第3話

定丸勇樹の曾祖父定丸陽一郎もまた下関を代表する豪商であった。陽一郎は白石正一郎を慕っていた。白石は維新時に活躍した志士たちに有名、無名の志士を問わず、多大な金銭の支援を施していた。特に高杉晋作が結成した奇兵隊に五十一歳の時に入隊し、会計方を務めていたことがあった。

白石は海運業で得た金銭を高杉晋作や坂本龍馬たちに無償で与えていたのである。また、白石は国学を学び、鈴木重胤の門下生を通じ、西郷隆盛とも親しくなっていった。陽一郎も白石正一郎に思想的にも感化され、白石のように得た利益を慕ってやって来る志士たちに与えた。

白石も国学の学者であり、攘夷論者であった。陽一郎はその考えに共鳴を受けたが、正一郎のように志士としては行動しなかったようだ。だが、資金面から、彼らを支え続けていた。おそらく自分から申し出たのかも知れないが、白石からの要請もあったに違いない。

定丸陽一郎はそんな白石を尊敬し、全ての面で彼に従っていた。もちろん家族の反対もあったのであろうが、陽一郎は頑として受け入れなかった。その点でも、正一郎を見習っていたのである。

白石は赤間神宮の初代の宮司であるのだが、維新で得た地位はそれだけである。定丸陽一郎はそれを知った時、呆然とした。正一郎の心の中らは、死んだ高杉晋作のことが頑としてこびりついていたのかも知れない。

陽一郎は泣き崩れた。だが、白石は地位や名声を得ようとして行動したのではないのだろう。その自負もあったのかも知れない。

「しかし・・・」

陽一郎は認める気はなかったのだが、本人が何も欲しないのだから涙を飲み込むしかなかった。

白石は、赤間神宮の宮司で満足のようだった。

定丸陽一郎は初め白石の下で働いていた。陽一郎は白石の命を受けて、特に大阪と長州を何度も行き来した。米、たばこ、酒、茶、塩、木材等を扱っていた。陽一郎は頻繁にそれらの値を調べ、上がるとすぐ快速船で長州に引き返し白石に知らせた。その内、白石の勧めもあって自分でもそれらの商売を始め、多大な利益を得たのである。そして、白石同様得た資金を志士に与え続けた。

しかし、家族の反対もない筈がない。得た利益を分け隔てなく志士たちに与えていたのである。家族の生活を無視した行為だったのである。

人のいい正一郎・・・やって来る志士たちに分け隔てなく金を与え、海運業は最後には廃ってしまう。それは自身も国学を学んでいて、尊王攘夷の志に強い影響を受けていたこともある。

その影響もあるのだろう、陽一郎も志士たちを支援した。


 勇樹は祖父の父与兵衛のそのような行状を知っていた。祖母の三ツ江から日頃のうっ憤を晴らすつもりなのか、学校から帰ると幼い勇樹を自分の前に座らせ、真顔で愚痴話を聞かされていた。勇樹が十一歳ころになると、祖母の愚痴話は彼の頭の中では一つの物語りになっていた。

勇樹はそんな与兵衛を軽蔑してはいない。男とは所詮そんなものだと認識していたし、父の広衛門もドイツ人の子持ちと一緒になった父に対して・・・いや、絵に描いたようにグレテしまい、ヤクザになってしまった。だが、彼はヤクザではなかった。それに近い生き方をするようになっていた。

 勇樹は、

 「だから、今この家はこんなになってしまったのだ」

 と、何度も罵っていた。

 祖父の広衛門は何も言わない。一瞬、孫の勇樹を睨むが、それだけである。


だが、今、当時の志士たちも我が家族も・・・馬鹿な奴らだ、と罵っても始まらない。結局は薩摩人にいい所だけを持って行かれ、確かに長州も得るものを得た。だが・・・それがこの結果だ。受け継いだ俺たちは・・・俺は、どうなる。苦労に苦労した母雪絵は死に、後妻に来たのがドイツの子持ちの若い女性だった。というより、いつの間にか彼女は住み込んでしまったのである。

 ドイツ人が悪いというのではない。父の広衛門がどういう経緯で後妻と知り合ったのか、勇樹は知らない。ただ、勇樹はぐれはじめたのは確かなことで、時々本家に帰るが、家の状況を顧みることも無くなっていた。継母がドイツ人で男の子供といつの間らか住み着いた・・・絵にかいたような愚方だった

 勇樹はやはり絵にかいたようなグレ方だった。後妻である継母のドイツ人を、口には出さなかったが、嫌っていた。というより、気性が・・・つまり気性が合わなかったのだだろう。一言で言うと、何処でもある典型的な家庭だった。だから、俺は・・・

