第2話

八重山の家は赤間神宮の北側の狭い路地を突きぬけた奥にあり、八重山家の敷地は結構広かった。周りは牧垣で囲まれていて、今、その緑が眼に心地よかった。

 「お母さんです」

 広い門の突き当りに母屋があり、玄関の前に立つと、五十前後にほっそりとした女性が出て来た。八重山みつはニコリと笑い、母を勇樹に紹介した。

 定丸勇樹はみつの母を見て、驚き、しばらく口が利けなかった。名前は秋江というらしい。雪枝とは双子の姉妹で、雪枝が自殺した時の葬儀には、秋江は出席していなかったから勇樹は知らなかった。勇衛も母雪枝の実家ことは何も話さなかったし、雪枝からあれこれと聞くことはなかったのだ。

 (それにしても、よく似ている・・・)

 勇樹は、母の子供の時のこととかを聞きたかった。どんな女性だったのか、勇樹は全然知らなかった。思い切って訊いて見るか、黙って母によく似た秋江の顔を懐かしそうに見つめていた。訊くにはもう時間が過ぎ去ってしまっていた。

 (そうだったのか・・・まあ、いいか)

 勇樹はそういうこともあり、みつという少女に親近感を抱かずにはいられなかった。抱いただけだった。その気持ちをどう態度に表せばいいのか分からなかったので、ただ、みつを見て意味のない微笑みを浮かべるだけだった。だが、自己紹介らしいことを言わなければいけない気がしたので、

「俺は、定丸勇樹といって、見栄えのしないこんな男だけど悪い奴ではない。何か、困ったことがあれば、俺に言いな。俺の家は知っているな」

 八重山みつはこくりと頷いたが、怪訝な表情をした。こういったのはいいが、自分がけっして自慢出来るような仕事もしていないので、勇樹は照れ隠しにまた笑った。

 「さだまる・・・」

 みつはこの名を聞いて、何か・・・思い当たることがあるようだだった。叔母の雪枝の嫁いだ先の姓が定丸という変わった姓だったこと、そしてその叔母が死んだこと、もし死ななければ葬儀に行かなかったし、みつは何も知ることはなかった。

 だが、それは昨日のことではなく、何年も前のことであった。

 「あのう・・・」

 八重山みつはランの体をまだ撫でていた。ランの毛並みが気持ちいいのかも知れない。彼女はシカトされていた処を助けてくれた親戚の男を見上げている。

 「思い出したか?」

 「うん」

 少女みつはまだ怪訝な眼でみつめていたが、怯えの気持ちは消えたように、勇樹には見えた。

 「俺が怖いか?」

 みつは返事をしない。だが、その表情に赤みが帯びている。けっこう強い子なのかもしれない、と勇樹は思った。

 「安心しろ。俺はヤクザじゃないからな。まして、ここにいる連中はチンピラでもない。仕事はしていないが、みんなそれぞれ事情があって、ちょっとだけぐれているだけだ。まあ、いい。そんなことより・・・なぜそんなに怯えている?」

 みつはまだ言い淀んでいた。

 「いいから・・・話して見ろ」

 ランが少女を見ている。

 「お前、泣いているのか?」

 みつは左手で眼を拭いた。

 「話せ。でないと、力になれない」

 その通りである。みつは少し気持ちを落ち着かせてから、

 「私・・・妹が突然いなくなってしまって・・・探しているんです。助けて下さい」

 と、恐る恐る話し出した。

 「いなくなった?どういうことだ。警察には知らせたのか?」

 みつは妹がいなくなった時の事情を詳しく話し始めた。

 ピー、ピーピヨロ

 怯えた眼で、みつは空を見上げた。大きな鳥が飛んでいた。

 「イヌワシが怖いのか?」

定丸勇樹は、従姉妹のみつを気づかった。従兄妹になるのだから力になるしかなかった。

 「何があった?」

 歳のかなり離れた従兄妹は震えていた。今の所、何があったのかは分からないが、尋常でないことは確かだった。

 みつはランの首を抱き締めている。泣いてはいない。懸命に耐えているように、勇樹には見えた。ミノルはみつから眼を離せないでいる。クラスは違うが、ミノルは何度もみつを見かけている。

