光の中へ

その日から、ずっと気が気じゃなかった。

公演日が決まった。9月の頭に、その日の一番最初の公演に出演することになった。

純壱をはじめ、ナターシアさんや他の先輩方に色々アドバイスをしてもらいながら、公演日まで色々な準備をすることになった。

一番気を遣え、とナターシアさんから言われたのが肌の手入れだった。彼女におススメしてもらった肌ケア用品を純壱に購入してもらい、毎日風呂上りに顔や体全身にオイルやクリームを塗るのを徹底した。ちなみに純壱に塗ってもらった。その後どうしたかは言うまでもあるまい。

体もやわらかくした方がいい、とストレッチもした。公演まで短い期間しかないから申し訳程度の効果だと思うが、やらないよりは気持ちも気合が入るので続けることにした。

公演までの間、僕はアシスタントの仕事を休み、リハーサルや体の調整に専念した。

とはいえ純壱からは、

「気楽にやって構わないよ。僕が見たいだけだから、なんてね。あまり気負いすぎないでほしい」

と言われた。けど、僕には純壱にがっかりしてほしくない、と思っていた。僕にしてくれた色々を返すためにも、できることを全力でやって彼を魅了してやりたい。もはや意地だ。

同時に不安も残る。僕にできるだろうか、という自分自身を疑う気持ちも無いわけではなかった。

そんな訳で、公演日までの数週間は、とにかく何をしても先述した心持ちのせいで落ちつかなかった。

見かねた望月さんや和也君が、

「体を落ち着けさせる効果のあるハーブティーです。よろしければ、どうぞ」

「ご飯が喉を通らない?ならそういう時は果物っす!ゼリーもいいっすよ!今から買ってくるっす!!」

と気を使ってくれて、もう頭が上がらなかった。本当に頼もしい二人だと思う。

そうして迎えた公演日。

「純壱、僕吐きそう」

シャレにならないくらい、僕は緊張していた。

鏡に映った僕の顔色は真っ青だった。

「気を楽にして。観客も君が初心者だってこと知ってるから、ちょっと変でもかわいいな、ぐらいに流してくれるから」

「そうだけど…あー、ここに来て急に怖くなってきちゃった…」

起きてからクラブに来るまでの間はなんとか落ち着いていたが、控室で衣装に着替えた途端、これから本番なんだという自覚が芽生えてきて、途端に緊張の波が押し寄せてきた。

今日までずっとそわそわして落ち着きがなかったが、今日はそれの最高潮に達してしまった。震えが止まらない。

「今更やめるなんてしないけどさ、やっぱりまだ怖いよ…」

僕はペットボトルの蓋を開けて、水を一口飲んだ。ごくんと、妙に大きい音を立てて水が食道を流れていった。

「これは学校のお遊戯会じゃないんだ。本物のステージなんだよ?ねえいいの、僕が立っても?」

言葉にして吐き出された感情に、僕も何を今更、と思った。

僕にとってあの場所はあまりにもきらびやかで、大きすぎないかと、ずっと思っていた。

純壱に頼まれた勢いで、僕は今日まで準備してきた。彼を喜ばせたい気持ちは本当だ。けどやっぱり、僕なんかが出ていいのかと、それもずっと考えていたことだった。ここへきて、後者の感情の方が勝ってきてしまった。

「落ち着いて。そもそもクラブのオーナーは僕だ。誰が出るのがふさわしいかは僕が決める。そのうえで、僕は君に出る資格があると言ってるんだ。つまり、他の誰に何と言われようとも、君はあの場に行く権利がある」

純壱が僕の肩に手を置いた。

「それに大丈夫だよ。僕は確信してるんだ。君があそこに立ってパフォーマンスをする姿は、絶対にいいものになるって」

僕はその手にそっと触れた。

「ほんとに?」

「ほんとうだ」

「…信じるからね?」

鏡越しに見た純壱が頷いた。

「メイク始めるわよ。背伸ばして座りなさい」

ナターシアさんは大量のメイク道具を机に置いた。純壱は気を利かせて、僕から離れた。

「シャキッとしなさい。いつもの笑顔を忘れちゃだめよ」

「は、はい」

僕の顔に下地のクリームが塗られていく。

「緊張して体硬いわね」

「まあ…はい」

「それじゃ緊張のほぐれる面白い話をしましょう。…アタシ社長と寝たことがあるんだけどね」

「おい、ちょっと待ってくれよ。あの話をするんじゃないだろうね?だとしたら勘弁してくれ。あのときはだいぶ荒れてたから…!」

純壱が慌てた様子でナターシアさんの話を遮った。

「あらこの話だめ?すごく笑えると思ったんだけど?」

「だめだ、特に静香には。…しばらくずっとそれでいじられそうだから」

「な、何それ気になる…」

「ほら静香ちゃんもそう言ってるわよ?聞かせてあげないとねえ?」

「そうだそうだ!教えろ~!」

「いくら静香の頼みでもダメだ。絶対それでしばらくいじられる未来は想像に難くない…」

「えー…」

結局話を逸らされて聞くことはできなかったが、いつの間にか僕の緊張の波は引いていた。さすが、何人もの演者たちの世話をしてきたベテランだけある。彼女にも世話になりっぱなしだ。

