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 灰色の日々は、私を空っぽの人間にした。

 はらり散る紅葉なんかより軽い。

 空っぽの私は何にもない。

 何にもできないまま、音を遠ざけていった。


 そんな中に、一滴落ちた雫。

 そこには聞こえなくたってわかるキラキラした空気と、惹きつける何か。


「……バンド」

 そう小さく呟いた。


 埃被ったベースと、柔らかくなった指先。

 弦をはじいてみても、音は遠くでなっている。

 怖くなって、すぐに布団へ潜り込んだ。


 そんな様子で冬が過ぎ、春の匂いが鼻を染める。

 新学期の通学路には、散った桜が花道を作っている。

 ブレザーの袖をすぼめて、私はいない人を演じる。


 クラス分けを遠くから見て、『石川琴野』の名前を探す。

 A、B、CとGまであるクラスの中を順番に見ているとD組に自分の名前を見つける。

 自分のクラスへ向かおうとクラス分けに一喜一憂している人々をかき分けて人込みから抜け出す。


 そうしてたどり着いた教室にも、クラス替えに一喜一憂する少女が一人。


「あ!おはようことちゃん。今年も同じクラスだね~よろしく!」

 そう言って手を小さく振るのは幼馴染の深津浅乃。

 幼稚園、小中学校、そして高校とずっと同じ学校で、親同士も仲が良かった。


「よろしく。これで二年連続同じクラスになるしね」

「違う違う。三年生になる時にクラス替え無いんだから三年連続になるしねぇ」

「そうともいうの、かもね」


 そんなやり取りを終えると、朝の柔らかい時間はすぐに過ぎて行きホームルームが始まる。

 退屈な時間をしのぐために、ポケットから出したスマホで適当にツイッターを眺める。

 タイムラインには海外のふざけたツイートや、アーティストの情報が上から下に流れていく。


 退屈なホームルームを終えると、お手洗いに、と思った所に浅乃がやって来る。


「ねぇ、今日の放課後暇?」

「ん?暇、だけど……」

「じゃあさ、一緒に来てほしい所があるんだけど、いいかな」


 ついてきてほしい所、どこだろう。

 まぁ、買い物とかだろうし、今日も明日も暇だし一日くらい、いいかな。


「いいよ。行く」

「じゃあ始業式終わったら、お昼食べて行こ」

「了解、じゃあまた後で」


 時計は始業式の時間に刻々と迫り、私たちを威圧する。

 それじゃあ、と二人手を振って、各々の席に戻った。


 またまた退屈な校長の話、教務の先生の話。

 そんなものを左から右に聞き流して時間を過ごす。

 途中、担任に肩を叩かれたがあまり気にせず、机に伏す。


 一時間ちょっとの始業式が終わり解散の合図がかかるとすぐに教室を出て校門前へ向かう。


 五分くらい待っていると、浅乃が肩を上下しながらやって来る。

「ごめんね、ちょっと、遅れちゃったかな」

「そんなことない。時間も決めてないし、行こ。何食べる?」


 遅れたなんて事は考えずに私は歩き出す。

「じゃあ、吉祥寺のパスタ屋さん行ってみたい!」

「オッケー、行こっか」


 行き先が決まり、私たちは二人で駅に向かい、井の頭線で吉祥寺に向かう。


 到着した吉祥寺は平日なのにかなりの人で溢れている。

 駅から少し歩き、最近できた商業施設らしい所に入っているパスタ屋さんで食事を済ませる。


「は~美味しかった。じゃあ、ついてきてね」

 そう言って前を行く浅乃の後ろについていく。

 ふと前を歩く浅乃の小さな背中を見て、小さい頃を思い出す。

 私たち二人はずっと一緒にいた。

 幼稚園も、小学校も。


 中学であんなことがあってからは少し遠くなっていたが、高校に入っても、こうして仲良くしている。

 でも、こうやって私が彼女の方後ろを歩くことはあまりなかった。


 いっつも浅乃は私の後ろにいて、「まってよことちゃん」とついてきていた。


 その頃からは変わったんだな、と少し寂しいような嬉しいような気持を胸の中で混ぜ合わせて鞄のストラップを握る。


「どうしたの?そんなに難しい顔して」

「ん?」

「いや、そんなどっか睨んだような顔してるから、何考えてんだろうなぁって思ってさ」

「そんな、大層な事なんて考えてないよ」

「そうなの?私にはわかんないからさ」


 そんな事を話しながら商店街を通り抜ける。

 一つ信号を渡ると「ほら、着いたよ」と浅乃が立ち止まる。


 目の前にはハードオフとほかの何かの施設が組み合わさった建物。

 入口の脇にあるエレベーターへ乗り込み、地下へ降りる。


 そしてエレベーターの扉が開き、目の前に広がるのは、何度か目にしたことのあるスタジオ。


 なんで浅乃は私のをこの場へ連れてきたのだろう。

 音楽から離れてからもう三年以上が経った。

