妖狐

「みんなー今日もありがとう!」

客席に向かって色んな方向に投げキッスをした。

拍手と歓声が会場を埋め尽くす。

彼らが手を叩く度、彼らが黄色い声を上げる度、僕のテンションは上がっていく。

終演までたっぷりとファンサービスをしていく。

「ばいばーい!」

手を振りながら、僕はステージ袖に消えていった。


「お疲れ様、今日もよかったよ」

控室で待っていた純壱が僕を出迎える。

「ありがと。すぐ服着るから待っててね」

僕は一人用の更衣室に入ると、手早く私服を着ていく。クラブにいるのは嫌いじゃないけど、一刻も早く帰って純壱といちゃいちゃしたい。

着替え終わったらすぐにカーテンを開けて外に出る。

「お待たせ、行こ!」

「はいはい」

純壱の手を握り、控室を後にする。

廊下を歩いていると、他の演者やスタッフとすれ違う。そのたびに、

「お疲れ様~」

僕はそう言って軽く手を振って、挨拶して去る。

外へ続く扉へ着くと、純壱がそれを開く。すると、冷気をまとった風が隙間から舞い込んできた。

「うわー外寒そう」

「寒くて耐えられなかったら言ってね。上着貸してあげるから」

「ありがと」

僕たちは外に出た。12月の頭。季節はすでに冬に差し掛かっていた。

吐く息が白く染まり、風によって流れていく。夜空を見上げれば、冬の澄んだ空気のおかげで星が綺麗に見える。

「冬だね」

「ああ。もう冬だ」

僕は純壱の腕にしがみつくように、ぎゅっと体を寄せた。

「寒いし、くっついていこ」

「歩きにくいよ」

「じゃあ離れる?」

「それはダメ」

身を寄せ合って車まで歩いた。と、その途中で誰かに話しかけられた。

「静香君!」

声の方に振り返ると、そこにはいつも公演を前列の方で見てくれていた女性客がいた。彼女は手に花束を持っていた。

「あ、いつも来てくれてる人だ!純壱、ちょっと待っててね」

「はいよ。しっかり対応してあげて」

僕は彼から腕を離すと、女性の方へ寄った。

「こんばんは、いつも見てくれてありがとうね」

「お、覚えてくれてるのね!」

「もちろん。いつも前列にいるから分かりやすいし」

そう言って僕が笑ってあげると、彼女もほころんで笑顔を見せた。そして思い出したかのように、手に持っていた花束を僕に向かって差し出した。

「これどうぞ!今日の公演もよかったです!」

「わあ、綺麗な花束!ありがとう、嬉しい」

水色を基調とした花束だった。僕の好きな色がたくさん入っていて、後で花瓶に入れて飾ろうと決めた。

僕はそれを丁寧に受け取り、微笑んだ。

「寒い中わざわざありがとう」

「い、いえ…大したものじゃないですけど。そう言ってもらえてうれしいです!!次の公演も楽しみにしてます!」

「うん、次も頑張るね!」

ばいばい、と手を振って僕は彼女の元を去った。余韻が残っているのか、彼女はその場でしばらく立ち尽くし、僕を見つめてきていた。

「見て純壱、お花貰っちゃった!」

「綺麗な花束だね。よかったじゃないか」

「うん!」

僕は花の香りを嗅いでみた。甘く、優しい香りがした。


始めて公演に出たあの日から少し経った。

あれから僕は何度も公演に出た。裏方の仕事は完全に引退して、表舞台に出ることを主にすることに決めた。

繰り返せば慣れるもので、観客の前で脱ぐことに抵抗は無くなった。むしろ、他人に体をいかにいやらしく魅せられるのか、どうすれば観客は喜ぶのか研究し始めた。

それに、拍手喝采を浴びることに快感も覚えていた。人々が僕を見て歓喜する様を見て、僕も喜んだ。

僕はこの仕事を楽しんでいた。

公演のたびに純壱は褒めてくれる。ちゃんと、もっとこうした方がいいかも、といったアドバイスもくれる。僕はその時間が大好きだった。公演を見ている彼が、僕をどんなふうに見ているのか、どんなことを思っているのか。それを聞くのが楽しみだった。

