決別

湿気を含む熱気が肌にまとわりつく。6月と言えど、もうすでに外を歩くと、汗をかくほどに暑かった。

車窓から外を見る。青空が広がり、ビル群が次々と通り過ぎていく。

暫くシートに揺られていると、車は大きな商業施設の駐車場に止まった。

都心の外れにある、大型のショッピングモールだった。

最初、純壱は高級ブランドが立ち並ぶほどの、セレブ御用達の通りで買い物をしよう、と提案してきたのだが、

「あの…僕には敷居が高すぎると思うから、いったんもう少しグレード下げない…?」

と、引き気味な僕に「そうかな?」と疑問を抱きつつも、

「その方が静香も買い物しやすいか、わかった。そうしよう。」

と何とか納得してもらった。

いくら何でも、先日まで一般人だった僕が、有名なブランド品を手にするのは、その後の人生に色々と影響しそうだし…。

そもそも、ああいったブランド品の価値が僕には全く分からなかった。その辺の安いものの方が、デザインがいい時だってあるじゃないか、とさえ思う。

とはいえ、今日来たこのショッピングモールは家族向けのラインナップではなく、若い大人や富裕層に向けたやや価格が高めの設定の店が立ち並ぶ施設だった。先日までの僕の金銭感覚からすると、十分高いと言わざるを得ない。

僕としては服なんて有名チェーンの看板商品程度でもよかったが、純壱の恋人、という立場になるにあたって、それではふさわしくないだろう。

三人、並んでモール内を歩く。僕と純一と、荷物運びに和也くんが昼間から来てくれた。

歩幅が広い純壱に合わせて歩くのには骨が折れる。和也君は余裕そうだった。

歩く途中に目についた服屋に片っ端から入って、僕が気になってみていたものを「じゃあそれ買おう」と、ためらいなしに純壱が購入していく。もちろんサイズはちゃんと合わせたうえでだが。

ついでに下着やら肌着なんかも、すぐ擦り減るし多めに買おう、と少し値の張るボクサータイプのパンツを「これ各色5セットずつ」と、業務用かと言いたくなるような買い方をしていった。その間、僕は遠慮して「ちょっとでいいよ」とか「もう少し安いのでいいよ」と言おうとしたけど、店員を前にしてそんなことを言ったら、純壱の品位が下がりかねない気がしたので、必死に押さえた。帽子やアクセサリーも僕に試着させて、「似合うから買おう」と言って買っていく。この人、本当にお金に糸目をつけないなあ。

でも正直、僕も今の状況はまんざらでもなかった。気に入ったパーカーや、ジーンズ生地のジャケットなんかを買ってもらって、いつどうやって着ようかと少しわくわくしていたし、ずっと前からテレビで見て欲しかったスニーカーなんかも買ってもらってしまった。嬉しくておもわず表情がほころんでいたと思う。それを見て純壱も嬉しく思ったのか、「店の商品全部買おうか?」などと言い出したので、さすがにそれは止めた。

それから雑貨屋に行って、自分用のマグカップを買ったりだとか、歯ブラシとかシャンプー等の消耗品を買ったりした。途中、和也君が気に入った調理器具を買ってもらっていて、飛び上がって喜んでいた。

買い物袋は増えていき、和也くんが何個もの荷物をひっさげて歩いていた。さすがに一人はきつくないか?と思って声をかけてみたが、

「いえいえ、俺の仕事っすから!気にしなくて大丈夫っす!」

と元気に返されてしまった。腕に紐が食い込んでいるように見えるけど、本当に大丈夫だろうか。

「ひとまず、こんなものかな」

純壱が足を止めた。

「最後に飲み物でも飲んでから、ご飯を食べに行こうか」

「ん、わかった」

「じゃあ俺は先にタクシーで荷物持って帰ってるっす!!」

和也君は回れ右をして一人先に行こうとする。

「えっ、一緒に食べないの?ご飯」

「はい!この荷物もっていかなきゃですし、夕飯の仕込みもあるっすから!何より二人きりでの方が気を使わないっすから!それじゃあ俺はこれで!」

そういって、ものすごい速さでこの場を去って行ってしまった。見た目的に走っているように見えなかったが、競歩だとしても早すぎないだろうか?

