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 父との口論の二日後、私たちFlawsは浅乃の家に集合する。


「みんな集まったね。それじゃあ出発だ!」

 七海の掛け声で浅乃のお母さんの車に乗り込む。


 あまり普段の浅乃がお金持ちっぽい事をすることはないが、浅乃の家はかなりのお金持ちだ。

 私の家の辺りの土地をかなり持っていると、昔浅乃が話していた記憶がある。


 そして、今日からの合宿も防音室のあるらしい浅乃の別荘で合宿をすることになった。


「お久しぶりです、よろしくお願いします」

 助手席に乗り込み、浅乃のお母さんに挨拶をする。


「久しぶり、元気にしてた?お母さんの事は気の毒だったけど……」

「大丈夫です。私はもう、大丈夫ですので」

「そう?ならいいのよ」

 そう言った浅乃のお母さんは私から視線を外してバックミラーを見る。


「それじゃあ準備いい?行くわよ?」

「「「「しゅっぱ~つ!」」」」

 浅乃のお母さんと共に、私たちの掛け声がこだまする。


 そうして車は葉山にある浅乃の家の別荘に向かう。


 四人と浅乃のお母さんとでわいわい車を走らせると一時間ちょっとで葉山に着く。

 到着した別荘は想像を絶するほど大きく、浅乃以外の三人で言葉を失う。


「ようこそ、ほら入って入って」

 浅乃に促されて建物の中に入る。


 入るとそこは豪華、というわけでもなくシンプルなデザインの内装にとにかく広い空間がある。


「こっちこっち、手前から順番に七海ちゃん、瀬波ちゃん、ことちゃんのお部屋。部屋は自由に使っていいからね!」

 浅乃から説明を受けて転がしているキャリーケースを部屋に持ち込む。


「広いな……」

 一人で使うには少し広い部屋につぶやきがこだまする。


 荷ほどきを少しして部屋を出ると、みんな集まっている。

「あ、来た来た。ベース持ってきて、練習部屋に案内してくれるって」

 七海が少し興奮した様子で声を掛けてくる。


「了解」

 サッとベースとエフェクターボードを手にとって部屋を出る。


 入った練習部屋は広く、何畳くらいあるのだろう。

 いつものスタジオと同じかそれ以上かもしれない。

 しかも一方の壁はガラス張りになっていて、MCだったりパフォーマンスの練習もできそうだ。


「そこにスタンドあるからギターとベース置いちゃってね~そしたら段ボール持ってくるから」

 ベースを置いて玄関の辺りに置いてあった段ボール三つを運び、開けてアンプを取り出す。

 そしてエフェクターと楽器、アンプを繋いでセットアップをし、準備を完了する。


 みんな準備を終えると一日目の練習が始まる。

 張り切り度合いがいつもの何倍も違う練習は各々が自分の練習に、合わせに、とにかく没頭する。


 あっと言う間に時間は過ぎる。


 熱気の籠った部屋、音の溢れた部屋にはこれまでにない幸福感が満ちる。


「みんな、ご飯だよ」

 演奏が終わり、一時停止された部屋には開いた扉からのスパイスの香りが漂う。


 その香りを嗅いだ瀬波のおなかから可愛らしい音がする。

「おなか、すいたね」

 七海がそう呟き、みんながそれに頷く。

 食卓に着くと四人分のカレーが並んでいる。

「「「「いただきます!」」」」

 四人で夢中にカレーを口に運ぶ。

「おいしい、めちゃおいしい!」

 七海がカレーを口に入れるたびに感動している。


 こんなに疲れた練習は初めてだ。

 それに、こんなに美味しい手料理なんて本当に久しぶりだ。


 練習の疲労感を忘れさせるくらいおいしいカレーは手が止まらず、おかわりをしてしまう。


「おかわりお願いします」

「は~い、琴野ちゃん以外は?大丈夫?」


 浅乃のお母さんが、私たちの為に作ってくれたカレーは甘さの奥にしっかりとスパイスが効いていてとても美味しく、いくらでも手が進む。


 四人で何回おかわりをしたか覚えていないけれど、瞬く間にお腹がいっぱいになった。

「満腹……今日はもう無理……」


 限界を超えて満腹になった七海は情けない声を出している。


「またそんなに食べて……自分の限界くらい考えててよ……」

 七海のお腹をさすりながら、あきれた声で瀬波が声をかける。


 私もいつもよりも食べ過ぎた。

 みんなおなか一杯でぐだっと食卓の前にあるテレビを見たまま時間が過ぎる。


 一時間ちょっとゆっくりして日が沈み、暗い夜がやってくる。


「今日は初日だし、移動で疲れただろうからゆっくり休もう」

 リビングから離れる時に七海がそう宣言したので練習部屋から私の部屋にベースを運んで鍵をかける。


「ふぅ、まだ九時だしいつも寝る時間よりは全然早い。何しようか」

 一人の部屋でベッドに座り、ベースを構える。


 ポロンと音を鳴らしてまた、手を止める。

 太ももの上のベースを撫でながら、ふと四月からのことを思い出す。


 浅乃に連れられて行ったスタジオ。そこですべてが始まった。