まだ週に2,3度。1日1公演という頻度だったけど、この調子で知名度が上がれば公演数も増やそう、と純壱から提案されていた。純壱が望むなら、とその提案に同意した。

今のところ知名度も収益も急激に上がってきてはいるけれど、それでも人気者にはほど遠い。

でもまずは、純壱が喜ぶのが大前提だ。喜ばせ続けるためにも、僕はより高みを目指していくほかないのだ。

閑話休題。

ストリッパーとしてデビューしてからの間、純壱との生活も順風満帆だった。

毎日のようにくっつきあっては行為を繰り返し、どちらもが積極的に求めた。

デートもたくさんした。色々なところへ行った。

本当に楽しい日々だった。彼といるときは、すべてが満たされたような幸福を感じていた。

純壱はどう思っているのかわからないけど、僕が何度も口に出して「愛してる」というた度に、嬉しそうに笑ってくれる。

「君に会えてよかった」

これが彼の新しい口癖だった。

家のことをやってくれている望月さんと和也君の二人の生活も軌道に乗っていた。

望月さんは以前、旦那さんと離婚して独り身だったが、最近になって新しい相手が見つかったらしい。いいお相手だそうで、うまくいけば結婚もありあえるかもしれないとのことだ。

和也君はうちのお手伝いとして働きながら、料理関係の資格の勉強をしていたらしく、見事そのうちの一つに受かったらしい。彼の料理の腕にまた更に磨きがかかることだろう。

僕と、純壱と、さらにその周りの人たちの生活は順調そのものだったと思う。

こんな生活が、一生続けばいいのに。僕は心の底からそう思った。


ある日。

12月も終盤のころ。

公演が終わり、控室に戻ると、人がいた。

見慣れない後ろ姿。椅子に座っていた彼の正体に、数秒遅れて気づいた。

アミダ。

彼がそこにいた。

椅子に腰かけ、メイクの調整をしている様子だった。

か細い後ろ姿は、後ろから抱きしめてしまえば、今にも壊れてしまうのではないかというほど繊細に見えた。

整えられた肢体は、見た人の視線を引き留めてしまう魅力がある。

僕はじっと、彼の姿を見ていた。

筋力はありそうなのに細い四肢。滑らかな肌。さらさらとした髪。

これほどまでの完成度に達すれば、純壱はさらに喜んでくれるだろう。

だから僕は見た。観察した。この高みへ行くにはどうすればいいのか。

目標たるその存在を目に焼き付けようと躍起になった。

髪が揺れた。毛先まで整っていた。僕はぼーっとして気づくのに遅れたが、髪が動いたのは、その持ち主が動いたからだということだ。そんな当たり前のことに気づくのに数秒かかった。