つつがなく準備は進行していった。暫くしてメイクも完了し、髪の毛も整えて、衣装にも着替えた。あとは時間を待つのみとなった。

「衣装が似合うね、静香」

準備を遠くで見守ってくれていた純壱が、いつのまにか傍に来ていた。

「ありがとう。肌の露出が多くて落ち着かないけど…」

青色を基調とした丈の短いワンピースドレスのような服に、下着はTバックを履いていた。それに薄い布状の、ウエディングのベールのようなストールを一枚羽織っていた。

靴はヒールに慣れていないからと、青ベースに花の飾りのついたサンダルを用意してもらった。

服にはキラキラとした飾りが沢山ついていて、動くとそれらが当たりあってシャラシャラと音を立てる。

余談だけど、本来男性はズボンを履いて下半身を隠し、上半身は飾りのみで半裸の状態の衣装がポピュラーらしい。辰さんのような、筋肉質の男性ストリッパーと違い、僕は細身で筋肉も大してないから、可憐さを意識した衣装をあてがってもらった。

「背中も空いてるし、足をこんなに出した服、着たことないしで、不思議な感じ」

「でもよく似合ってる」

「衣装に着られてる感がある気がするけど…」

「そんなことないよ。青色は君によく合う」

僕は手の爪を触った。爪も、最近黒色のネイルをずっとしていた。

「静香、ちょっと立って」

「ん?」

僕は言われるがまま椅子から立ち上がった。すると、彼は僕を抱きしめた。いつもの力強さはなく、優しくそっと抱き寄せるだけの抱擁だった。メイクや衣装が崩れないように配慮してくれたのだろう。