 「おい、お前たち、あっちに行っていろ・・・ミノル、どうした・・・?」

 「いや、何でもありません」

 勇樹の仲間はすごすごと離れて行った。

 「いいから・・・何があったのか話してごらん」

 相変わらず相貌はきついが、言葉そのものは優しさに溢れていた。

 「少しの間眼を離しただけなのに、私が目を離した隙に、加代がいつも遊んでいる犬のぬいぐるみを取って戻って来たらいなくなっていたんです。私は・・・」

 みつの言葉は続かない。

 「だけど・・・」

 勇樹は首をひねった。

 「さっきイヌワシを見て怯えていたが、どういう関係があるんだ?」

 勇樹の率直な疑問だった。

 「私・・・見たんです」

 みつは言葉を震わせた。

 「何を?」

 「でも・・・大きな鳥が何かを掴んで飛んでいったのです」

 「何・・・本当に見たのか?」

 勇樹は問い詰めた。みつは勇樹の言葉に戸惑っている。見た・・・という自信がはっきりとないようだった。今は、彼女の記憶はあやふやになってしまっていた。

 「分かった。もう、いい・・・」

 勇樹は微笑んだ。これ以上みつを問い詰める気はなかったようである。

 「よし、あんたの家に行って見ようか。何か分かるかもしれんからな。それに、叔母さんにも久し振りに会いたいからな」

 「おい、あんたも、来るかい?」

 勇樹は相変わらず聞き耳を立てている男に問い掛けた。

 「俺かい・・・」

 「そうだよ。興味があるんだろ、この事件に・・・。殺人事件じゃないけどな」

 「ああ、大いにあるよ。人殺しなんて、くだらない所業さ。いなくなった加代とかいう女の子を探そうか・・・。面白いことに出くわすかも知れないからな」

 「そうだね。いいね・・・いい暇つぶしが出来るな」

 こういうと、勇樹は仲間に、

 「おい、お前たちもついてこい」

 と、声を掛けた。

 「はい、親分!」

 「おい、俺のことを親分と呼ぶな」

 「すいません」

 みんなが一斉に頭を下げた。

 だが、困ったことがあった。勇樹の母雪枝は死んでしまっていないが、生きている時にも彼は母の実家に行ったことがなかったのである。何よりも慕っていた母であったのに、実家の家族との付き合いは、彼には全くなかったのである。だから、母の実家が何処にあるのか知らなかったのである。

 (俺としたことが・・・)

 今更悔やんでも仕方のないことであった。

 「すまん。あんだの家まで案内・・・そのつまりだな・・・連れて行ってくれないか?」 

 「はい、分かりました」

 八重山みつは分かりましたといい、ちょっぴり微笑んだ。もちろん、

 「この子も連れて行って、いい」

 ビビのことである。いつのまにか、ビビはみつの腕の中にいた。

 龍作は、

 「もちろん、いいとも」

 赤間神宮の東側の細い横道をどんどん行き、突き当りを東に曲がった所が、勇樹の母の実家・・・つまり八重山みつの家であった。

 「ここです」

 結構敷地面積の大きい家で、クリーム色の壁に周りが覆われていた。赤間神宮の色とは好対照だった。

 「ここか・・・いい家だな。ここで、俺の母は育ったのか・・・」

 勇樹は考え深げな表情を浮かべた。

 「こっちです」

 みつは裏から庭にまわった。

 「結構大きな庭であった。

 ピー、ピーヒヨロ

 その鳴き声に誘われるように、空を見上げると大きな鳥が気持ち良さそうに飛んでいるのが見えた。

 「イヌワシだな」

 勇樹はイヌワシを睨んでいる。

 「そのようだな」

 龍作が口を挿んだ。ランが唸っている。

 「落ち着いて・・・大丈夫よ」

 みつは片方の手でビビを抱き、もう一方の手でランの背中をさすっている。みつ自身も気丈にイヌワシを見上げていた。その眼からは怯えは消えているように、龍作には見えた。

 (この子は・・・ひょっとして強い子なのかもしれない・・・)

 イヌワシが急降下して、こっちに向かって来る。みつはビビを離し、ランの首にしがみ付いた。だが、彼女の眼はしっかりとイヌワシを睨み返しているように、龍作には見えた。

 「俺も・・・」

 勇樹はこう言い掛けたが、言葉には出さなかった。

(従妹同士だ。この子の母と俺の母は双子だ。その根底となる性格は同じなのだろうが、俺とこの子は顔貌も違う。俺はこの子が好きになりそうだ・・・)

 「ふっ!」

 勇樹は苦笑した。みつの母と勇樹の母が双子なのがいい・・・勇樹の苦笑は止まらない。

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