九鬼龍作の冒険 イヌワシへの尊厳
青 劉一郎 (あい ころいちろう)
第1話 九鬼龍作の冒険 イヌワシへの尊厳
山口県下関市と北九州門司を隔てている関門海峡。下関市側の高台にある火の山公園にはケーブルカーが走っていて、頂上に行くことが出来る。小高い丘といっていい。頂上には展望台があり、さらに奥に行くと火の山砲台跡もある。ケーブルカーから、今、一人の男が降り立った。ちょっと変わったショルダーバッグを肩に掛けている。
「ビビ、もうしばらく我慢しろ。すぐ頂上だ。そこに着いたら、離してやるよ」
ニャー
ビビは狭苦しい場ショルダーバッグから顔を出し、周りをキョロキョロさせていて早く出たいような素振りをしていた。
男の名は、もちろん九鬼龍作である。
「ランは・・・」
龍作は周りを見回した。
「もう、とっくに着いているはずなんだが・・・」
山口県警の門山警部補が歩いて火の山公園の頂上まで、ランと共に登って来ているはずである。頂上には展望台があり、そこからは関門海峡が見渡せて、その向こうに北九州門司市が見える。船が何隻も見える。それらは、関門海峡を船が走っているというより、強い潮に流されながら、弄ばれてまま浮かんでいるという言葉がぴったりの情景だった。
この時、
ぴーびょろー
龍作は空を見上げた。この時期の関門海峡の空は、眩しいくらいの青さに輝いている。
(鳥か・・・大きいな・・・イヌワシかな。私の館には・・・館の裏の山にもいなかったな・・・)
かもしれない、と彼は思った。彼はその鳥を見たことはなかったのだが、何かの本で見たことがあった。その生態はまだ完全に把握されていないらしい。森林が伐採され、彼らが生活できる場所がなくなりつつあるようだった。
ワンワン・・・
「おっ、やっとと来たのか」
振り向くと、ランが元気よく走って来るのだが、門山警部補がしんどそうに腰を曲げ、火の山公園に登って来ていた。そんなに高くない標高だが、もうすぐ四十歳に手が届く彼にとっては、やはりこの勾配はきついようだった
「ご苦労でしたね」
龍作は門山警部補にねぎらいの言葉をかけた。
「あっ、いいですよ。私の方もいい気分転換になっていますから・・・」
門山警部補は近くに来ると、腰を伸ばした。それ程高い山ではなかったが、歩いて登るとなると、結構きついには違いない。
ランが来たことで、早く出せ・・・と、ビビが騒ぎ出した。
「分かった、分かった。出してやるよ」
龍作はビビをショルダーバッグから出してやった。ビビはすぐにランの背中に飛び乗った。
龍作がここを訪れた理由は特にない。いつもの気ままな旅のひとつだった。
「どうしたのですか・・・」
門山警部補は展望台の端っこの方で二人の女子高生が面と向かい合っているのに気付いた。一人は柵を背にしていて、顔が強張っているように見えた。
「シカトをされているようですね。可愛い女の子ですね。何が気に食わないんでしょうね」
門山警部補はポツリといった。
龍作は何も言わない。確かに少女は毒蛇に睨まれたネズミで身体が固まってしまっていて、全く動けないでいるのか。だが、
「あの子の眼を見て下さい。眼の奥が輝いていますよ。あの子・・・決してそんな脅しには負けないのでは・・・」
龍作にはそう見えた。
少し離れているのは男子高校生で、腕を組んでいる。見届け役なのだろう。脅しを掛けているもう一人の女子高生が同じに来て・・・とでも頼んだのだろう。
「ちょっと行ってきます。ラン・・・」
ランは、小さくワンと哭いた。門山警部補は二三歩動きかけたが、すぐに止まった。
「おい、何をやっているんだ?」
鋭い声が響いた。振り返ると五人の男たちが、こっちに歩いて来ていた。五人の男たちの年齢はバラバラで、若い者は高校生に見えた。実際そうなのかも知れない。やんちゃに見えるが、若い肌はつるつるで光っていた。その若者がシカトされている女生徒を興味深そうに見て、にやりと笑っていた。先頭にはがっしりとした体格の男で、見た処三十五六でリーダー格に見えた。見た感じ、真面な男でないふうに見えた。他の男たちは・・・言って見れば、子分という感じに見えないでもなかった。