 「何が・・・」 

 それは、勇樹にも分からなかった。


 (あの子は・・・母雪枝の妹の子だった。

 「間違いない」

 ここしばらく、母雪枝が死んでから、母のことを考えたことはなかった。この際だから、母雪枝の育った家を見てみたいと勇樹は考えた。今まで一度だって雪枝の育った家も所も見たことがなかったのだ。よく考えれば・・・変なことだ。母雪枝も強い精神の持ち主だと、勇樹は思っている。

 それなのに、

 (あの人は、自分で自分の生命を絶った・・・なぜ・・・)

 その時、勇樹は高校生だった。学校に知らせが入ったのは昼休みのことだった。

 「・・・」

 勇樹はその時に発する言葉もなかった。どのようにして家に帰ったのか、それから・・・そう彼は警察に行ったのか、今も覚えていない。彼は泣かない子であった。だが、この時だけは泣いた。それは、勇樹もよく覚えていた。

 「親父・・・何があった?」

 こう訊いた。広衛門の答えはなかった。ただ、この時には広衛門はアニサとアブを家の中に向かい入れ、勇樹と同居していたのである。


 (妹の加代が突然いなくなったという。おれとは無関係・・・とは言えない)

 勇樹はそう感じた。だからこそ、彼は従姉妹の八重山みつの家に行くことを決めたのだった。

 「その時、何か変わったことはなかったか?」

 と、彼は訊いた。

 「変わったこと・・・」

 八重山みつは思い出している風に見えた。

 「何でもいい・・・例えば・・・」

 と言い掛けた時、みつは、

 「ああ・・・」

 と言葉を続けた。

 ピーピヨロ・・・

 鳥の声がしたので、見上げると大きな鳥が飛んでいるのが見えた。

 「あれか・・・?」

 「うん」

 「あの大きな鳥、イヌワシは・・・!」

 勇樹は空を見上げた。しかし、そこにはもうイヌワシはいなかった。


 「こんな俺が悪いのか?」

そんなことは、勇樹は考えたこともなかったのだが、結局そうなってしまった。定丸勇樹の弱さ・・・ではない。

(俺の誰にも負けたくないという気の強さなのか・・・)

その気性の表れとして、勇樹は以後も実家に顔を出したし、継母のドイツ人の女とも顔を会わした。だが、挨拶すらすることはなかった。睨み合ったまま、何も言葉を交わすことはない。とげとげした家の中だったが、それでいて、何の緊張感もない家庭であった。


 定丸の家は祖母の三ツ江が絶大なる力を持っていた。

 というのは、祖母の三ツ江は白石正一郎の従妹の子であった。今はもちろん正一郎は死んでいないし、白石家とはもう付き合いはないが、三ツ江の考えは古い考えに凝り固まった女性であった。白石家の伝統なのかもしれない。

 勇樹の母、雪江の祖母三ツ江の対する憤りや悔しさ、苦しみを、彼は彼なりに理解していた。それなら、

(なぜ言わない)

といらいらすることもあったのだが、雪江はある夜何も荷物を持たずに家を出で、実家に帰った。彼女はすぐに戻るのだが、勇樹はその時のことをよく覚えていた。

(黙っていた)

彼が口出す出来る年齢ではなかったのである。


 そして、その一週間後にアニサがやって来た。雪枝が定丸の家に戻る前である。

 雪枝は広衛門の行状を良く知っていたし、また責め立てることもなかった。雪枝もまた耐えること、耐えなければならないことを叩きこまれた女性だった。それなのに、雪枝は自分で自分の命を絶ったのである。

 「どうして・・・?あの外国人か?」

 理由が分からないから、彼は、しばらくは苛立った日々を過ごしたのである。

 言ったように、その時勇樹は高校生だったが、激しい衝撃を受けた。彼は一人息子であった。

 勇樹は無口であった。男たる者・・・それが当然であると思っていたし、何処の家でも・・・

 (こんなもの・・・)

 であると想像し、そのように振舞った。

 勇樹は仲間と火の山公園に行き、関門海峡を眺め、その向こうの福岡市の町を、あこがれの眼で持って眺めることが多かった。

 「おい、一度福岡に行って見るか」

 「はい、親分・・・」

 「そうするか・・・」

 と、言った切り、勇樹は黙ってしまった。 父広衛門の行動は衝撃的だった。時々広衛門はいなくなったが、そんな時父は一人で海外に行っていた。女遊びも派手で、何人もの女と遊んでいたようであった。勇樹の母雪枝は夫の性格も行状もよく知っていたのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る