「本当にいい子だよね。力もあって空気が読めて、何より料理がうまい。じゃあ行こうか」

純壱の後ろをついていく。

なぜか急に、今の言葉にちょっとだけ僕の心がざわついた。

こんなに純壱に褒められていいなあ、と思ってしまった。


純壱についていくと、巷で話題になっていたお茶の専門店に着いた。

「来たことないよね?」

僕は首を横に振る。

「じゃあ飲もう。何がいい?」

僕は店先の看板に目を通した。

見たことない名前のお茶がいっぱいあった。フルーツだのクリームだのが入った飲み物が写真付きで紹介されているが、いまいち何が何だかわからない。

「よくわかんないな…どうしよう」

「静香が良ければ僕のとおんなじのにする?」

「そうしようかな」

二人で列に並ぶ。

「そういえば曜日の感覚がなかったけど…今って」

「土曜日」

「そっか」

どおりで人が多いと思った。

列が長かったけど、純壱が飽きさせないように僕に話しかけてくれる。

以前の純壱に関して聞こうと思ったが、「人前だと言いにくいから今度ね」とはぐらかされてしまった。

けど、少しだけ教えてくれた。

「僕は今も昔も、悪いことばっかりしてるよ」

耳元でそっとそう呟いた。吐息が耳にあたったせいでくすぐったくて、ぞわと鳥肌が立った。それに僕はちょっとだけ文句を言いたくなった。

「…ばか」

結局ものすごく小さい声で言った。多分、聞こえてない。

そのあとは、僕と会ったバーの話になった。あそこのオーナーは純壱の友達の一人で、若い子に優しい人らしい。オーナーというのは、オネエのあの人のことだった。最近手術で正式に性転換したらしいので、女性ということで間違いなさそうだった。

そんなこんなで自分たちの番が来た。

「パッションフルーツシトラスティ―を2つ」

おおよそは想像できる名前の飲み物を純壱は頼んでいた。トッピングや氷の量なども選べたが、よくわからなかったからいったん今回は全部任せることにした。

レシートを受け取り待った。何分かの後にレシートの番号が呼ばれ、受け取りカウンターへ向かう。すると、店員に手渡されたのは、細かく切ったフルーツがたっぷり入った容器だった。こんな見た目が綺麗な飲み物は初めてだった。たぶん、僕の目は輝いてたと思う。

太めのストローをさして、一口飲んでみた。酸味と苦みが程よく混ざって、今までに飲んだことのない不思議な味がした。

「おいしい…」

おもわず口から感嘆の声が漏れた。

「ありがとう、純壱」

「どういたしまして」

純壱はふっ、と笑った。

「静香、顔が緩んでちょっと笑顔になったね」

「えっ?」

口に手を当てる。別に悪いことではないと思うけど、そういわれたらなんだか恥ずかしくなる。顔が熱くなるのを感じた。

「静香が笑ったところ、始めて見れた」

「…そっか」

今までの僕は、笑えていなかったのか。

「嬉しいよ」

純壱は今までで、一番幸せそうに微笑んでいる気がした。



モールから少し離れたところに、純壱が以前に行ったことのあるおしゃれな店、とやらがあった。

大通りに面した通りにあり、車を少し離れた駐車場に止めて、歩いて数分のところにあった。

入り口には観葉植物が置かれ、チョークで描かれたメニューボードが置かれていた。

「前にこの辺をふらついてた時に見つけたんだ。その時は違うのを食べたけど、キューバサンドもあったからここにしたんだ」

「覚えていてくれたんだ」

「もちろんだよ。連れて行くって、約束した」

純壱が扉を開ける。続いて僕も店内に入る。

中はアメリカのカフェを彷彿とさせる内装だった。壁に、知らない人たちの姿が黒色だけで描かれていた。

店員に案内され、奥のテーブル席へ通された。席について、メニューを開くと、テレビで見たような、おいしそうなキューバサンドの写真が載っていた。僕は迷わずそれにした。

「僕も同じのにしよう」

純壱が手を上げて「すみません」、と店員を呼んだ。すぐさま店員が急ぎ足で駆け付け、丁寧に注文を取ってくれた。

「ねえ静香」

料理を待つ間、彼が話しかけてきた。

「さっきの話だけどね」

「…ん?」

「昔の僕の話」

「それか」

「そう」

「純壱は前は…何してた、って言い方は変かな?」

「言いたいことはわかるよ。子供のころは、まあ割と平凡な生活だったかな…変わったのは10年位前かな…」

「聞いても、いい?」

「うん、少し長くなるけど」

僕が首を縦に振ると、純壱はゆっくり話し始めた。

「以前、僕は軍にいたんだ。と言っても、前線に出る兵士じゃなくて、本部から色々指示する裏方だったけどね。自分で言うのもなんだけど、僕は相当、優秀だったと思う」

純壱は、口元こそ笑っていたが、目元は珍しく、暗い表情をしていた。

「兵士がたくさんの人を殺す手助けをしてた。直接ではないにしろ、僕は人殺しだった。戦争じゃなくて、暴力団とかギャングとかの摘発の結果だったから、正義を執行しただけだ、って言ってくれる人もいる。でも正直僕は、裏社会の一員になった今でも、そう思えない。…そんな中、僕は知らないうちにマフィア連中から恨みを買ってたみたいだった。細かいことは省くよ。よくわからないだろうし、何より…惨いことこの上なかったからね」

