

 あの時傍にいた男は別の高校の高校生で、この学校の生徒ではない。

 「あの男に言っておくといいわ。私は何時でも相手になってあげるとね。あんたにはいい友達かも知れないけどね。私には・・・ただのクズ男に過ぎないのよ」

 この後、八重山みつは腕時計を見た後、教室に戻った。もうすぐ午後の授業が始まる時間だったのである。

 定丸勇樹は、この出来事を知らない。ミツルから後で聞いたのだが、彼は少しも踊香なかつた。なぜなら、母雪枝の人には負けない強い性格とそっくりだと思うに違いないからである。あの双子の姉妹は性格もよく似ていたのか・・・この時、勇樹はふっと気付いたことがあった。母雪枝が自殺したのは、その気の強さからなのかもしれない。父広衛門に対する復讐のような感情だったのかも・・・

 「ふっ!」

だが、その雪枝がなぜ自分で命を絶ったのか、本当の所は勇樹には分からない。気付いたように単に気の強さだけだったのか、それとも彼女が夫の広衛門に絶望したのか・・・

 (それは・・・ない)

 と、勇樹は思う。それなら・・・

(なぜ・・・)

彼は母雪枝が外目からはうかがえないが、結構勝気な性格だった。そうかといって、父広衛門と口論や喧嘩をしていたのを見たことも聞いたこともない。

 勇樹は雪絵を一にも二にも好きであったし、尊敬をしていた。

 「ふっ・・・」

 勇樹はまた苦笑してしまう。彼は雪枝に甘えた記憶はない。ただ、記憶にない頃は相当べったりだったようだ。勇樹の

温みが微かに残っていた。

 何時だったか、そう彼が十一歳の時に通学の自転車を盗まれたことがあった。黙っていようと思ったのだが、ことが事だけに、すぐにばれた。

 「探してくる・・・」

 といって、家を出て行ったのが昼の二時過ぎだった。なかなか帰って来なかったのだが、暗くなり午後の七時すぎに勇樹の自転車を引っ張って、帰って来た。

 「何処にあった?」

 勇樹は訊いたが、雪枝は何も言わない。ただ一言だけ、

 「フフッ!」

 と笑い、すっとキッチンに入って行った。まだ夕食前だったから・・・。

 とにかく気性の激しい女であった。勇樹は雪枝の子供の頃のことを改めて訊くことはなかったが、彼の記憶に残っている雪枝の姿から容易に想像することが出来た。

 そんな女が・・・母がなぜ自殺という方法を取ったのか、勇樹には理解しがたい。だが、女は時として・・・男とは考えも及ばない行動をするものだ。

 (双子の妹秋江もそうなのだろうか?)

 と、彼は思ってしまう。

 それに、みつという少女の存在も気になった。

 (俺が母雪枝の血を受け継いでいるように、この子も母秋江の血を・・・)

 そう考えると、勇樹はみつを愛おしく思うのであった。

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