その間にゆっくりと、その目は僕の方を見た。

「こんにちは」

赤い色の潤った唇が動き、言葉が発せられた。

アミダは振り向いて、僕の方を見ていた。

一瞬、僕に話しかけていることにすら気がつかなくて、僕は慌てて返事をした。

「…あっ、こんにちは。いや、お疲れ様、です?」

どういう態度で接すればいいのかわからず、変なつながりの言葉を発してしまった。

彼はいうなれば僕の大先輩である。なら、ここはひとつ敬意をもって接しなければいけないだろう。

「ふっ、そう硬くならないでよ。気楽にいこ、ね?」

「はい…わかりました」

「敬語も使わなくていいよ。そういうの気にしないから」

予想に反して、彼は砕けた態度の人のようだった。正直、ものすごく態度が大きかったらどうしよう、と思っていたところだ。少しほっとした。

彼は口角を上げてほほ笑みながら、隣の椅子の上を指先でトントン、とつついた。

「公演までまだ時間あるし、よければ、座って話さない?静香クン」

「名前…」

ぼそ、と僕がつぶやいて問うと、彼が答えてくれる。

「知ってる。最近話題だからね、君」

ふふ、と再び彼は笑った。

まあ、知っていてもおかしくはない。せっかくだし、僕も話したいと思っていたところだ。

言葉に甘えて会話の機会をいただこうではないか。

けどその前に。

「…じゃあ、着替えたら来ます」

と、言い残して僕は更衣室に入り、取り急ぎ服を着て、先ほど指定した席に座った。

改めて、アミダの顔を見た。整った顔立ち。石膏像のように、きめ細やかな肌と繊細な造形だった。

このような完璧に限りなく近い容姿の彼が微笑めば、誰もが虜になるのは頷けた。

彼の長い指で、リップの蓋閉められる。

どの動作を切り取っても、品があり眺めていたくなるようなしなやかさがある。

不意に、彼は僕に向って掌を差し出した。

「お茶どうぞ」

「えっ」

目の前の机を見ると、紙コップに入った緑茶が置かれていた。いつの間に。

「着替えている間に用意してもらったんだ」

アミダに気を取られれまったく気づいていなかった。

本当に彼は視線を引き付けて、他の何もかもを忘れさせてしまうカリスマがあるのだ。それを今まさに実感した。

すごいなあ、と感心してしまった。

「気遣いありがとう…」

「お礼は後でマネに言ってあげて。それよりも…」

彼の長い指が顔を撫で、頬杖をついた。そうしてこちらを見た。

「社長の愛人さんなんだ、君」

「えっ、ああ、はい…」

いきなりそんなことを言われると思わなかった。

まさか前の時みたいに、純壱のことが好きで僕に嫉妬しているとかではないだろうか。

途端に不安感が襲ってくる。負の記憶が思い起こされる。

妙に記憶力がいいせいで、いいことも嫌なことも忘れられないのが困る。

少しだけ身構えた。いったいどんな罵詈雑言が飛んでくるのかと警戒した。

「もしかして、純壱のこと…」

「うん?ああ、安心して。興味ないから」

あっけらかんと彼は答えた。拍子抜けした。

「そ、そうなの?」

「うん。まあ元々、彼は僕と関係を持ちたかったから、このクラブにスカウトしてくれたんだと思うけどねえ」

「それがきっかけで、ここで公演をやるようになったんですか?」

「敬語」

「あっ…ええと」

「ふふ、ごめん、からかっただけ。そうだよ。他と契約してたけど…良い条件だったし、少ない回数でよければって条件で、ここでやることにした」

アミダは指先で、リップの入れ物を弄んだ。

「社長さんとは一回寝たけど、それっきりだね。契約をやめなかったのは、条件と環境のいい職場を捨てたくなかったからだけど」

「一回だけ、なの?」

トップストリッパーのアミダなど、人々が欲する最高峰の人間の一人のはずだ。純壱が一度抱いただけで手放すとは思えない。

「ほんとだよ。なんていうか…僕を抱いた後にね、彼、『この人じゃない』って顔をしてた。それきり誘われなかったし、そんな顔してた人を誘おうなんて思わないでしょ?」

彼はか小首を傾げた。イヤリングが揺れる。

「この人じゃないって、何が…?」

「多分、運命の相手、的な奴じゃないかな」

「それは…」

「あの頃の社長、男女問わずにひたすら、だれかれ構わず関係を持ちまくっていたからね。探してたんじゃないかな、そういう、一生傍にいて欲しいと思う人をさ」

「そうなのかな…」

僕と出会った純壱からは、とてもそこまで荒れているようには見えなかった。アミダの知る頃から、何か変わったのだろうか。

「単純にヤリチンなだけだとも思うけどねえ。まあ、僕にはもはや関係のないことだから、どうでもいいけどね」

くすくす、と彼は笑う。

「ねえ静香クン」

「…はい」

「僕さ、ここのクラブとの契約、やめようと思うんだ」

「えっ」

突然のことに動揺が隠せない。

なぜ、さっきまで条件が良かったとか言っていたのに。

「どうして?」

「君に負けそうだから、その前に撤退したいの」

「僕に?そんなまさか…」

「いいや負けるよ」

とん、と手に持っていたリップと机に突き立てるように置いた。

「君が僕に勝っているのは、何だと思う?」

黒い眼が僕を見つめてくる。気配に後ずさりしそうになる。

「な、何…?」

「若さ、だよ」

「えっ、でもアミダさんも十分若いんじゃ…」

「僕は今年で30になる。この業界じゃ、もう十分おじさんだよ」

「そんな…」

これほどの美貌を持つ彼ですら、この世界ではもう頂点ではないというのか?