ふう、と彼は息を吐いた。

「ある日突然、なにもかも全部、奪われた。何を失ったかも言わないでおく。今の君には関係ないから」

「うん…」

少し気になったが、彼が言うんだからそうなんだろう。それに、ここまで聞いた時点で、彼は相当に壮絶な過去を経験しているのは明らかだった。僕には刺激が強いだろうと、気を使ってくれたのかもしれない。あるいは、単に思い出したくないから言わないだけか。どちらにせよ、この話を掘り下げるのはよくないと思う。

彼は続ける。

「何故か、僕はその最中で生き残ってしまったんだ。運が良かっただけだと思う。そんな、何もかも無くなった状態で生き延びてしまったから、当然生きる気力なんてなかった。何度も死のうとした。幸い、やめるときに軍から諸々、多少の金をもらっていたから、生活には困ってなかったけど、とはいえあのころは相当荒れてた」

純壱は水を一口飲んだ。

「その時自暴自棄で、夜の店の経営を始めたんだ。色々あったけど、はじめはただ寂しくて、それを埋められる相手を見繕うためだけに始めたことだった。でもそのうち軌道に乗り始めて、それなりに事業が大きくなった。自分の欲求を満たすためだけに始めたビジネスがうまくいって、今こうして贅沢を尽くさせてもらってる。」

ふっ、と彼は笑った。

「あんまりいい話じゃないだろ?」

自嘲気味に。そう言った。

「そうだね…僕には想像もできない世界の話だと思う」

「だろうね」

「けど、話してくれてありがとう。嫌なこと、思い出させたよね、ごめん」

「いいよ、気にしないで。君にも知ってほしかったから」

その時、店員がトレイを両手で持ってやってきた。

「キューバサンドセットお二つ、お待たせしました~」

テーブルに香ばしい香りのするホットサンドが置かれる。それを置くと、店員はお辞儀をしてすぐ去っていった。

「おいしそう…」

「食べようか」

「うん」

今度はナイフとフォークが付いてこなかったので、手で持って食べてよさそうだ。紙ごとキューバサンドを手で持つ。

「いただきます…」

小さい声でそう言って、一口ほおばった。とてもおいしい。

「ねえ静香」

純壱はキューバサンドを手に持ったまま、口をつけずに言った。

「僕のこと、嫌いになった?」

じっと彼はハムとパンの間からあふれるチーズをじっと見つめながらそう言った。

「全然」

自分のこと、素直に話してくれたから。

逆に少し、好きになったかもしれないくらいだ。

どこまで本当かわからないけど、彼の言う通り、彼の昔のことは今の僕にとってあまり関係のないことかもしれないから。

信じすぎるのも、疑いすぎるのもしないでおこうと思う。

「そっか」

僕と純壱はキューバサンドをほおばった。

この日のランチは、しばらく忘れられなかった。


再び車に揺られていると、今度は有名な携帯会社の駐車場に止まった。

「何するの?」

「君のスマホの契約をしようと思って」

思い出す。純壱を呼び出したあの日から、スマホの充電が切れたまま純壱の家に放置されていた。

電源を入れたら、母からの連絡があったらどうしよう、と思い、あれから一度も充電ケーブルを挿したことは無かった。

「僕と電話するのにいるし、ネットだって見れないと今の時代は困るだろうしね」

「そうだね」

「好きなの選びな」

「うん」

僕たちは車を降りて、店内へ向かった。

契約は滞りなく進んだ。

保護者不在の僕が契約できるのか不安だったけど、あくまでも純壱が使うという契約で進めたから、問題なかった。

結果、最新型のスマホを購入してもらった。カメラが3個もついていた。

契約の最後に、購入したスマホの初期設定をするかと、店員に聞かれた。

「移行したいデータがあればご自身でやっていただくか…後日そのデバイスを持ってきていただくかになりますが…」

「そういうのある?静香」

僕は迷わずに答えた。

「無いよ。今やってもらおう」

僕は母の携帯の番号を覚えていない。

唯一の連絡手段は後日、スマホをリサイクルに出した瞬間に完全に無くなった。

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