 逃げるように、拒むように音楽というものから離れたあの時から。


 でも、この場所へほんの少しの懐かしさが胸の中に湧いてくる。

 それに対して、この場への、懐かしさ以上の音楽への罪悪感が胸の中に湧き出る。


「ことちゃん、こっち」

 そう言った浅乃はスタジオA1と書かれた扉に手をかける。


「ちょっと、待って」

 部屋を前にして私の足は止まる。


 逃げた者は、きっとこの部屋に入る資格はない。

 でも、浅乃は私の事を信じて、私の音楽をもう一度という気持ちでここまでやってきたんだろう。


 その思いには応えたい。

 ……でも。


 目を閉じて自分の心に聞く。


 自分はどうしたい。


 三年前の自分じゃない。今の自分に。

「……」


 スタジオの中から聞こえてくるギターとドラムの音。

 片方は情熱的に、もう一方は優しく感傷的に音が重なり合っている。


 少しずれたチューニングから聞こえる楽しそうな二つの音。


 あぁ、その音。

 その音さえ合えば、完璧なのに。

 私がどうしたいよりも今は、このスタジオが気になる。


「ことちゃん……」

 ゆっくりと扉に手をかけてスタジオに入っていく。


 演奏している二人は空いた扉のほうを見て手を止める。


「お、浅乃ちゃん……と、そっちはベースの子?」

 ギターを肩にかけている子は私のほうを見つめてキラキラしたまなざしを向けてくる。

「あ、えと」


「じゃあみんな揃ったし、早速四人でセッションしちゃおっか」

 ギターの子は隅に置いてあるベースを持って来て私の肩に掛ける。


「さ、浅乃ちゃんも、準備して。ベースの子も、アンプ繋いでおいて」

「了解、準備するね」

 引くに引けなくなり、アンプを探して辺りを見渡していると、後ろからドラムの子に肩をたたかれる。


「これスコア。この曲だけど弾ける?」

 手渡されるのは何年も前に練習した曲のスコア。


 こんなの、楽譜なんて見なくても弾ける。

「弾ける。大丈夫」

 確かな自信を持って首を縦に振る。

「そう?なら安心だね。じゃあ、準備しておいてね」


 私にスコアを渡すとドラムのほうへ戻り、軽く叩いて確認を始める。

 そうして私以外の三人はどんどんと演奏の準備を進めていく。


 エフェクターのスイッチを入れてギターを鳴らしているが、やっぱりあのギターの音は少し狂っている。


 私もさっきのセッションの音がまた聞きたいと思い、後ろのアンプに肩にかかったベースをつなぐ。

 一つ弦をはじくと三弦の音は少し狂っている。


 チューニングを合わせて顔を上げるとこっちを見て浅乃が楽しそうに笑っている。

「じゃあ始めるよ?」

 ギターの子はそう言って息を吸って吐く。


 そして鳴り出すギター、ベースそしてドラム。

 ボーカルの歌声がその上に乗っかり、それぞれの音色が合わさることで一つの曲になろうとする。


 楽しい。

 こんなに楽しかったのか。

 音楽から逃げ、音を拒んでいたはずなのに、今この音を奏でている瞬間が楽しい。


 でも、リードギターは少し走りすぎてるし、バッキングギターはテンポがずれている。

 それにつられて私も必死に周りに合わせてリズムを取ろうとしているのが狂う。


 そのまま進む演奏は合わさっていた音が、それぞれ戦い始めているようだ。

 スタジオの中は四人の音が飛び回る。

 飛び回る音はどんどん熱を帯びる。


 それぞれが、それぞれの音を楽しみ、この瞬間の音を鼓膜へ焼き付けるみたいに。

 ヒートアップした音楽は演奏が終わるまで私は夢心地のままぼうっとしている。


「いや~楽しかったぁ~」

 満足気な顔をしてギターの子が伸びをする。


「久しぶりにこんなに楽しくドラム叩けたかも」

「私も、初めてみんなと合わせたけど上手くできてよかった。ね、ことちゃんはどうだった?」

 興奮冷めやらぬ様子で浅乃も話す。


「え?私は……楽しかった」

 今までにないくらい楽しかった。

 こんなに楽しいなんて知らなかった。


 それに、私はやっぱり音楽が大好きなんだ。


「楽しかったならよかった。改めて自己紹介をするね。私はギターとボーカル担当の諏訪木七海。よろしくね」

 七海と名乗った少女は明るくはつらつとした笑顔でニコッと笑う。


「ドラムの大垣瀬波。ちょっと曲も書いてる。よろしくね」

 表情を変えずに瀬波と言う少女は名乗る。


「えっと、石川琴野です。ベースをやるためにここに来ました。よろしくお願いします!」

 決意を固める。

 私はここで音楽をする。

 あの時みたいに逃げはしない。


 私は音を楽しむんだ、私の響かせる音を。

「よろしく、琴野。これからよろしくね」

 差し出された七海の手を握り、強く決意した。

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