彼に対して抱いていた尊敬の念が、氷が解けるように少しずつ崩れていくような気がした。

「まあ、今すぐではないだろうけどね。そのうち抜かれるよ。君、なかなかやるしさ」

「そ、そうかな…」

「社長にはまだ言ってないけど、そういうわけで近々いなくなるからさ。僕の分まで、お客さん楽しませてあげてよ」

「…はい」

彼の口ぶりから、契約解除は確定事項のようだ。もはやそのことを受け入れるしかないのだろう。

「やめる前に一つ、聞いてもいい?」

彼がここから去る前に、手に入れられるものは取っておくに越したことは無い。

技術を少しでも引き出してやろう。

「なあに?かわいい後輩クンのためになんでも答えてあげるよ」

彼は笑顔で、覗き込むように僕の顔を見た。僕は生唾を飲んだ。

「公演をするときのコツ、みたいなのって、あるの?」

「…そうだねえ」

そう呟くと、彼は前のめりになり、僕の耳元に口を寄せた。

「僕がストリップやるときはね…」

吐息交じりの囁き声で言う。鳥肌が立ち、ぞくぞくとした感覚がするのを覚えた。

こそばゆい。なのに、その声からは逃れられないような気がしていた。

「セックスする時みたいにやるの。恥じらうふりをして、たっぷり焦らして。そして脱いだ後は、絶頂に達した時みたいに、高ぶる。体中が熱くなって汗が滴るとね、お客さんも喜ぶし、何より自分自身が気持ちいいって思えるんだ…」

耳の中に直接液体を流し込まれるように、言葉が脳へと入れられていく。

僕は息をのむ。いけないことを教えられているような、背徳感。このまま言葉だけで絶してしまいそうだった。

「一番大事なのは楽しむこと…あの会場の歓声、視線、舞台。すべてを自分のものだと思えば、まるで物語の主人公のような気持ちになれる…」

「自分の、もの…」

公演で見せていた彼の表情は、その心構えの産物なのだろうか。

不意に胸元に何かが当たる感触がして見下ろすと、アミダの人差し指がそっと、僕の胸に触れていた。

ドクン、と心臓が跳ねる。このまま心臓を貫かれてしまいそうだと思った。

「次の公演から、試してみて」

ふふ、と唇の隙間から吐息を漏らしながら、彼は姿勢を戻して僕の顔から離れた。

僕の体から、変な火照りを感じた。

鏡を見ると、顔を赤らめた僕がいた。

「そろそろ時間だから、行くね」

彼は椅子からゆっくりと立ち上がった。方向を変えて歩き出したが、2、3歩ほど歩いたところで踵を返した。

「ああそうそう、もう一つ。アフターは男とした方がいいよ。女の子だとできちゃったとかめんどくさいしさぁ」

「え、アフターって…?」

言ってから、その言葉の意味にうっすらと気づいた。

「ああ、君は恋人がいるから関係ないか」

「そ、そうだね…」

ふふ、とアミダが笑った。その笑みは今までの笑みと違って、何か含みがあるように見えた。

真意はわからない。けど、彼は僕が知らない何かを見ているのは確かに思えた。

「いつか必要になったら、参考にしてよ」

そう言いながら、彼は立ち上がった。

「じゃあ時間だから行くね。ばいばーい」

手を振りながら、彼はステージに向って去っていった。歩き方すら、しなやかで見とれてしまう。

残された僕は、一度大きく息を吐いてから、その場を後にした。

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