雨の兆し
年が明け、花々が咲く時期になった。春だ。
アミダがクラブ紫陽花と契約解除をしてしばらく経った。
純壱はとても残念そうにしていたけど、引き止めもせずにアミダとの契約解除を執り行った。去る者は追わず、ということなのだろう。
その後、同じ男性ストリッパーである僕に一部の彼のファンが移ってきたのか、僕の知名度は大きく上昇した。
そこから当初の計画通り、僕は公演数を増やした。観客は順調に増加していき、売り上げもアミダに近づいてきた。
純壱は「すごいよ本当に。この調子で頼むよ、静香」と僕を鼓舞してくれる。
出待ちする人や、プレゼントをくれる人も増えた。いつもたくさんの花を持って帰るのが大変だった。
彼らに手を振りながら、純壱と一緒に帰ることで、下心のあるファンたちを避けて帰るのが日課になった。
そういえば。
アミダと会話したあの時から次の公演で、彼の言っていた心構えのようなものを半信半疑で試してみた。
結果、僕は今まで以上にストリップに熱中することになった。
元々公演は楽しいとは思っていたが、彼の言う通りに考えながら公演をしたら、今まで以上の快感を感じた。
終了したあとの爽快感も格別だった。火照った体を冷ましていく過程は、サウナで整うという感覚に近かった。
ストリッパー、静香。
その名は少しずつ、着実に知れ渡っていった。
そうして、再び夏に差し掛かろうとする頃。
「静香がうちの売り上げ一位を達成した」
純壱の口からその言葉が飛び出してきた時、僕は思わず彼に抱き着いて、はしゃいで喜んだ。
彼さえ喜んでいればいいと始めたストリップだったが、いつの間にかそれ以上の、何か別の目的に向かってやり続けていた。それが今日、成績として結果が出た。
やっと、アミダに追いついた、と思った。
これでますます純壱は僕だけを見てくれる。
そうだ。他の誰よりも魅力的になり続けて、彼の視線を僕のものだけにし続けよう。
「おめでとう、静香」
「ありがとう。もっともーっと頑張るね!」
僕は彼に向って満面の笑みを向けた。心の底からの、本物の笑顔だ。
僕の人生は、今まさに最高潮だった。
「んー…」
眠気から覚めて目を開けると、目の前に寝息を立てている純壱がいる。
いつの間にか寝ていたみたいだ。
隣の彼を見つめると、今日も可愛い寝顔をしている。
触ってやろ。
その愛くるしい表情に、いたずら心が芽生えた。
彼の唇を一指し指でそっと撫でてみた。柔らかい感触が気持ちいい。
「早く起きないといたずらしちゃうぞ…」
そっと囁いて、数秒待ってみた。眠りは深いようで、起きる気配はなかった。
「警告はしましたよー…ふふっ」
僕はそっと顔を近づけて、彼のそれと唇を合わせた。
するとさすがに気がついたようで、彼の瞼がゆっくりと開かれた。
「んん…あぁ、おはよう、静香」
「おはよう純壱。先に起きたから、いたずらしちゃったよ?」
「うん…いたすらって…さっきのキスのこと…?」
半分寝ぼけている状態で彼は喋っていた。それがおかしくておもわず笑ってしまう。
「んふふ、そうだよ?」
「なら、もう一回寝れば、またやってもらえるのかな?」
「そうかも?」
「ふむ…」
彼は再び瞼を閉じた。
「仕方ないなあ…」
もう一度キスをしてあげる。今度は無理やり舌も入れてあげよう。
唾液がぐちゅ、と音を立てながら舌を彼の唇の隙間にねじ込んだ。
「ん…」
週秒間舌を動かし続けた後、僕はゆっくりと顔を離した。
「これでどう?起きる気になった?」
「ああ、目が覚めたよ」
彼の目が完全に開かれ、ゆっくりと上体を起こした。
「朝まで寝るなんてね…二人とも昨日ははしゃぎすぎたか」
「新しいおもちゃで遊び過ぎちゃったね。一段と激しかったから、疲れてたみたいだね」
昨夜のことを思い出して、股間が熱くなる。
「思い出すだけで興奮しちゃう…」
「わかるよ、それ」
ふう、と息を吐いた。その隙に、僕は背中から彼に抱きついた。
「ねえ、昨日の公演もよかった?」
甘い猫なで声のような話し方を意識して言う。こういう声で囁いてあげると彼は喜んでくれる。
「ああ。とてもよかったよ。ますます魅力的になってたね」
嬉しくて口角とテンションが上がる。
「でしょー?肌の手入れも力入れたし、動きとかも結構研究してるんだよ?」
「もうすっかりプロじゃないか。いいねさすがナンバーワン」
「えへへ」
腕に力を入れてもっと体を寄せる。彼の熱を感じると幸せな気持ちになる。
「ねえ今日はどんなことする?出かける?それとも一日する」
「それもいいね、どうしようか…」