「君は本当にかわいい、美しい。自信を持ってくれ。誰がなんと言おうとも、僕がそれを保証する」

「…うん」

頭上から優しい声が落ちてくる。僕はそっと耳を傾ける。

「パフォーマンスをうまくするよりも、楽しむことを優先するんだ。簡単に流れとか練習しただろうけど、あまり気にしなくてもいい。君のやりたいようにやってくれ」

「わかった。やってみる」

「…今日、出てくれてありがとう。客席で見ているからね」

「目を離しちゃだめだよ?ずっと見ててね?」

「もちろんだ」

彼はそっと僕の頭を撫でた。

「時間よ」

ナターシアさんが控室に入りそう告げた。純壱は僕から離れ、手を振った。

「いってらっしゃい」

小さく彼は微笑んだ。

僕もそれに笑顔で返事をした。

「行ってくるね」

僕は小さく手首を振って、控え室を後にした。


ざわめきが聞こえる。ステージ袖についた。

僕は目を閉じた。

深呼吸をした。

聞こえてくる音楽に耳を澄ませた。

心臓の音の方が大きく聞こえた。

怖い、けど、高揚感もある。

もう一度深呼吸をした。

彼が見てくれている。他でもない誰のためでもなく。

彼のためにやろう。

見ていてね、純壱。

目を開いた。

足を一歩踏み出して、ゆっくりと光の中へと進んだ。


一歩ずつ進み、ステージの中心を目指す。

観客席を見た。アミダの時とは違い客席の埋まり具合はまばらで、十数人といったところか。それでいい、と思った。初めてにしては十分すぎるほどの人数だ。

彼らに向って手を振った。拍手の音が鳴り響き、僕を迎えてくれる。

その中から純壱を探した。まだ来ていないのか、見当たらない。

中央に着くと、僕は腰を曲げてお辞儀をした。それを合図に、拍手が鳴りやむ。

そのタイミングで、EDM調の音楽が鳴り始めた。

顔を上げるまでの間、僕は思い出していた。

純壱との輝かしい思い出を。楽しいという感情の時の記憶を。

笑おう。

笑顔でいれば、余裕があると思わせることもできる。ナターシアさんもそう言っていた。

そうして作り出す。僕の、最高の笑顔を。

僕は顔を上げた。

一番後ろの、従業員通路を出てすぐの客席付近。

いた。

作り出したはずの笑顔が、本物になった気がした。

見て。

僕はストールをステージ脇に向って投げた。

そして足や腕を魅せるように体を動かした。下着が一瞬だけ見えるように、足を上げてみたり、脇が見えるように両手を上げて頭の後ろで組んでみたりした。

動きはすべて、遠くにいる純壱を意識していた。

同時に思い出していた。アミダの動きを。

彼がどうやって魅せていたか。思い出せる限りの彼の動きを、見よう見真似で再現する。

彼に比べると、しなやかさの欠片もないだろうけど。

そろそろ頃合いか。

僕は衣装の裾を掴む手はおぼつかない。緊張で手が震えていた。

これを脱げばほとんど裸だ。

恥ずかしさが突然襲ってくる。

両手でつかんだ裾を持ち上げていく。それも、ゆっくりと。

焦らす意味合いもあったが、本当はためらいがある故だった。

ちら、と顔を上げて縋るように、純壱の方を見た。

遠くて表情はわからないが、彼が何をしたかは分かった。

彼は首を縦に振った。

そのままいこう。そう言っているのだろうか。

はたまたさあ脱いで、とせかしているのか。

本懐はわからない。けど、僕は勝手に肯定的に考えることにした。

思い切って衣装を脱ぎ捨てた。

サンダルと下着だけになる。素肌がスポットライトに照らされた。

開場からは歓声と拍手が沸き上がる。

体が熱かった。

緊張なのか興奮なのかわからない熱さが体を支配した。そのせいで汗がにじんでくる。

一人の観客を見た。その人は笑顔だった。僕のパフォーマンスで喜んでくれているのだろうか。いや、新人に対する慈悲の愛想笑いかもしれない。けどどうだっていい。

問題は純壱が喜んでくれているかどうかだ。相変らず表情はわからない。

もうやりきるしかないんだ。

さあ見ていて。

僕はサンダルを脱ぎ捨て、下着に手をかけ、その手を下ろした。

おお、と歓喜のような歓声と拍手が再び沸き起こる。

下着をステージ袖に向って放り投げて、アミダの公演での動きを再び思い出しながら、体を動かした。

露わになった僕のあそこを、足を広げて魅せつける。会場の視線が集まっているのを感じた。

もはや意識せずに僕は笑って、彼らに肢体を魅せ続けた。

気がつけば、僕はこの公演を大いに楽しんでいたのだ。

人々が上げる歓声。見つめる視線。

アミダほどの規模ではないにしろ、それらを浴びているうちになんというか、快感を覚えていた。

皆が見ている。純壱が見ている。

不思議だ。

以前はこんな風に、誰かに、否"あいつ"にいやらしい目で見られるのが嫌だったのに。

今はなんだか、気持ちがいい。

純壱の方を再び見た。

こんなところも、あんなところも全部。

見て。

見て。

見て!

首筋辺りを汗が流れ落ちた。

そうだ、そろそろ終幕にしなければ。

僕は客席に背中を向けてポーズを決めた。

有能なスタッフが、頃合いを見て音楽を止めてくれる。

拍手の音を浴びながら、僕は客席に向かってお辞儀をした。

「ありがとうございました!」

精一杯の大きな声で叫び、手を振りながらステージ袖に向って歩き出した。

その間に、いくつかの歓声が聞こえた。

「よかったぞ新人君!!」

「初めてにしちゃあ上手だったぞ!」

それは良かった。

何とかうまくいったみたいだ。

観客席から見えない位置まで言ったところで、僕は公演が終了した安心感から、緊張が解けたのか力が抜けてしまった。ふらふらとした足取りで、ずっとステージ裏で見守ってくれていたナターシアさんのところまで歩いたところで、僕は力尽きて膝をついた。即座に彼女が僕を倒れないように支えてくれた。

「よく頑張ったわ。最高だったわよ」

ありがとう、と小さく呟き、僕はナターシアさんに支えられながら控室に戻った。


僕、篠崎純壱はその辺の男の子に恋をした。それも未成年の。

おかしな話だと思う。突拍子もない、そう考えるのが筋であると、僕も思う。

ただ、あの日雨止みを待つ彼の横顔を見て、僕は確信していた。

彼はきっと、数年後には最高の男になる。

物憂げな横顔は、自分の手中に収めて、愛情をこめて愛でてやりたいと思わせる魅力があった。

そもそも、傘を貸してあげようと外に出たとことから嘘だった。

バーのママには「さっきからずっといるけど、雨のせいで帰れないのかもしれない。傘を貸してくる」と、白々しく演技をして外に出た。

本当は、彼を引き留めたかっただけだった。

結果的にうまくいった。一度断られた時はダメかと思ったけど、まさかその日中に連絡が帰ってくると思わなかった。あの時は本当に嬉しかった。

その時から考えていた。

彼が僕の店で、ストリッパーとして出演すれば、アミダをしのぐほどのトップスターになれるんじゃないか、と。

根拠は無い。ただ、予感があった。

静香は人々の目線を集める魅力がある。彼のかつての環境が性の才能を育て、今の僕やクラブのメンバーなどのコミュニティに触れることで、社交性と愛くるしい表情を身に着けた。