 楽しく、心地いい音。それが私たちの武器だと思う。

 最初の印象から変わってはいない。


 それに、バンド名。「Flaws」だって決めた。

 傷だらけだからわかること。

 欠けているからわかること。

 それぞれあるはずだ。

 それでこそ一つのバンドになれるんだと思う。


 感傷に浸っていると時間はかなり過ぎている。

 今日はもう寝よう。

 そう決めて明日に向けて瞼を閉じた。


 合宿二日目は、清々しい朝……ではなく、雨の中、重い空気でスタートする。


 浅乃のお母さんの作った豪華な朝ご飯を食べ、午前の練習に臨む。

 それから三時間ちょっと練習をしていると、昼食の時間になった。

「手が鉄臭いなぁ」

 浅乃が指のにおいをかぎながら小さくこぼす。

「わかる。もう今使ってる弦も、もう限界っぽいんだよなぁ……買い換えたいわ」

 七海が浅乃の悲痛な叫びに共感をしている。

 この二人のやり取りを聞いて私も指のにおいをかいでみる。

 するとやっぱり私の指も鉄臭い。

「その話やめて。ドラムの私は全く話に入れなくてちょっと悲しくなるから」

 瀬波が少しいじけたような声を出して顔を背ける。

 あははと、そんな四人の他愛のない話と練習で二日目と三日目は終わった。

 演奏の質と、MCにも慣れてきた四日目。

 午前中、朝一番で七海と即興でセッションをしている。

 たまには、と思い使っているピックで弦をはじいた瞬間に弦が切れる。


「いったぁ……」

 切れた左の薬指をなめて血を止めようとする。


 でも、私のけがなんてちょっとした切り傷で大したものではない。

 でも、弦が一本なくなったというのはとんでもない問題だ。


 丁度外出せず、家の中にいた浅乃のお母さんにお願いして藤沢の市街地にある楽器店まで連れていってもらう。


「わぁ……」

 楽器店に到着すると、瀬波が小さく歓声を出す。


 店内を歩くと新品の楽器のにおいが鼻をくすぐる。

 取り敢えず一直線に弦の売り場へ向かい、エリクサーの弦を手に取り、すぐに会計へ向かう。


 会計をすませてサービスの弦交換をお願いすると、二十分くらいと言われたのでそれまで四人で店内を見ることにした。


 電子ピアノにギター、ベースの売り場を見て、最後に金管コーナーへ辿り着く。

 トランペットや、サックス、オーボエなどが軒を連ねる。


「ねぇ、ことちゃん。クラリネットって、まだ吹けるの?」

 浅乃がクラリネットを見つめる私の隣で声を掛けてくる。


「え?まぁ、たぶん弾けると思うよ」

 私と浅乃は中学校時代は一緒に吹奏楽部でクラリネットを吹いていた。


 その頃から浅乃は私の音を好きだと言ってくれていたことをよく覚えている。

「すいません!クラリネットの試奏お願いします!」


 浅乃に呼び止められた店員さんは快く試奏の準備をしてくれる。

「準備できました、どうぞ」

 そう言って店員さんはクラリネットを手渡してくれる。


 久しぶりに持ったクラリネットは重く、冷たい感触が肌に伝わる。


「え?なになに?琴野ちゃんクラリネットも吹けるの?」

 私の姿を見つけた七海と瀬波が驚いた様子でこっちにやってくる。


「中学の頃吹奏楽部でやってたからね」

 そう一言伝え、クラリネットを構える。

 息を吸って吹く。


 演奏するのはラプソディー・イン・ブルー。

 お母さんが大好きだった曲だ。


 楽器から出る音は記憶の中にいるお母さんが心地よく聞いていた様子をフラッシュバックさせる。

 そして、それに応えるように演奏をする私。


 演奏はクライマックスになり、楽器店中に響き渡っている私の音色は皆を釘付けにする。


 子供の頃、小さい頃は母が喜んでくれるから、私の音が好きだと言ってくれるから音楽をやっていた。


 けれど、母が亡くなりその理由が無くなった。

 何のために演奏するのかがわからなかった。


 でも、今なら少しわかる気がする。


 演奏を終えて周りを見ると聞いていてくれた人はみんな拍手を送ってくれる。


 この光景を見て、あぁ、これが音楽の力なんだと、また感じる。

 楽しい演奏、苦しい演奏。


 色んな音楽があるのが、音のいいところなんだと。


「やっぱり琴野ちゃんはあったかい。みんな優しい気持ちになる音を出すね」

 七海がそう声をかけてくれる。


『琴野は優しくってあったかい音を出すんだから、ずっと優しいまんまでいてね。お母さん琴野の音が大好きだから』

 七海の言葉はお母さんの言っていた言葉に重なり、頭に吸い込まれる。


 私も父と同じ、母の影を踏もうとした。

 母の事を忘れられていなかった。


 でも、きっと今なら私が私の音が好きだと言える。


 私の音楽に理由をつけてあげられる。

 今日は大事な日になった。そう心の中でつぶやく。


 そんなあったかい思い出を抱えながら私たちは楽器屋を後にした。

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