ふと、ピロロと機械音が鳴った。
その音は純壱のスマホからだった。この音は電話の音だ。
「ちょっと待っててね静香」
「はーい」
彼は立ち上がり、窓際に立って電話に出た。
「もしもし…」
僕はベットの上でうつ伏せになり、肘をついて顔を支えながらスマホをホロモードにして、空中に浮かんだ映像を眺めた。自分用にパーソナライズされた、今日のニュースを見た。
新作アイシャドウの色かわいいな。あ、このカフェのご飯おいしそうだなあ、今度一緒に食べに行きたいな。この女優さん結婚したんだ、相手は…おお、こっちも有名人だ。まさにベストカップルって感じ。さてどこまで続くかなーなんて。まだあの企業の不祥事の記事があるなぁ。叩けば叩くほど悪いことが出てくるし、どれだけ悪いことしてたんだか。明日の天気は…雨か。
「…何だって?」
僕は彼の方を見た。彼の背中しか見えなかったけど、声色はひどく動揺しているように聞こえた。
「わかった。また連絡する…」
彼はスマホを耳から話して通話を切った。
「どうかしたの?」
返事がない。彼は突っ立ったまま、地面を見つめていた。
「ね、ねえ…」
再び声をかけると、彼ははっと驚いた様子を見せて、すぐに僕に向き直って笑った。
「…あ、ああ。ごめんごめん、ちょっとぼーっとしてた」
「大丈夫?何かあったの?」
「いや…会社でちょっとしたトラブルがね…」
だとしたらよっぽどの惨事に違いない。そう思えるほど、彼の顔色は蒼白だった。表情こそ笑っているものの、血が通っていないように見えた。
「クラブで何かあったの?」
「いや、そこじゃない」
「じゃあどこ…」
「悪い、急いで現場に行ってくる」
彼は僕の問いを遮って、あわてて部屋を出て行ってしまった。
「何か変だな…」
そう思いながらも、聞きだしたいはずの相手はとうにいなくなってしまった。
今日聞くのは無理そうだ。腑に落ちないが、今は帰ってくるのを待つしかないだろう。
諦めてベットから降りて、朝ごはんでも食べようとリビングへ向かった。
心の隅の方に、漠然とした不安が少しだけ残り続けた。
それから、純壱はいつも通りに僕と接していた。
ただ、たまにここではないどこか遠いところを見つめているように、ぼーっとして何かを考えることが増えた。
僕はその様子が嫌だったから、それが始まったらすぐに呼びかけて意識を戻した。
それと、どこかに電話をかけたり、公演の間に出かけることが増えた。
どこ行くの?とそのたびに問いかけた。
大抵は複数経営している他の店の視察や、買い物と称していた。
その割には何も買ってこなかったり、暗い顔をして帰ってくることが多かった。
「ねえ、なんか最近変だよ…?」
僕が背中に抱き着きながらそう聞いた。
「そうかな…いつも通りじゃないか?」
「本当に?正直に言って。…心配だから」
腕の力を強くすると、純壱は小さい声で喋った。
「…静香はさ」
「うん」
「今の生活、楽しい?」
彼の顔は見えなかった。妙に悲しげな声色に思えて、ますます心配だった。
「うん、とっても。毎日楽しい。ストリップやって、純壱と寝て起きて、たまにおいしいご飯食べたり出かけたりして。…ここに来てよかったって、いつも思ってる」
「そうか…」
「うん。ほんとだよ?お世辞じゃないからね?」
「わかってるよ。…なあ、今の生活を続けたいと思うか?」
「そりゃあ、続けたいよ。できれば」
僕は純壱にこそ見えないだろうけど、微笑んだ。
「ずっと、この生活が続けばいいのにな…」
このままずっと、純壱と一緒にいられればそれでいい。
ああ、望月さんや和也君も一緒がいいな。
「……っ。そうか」
「純壱?」
彼の声が一瞬、どす黒い暗闇のようなものを帯びているように聞こえた。
「うん、何でもない」
何事もなかったように振り返り、僕を力いっぱい抱きしめた。
「ごめんね。最近、経営がうまくいってなくて不安だったんだ。」
「そうだったの?」
「ああ。経営者として面目ない…君には恥ずかしくて言えなかった。けど、君のために頑張ろうって思ったんだ。だからもう大丈夫さ」
「そっか。ごめん、気づかなくて」
「いいんだ。愛してるよ、静香」
「うん、僕もだよ、純壱」
その言葉に、さっきまでの不安や違和感はかき消されてしまった。
今思えば、予感はあった。けどそれに気づきたくなくて、目を逸らしていただけなんだと思う。
純壱からの愛情に隠れて、僕の疑心は隠れてていった。
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