そんな静香に、僕は虜になった。初めて彼と交わった日、童貞を卒業した初めての行為よりも気持ちが良かった。幸せだと思った。いける、と思ってしまった。僕は卑劣だと思う。

少しずつ、彼がこの業界に興味を持つように仕向けた。バイトの内容なんて本当は、直接的過ぎていいところだ。レールを敷くように僕は彼を誘導していった。結局、最後は半ば強引に頼み込んでしまったが、彼は快く引き受けてくれた。

そうして今日に至った。

ステージに立つ静香の姿は、僕が思い描いていた理想の遥か上だった。

ステージの上でスポットライトに照らされた笑顔は、手を伸ばして触れたくなるような、いとおしさであふれていた。

ああ、綺麗だ。

彼は人々を魅了していた。初めてとは思えない、妖艶な表情、誘うような甘美な動き。

本人にも気づきえなかった才がある。間違いない。

僕の目から涙が頬を伝って流れ落ちた。

至高の芸術作品を見たような、あるいは憧れていた誰かに会った時のような、感涙。

火照って赤くなった顔と、僕の目が合った。

ほら見て。そう言っているような錯覚。

目を離すものか。このような彼の晴れ舞台を、一秒たりとも見逃してなるものか。

公演が終わるまで、僕はここ以外の世界がなかったかのように、ステージだけを見ていた。

音楽が鳴りやむ。

彼は一礼をしてステージを去っていく。

その姿に、僕は拍手を送った。

姿が見えなくなると、いてもたってもいられなくなって、僕は控室へと走り出した。


服を着替える気力がなかったので、タオルに包まって椅子に座った。

激しく動いた自覚は無かったが、体力を使い果たしたのか体に力が入らなかった。

ナターシアさんがくれた、ペットボトルの水を一口飲んだ。熱い体の中心に、冷たい水が通る感覚がした。

「アンタ、初めてにしては上出来だったわよ!」

彼女は僕の背中をバシバシと叩いた。ちょっとだけ痛い。

「ゆっくり休みなさいよ!」

「…はい」

「アタシは他の子の準備の手伝いしなきゃいけないから、行くわね。あとは愛する"彼"にケアしてもらいなさい」

そう言って彼女は他の演者のところへ去っていった。

僕は控室の端の席で、火照った体を冷ますのに務めた。

そのうちに勢いよく扉が開かれ、控室に純壱が入ってきた。

「静香!」

彼は僕に駆け寄ったと思えば、激しく僕を抱擁した。

「むぐっ!」

顔が服に埋まって変な声が出た。

「よかった、本当によかった!最高だったよ静香!!ああやっぱり僕の思った通りだったよ!」

純壱は僕を強く抱き寄せながら、激しく喜びを露わにしていた。

紛れもなく彼は僕の公演を楽しんでくれていたようだ。

僕はほっと胸を撫で下ろした。これで一番の不安の種は解消された。

「本当にありがとう…!素晴らしい公演だった」

彼は僕を解放すると、両手で僕の頬を包んだ。彼は僕が今までに見た中で一番の笑顔をしていた。

それを見て僕おもわず口元が緩んでしまう。

「えへへ…喜んでもらえてよかった…」

他の誰でもない、純壱に喜んでもらえてよかった。

胸の中が、興奮とは違った、優しい温かさで満ちていくのを感じた。

「なあ静香、君が良ければこれからも…」

「うん、いいよ」

僕は純壱の言葉に被せるように答えた。

「え、いいのか…?」

「こんなに喜んでもらえるんだもん。いいよ、もっと出ても」

「君は本当に…」

彼は口元を手で覆った。泣きそうになるのをこらえているように見えた。

「ありがとう、愛しているよ…心の底から」

僕の唇に温かくて柔らかいものが触れた。

「うん、僕も」

彼の首に腕を伸ばし、

「邪魔するわねー」

ナターシアさんだった。彼女は控室に入り、机の上に置いてあったポーチをもってそそくさと出ていった。

彼女がいなくなった後も、気まずい空気感が残った。

「か、帰ろっか!!」

僕は精一杯の笑顔で無理やり話題を変えた。

「そうだね。帰って、もっとじっくりしよう。ね?」

頬を赤らめた純壱が、悪い笑顔でそう言った。

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