「おい、ミノル。知っている奴か・・・」
リーダー格の男は変に笑っているミノルに言った。
「いえ、・・・」
「なんだ、可笑しな奴だな」
リーダー格の男の声に動きの止まった高校生三人は驚いた眼で、声を掛けて来た彼らを見ている。何者・・・と思っているのかも知れない。門山警部補の動きは止まったが、ランは柵を背にしていた女子高生の前に立った。
「もう一度・・・訊く。何をやっているんだ!」
リーダー格の男は男子高校生を一瞥し、
「おい、お前!」
彼は、威厳に満ちた鋭い声をあげた。
「おい!」
仲間たちは一斉に男子高校生を取り囲んだ。
「何をやっていたんだ!そう訊いているんだよ」
男子高校生は取り囲まれ、逃げられない。
「べ、別に・・・」
リーダー格がやって来た。
「それなら、あの子があんなに怯えているんだ!」
リーダー格の男にはそう見えたりであろう。
「それは・・・」
と言った切り、男子高校生は黙り込んでしまった。それならと、今度はシカトしていた女子高生に声を掛け、
「お前は、どうだ?」
今度はこの女が怯えている。どうやらヤクザと思っているようだ。だが、彼らはヤクザではない。それに近い存在だった。
「まあ、いい。いいか、今度この子にこんなことをやっているのを見かけたら、許さないからな。行け!」
リーダー格の男が眼で合図をすると、取り囲んでいた男たちの一人が取り囲みを解いた。二人は走って逃げて行った。
「さて・・・お嬢さん」
「詳しいことは聞かない。大丈夫か?」
この女子高生もヤクザかなんかと思っている。だが、彼女は少しも怖がっているように見えない。それに気付いたリーダー格の男はニコリと笑い、
「あんた、俺たちが怖くないか。度胸があるな、お前。俺たちはヤクザではないからな。ところで・・・あんたを見た時から気になっているんだが・・・あんた、俺を診たことはないか?」
少女は驚いた顔で、リーダー格の男を見つめた。少女の名前は八重山みつといって、十五歳、地元の高校に通っていた。シカトをつけていたのは、何処にでもいる救いようのない高校生だった。同じ高校に通っているのだろう。シカトの理由が分かりやすく、
「可愛いからって、生意気なんだよ」
というものだった。
「そうか。そんな理由が・・・馬鹿みたいな理由だな」
リーダー格の男は笑った。
「ありがとう」
みつは礼をいった。
「話の続きだか、俺、あんたに会ったことがあるような気がするんだが、どうもよく思い出せないんだ・・・」
この時、
ぴー、ぴーぴょろ
みつはこの鳴き声に反応し、空を見上げた。
イヌワシの鳴き声に怯えている。リーダー格の男にはそう見えた。
「どうしたんだ?」
リーダー格の男も空を見上げた。
「イヌワシだ。怖いか・・・」
犬が唸っている。ランである。
「親分、犬が・・・」
「おい、キクヤ。親分というな。ヤクザじゃないんだからな」
リーダー格の男は怒る。いつものことのようだ。
「へい、すいません」
キクヤが犬に怯えている。背中を押され、しっかりしろっと仲間から揶揄われている。
龍作はさっきから事の成り行きをずっと見ていた。
「いい犬だな、あんたの犬か?」
リーダー格はニヤニヤ笑いながら、門山警部補に訊いた。
門山警部補はニヤリと笑った。平静そのものである。
警部補にはこの男に覚えがあった。確かに・・・何度か署に連れて来られている。くだらない事件に連れて来られて、いつも返されているのを眼にしていた。
(リーダー格の男は勇樹といった筈だ。この勇樹も何度も警察に呼ばれていたが、ヤクザではない)
門山警部補はそう記憶している。
ランは少女の足元の座り込み、離れようとはしない。少女は少女でランの傍に座り、身体を撫で始めた。この時、
「あっ、思い出した。あんた、俺のおっ母が死んだ時、確か、あんた俺っちに来ていたね」
勇樹は笑った。少し黄ばんだ歯が見えたが、余り見栄えのいいものではない。
八重山みつも何かを思い出したようだった。
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