第二楽章 戦場のメリークリスマス
鍵が花音のことを、戦友の娘と認識してからしばらく経った11月のある日の放課後、花音はいまだに進路を決めきれないでいた。
「ええ? 花音、本当にそこでいいの?」
「うんん、今の私の頭だと、行ける大学はこれぐらいって先生が言ってくれたし」
花音が希望している大学は、ごく一般的なFラン大学で、決して花音はそこに行って何かしたいわけでは無かった。ただ、勉強は苦手で、選抜のような自己アピールも得意ではないため、行けそうな大学と考えた時、ここしかなかったのだ。
「音楽得意なんだから、帝都音楽大学行けばいいのに」
友達の言葉に、花音はうーんと唸り声をあげる。
「私、行けるのかな? やっぱり音楽の大学目指した方がいいかな?」
「ええ……」
手のひらをくるくる反す花音に友達が呆れていると、教室の扉が開き、クラス担任の先生が入って来る。
「お、丁度良かった。大竹、ちょっと話があるから、職員室まで来てくれ」
そう手招きして、担任は去って行く。
何の用だろうと疑問に思いながら担任の机に行くと、一枚のチラシを手渡された。
「これ、今度この辺で簡単な演奏会をやるからさ、大竹も出てみないか? 坂本先生にピアノを教わっているんだろう?」
手渡されたチラシには、大津市ピアノコンクールと大きく書かれ、参加者募集と記されていた。裏面にはゲストとして訪れる、有名なピアニストの名前があった。
さらに花音は、『認めてもらえれば、ピアニストの仲間入り。君もピアニストを目指さないか!?』という一文を見た瞬間、妙な胸の高鳴りを感じた。花音自身も、どうしてその一文に気をひかれたのかは、よく分かっていなかった。
「出た方がいいですかね?」
反射的に花音はそう聞くが、担任は笑って答える。
「それは君が決めることさ、応募期限まで2週間ある。ゆっくり考えな」
担任にそう言われた花音は職員室から出て、数分その場で考え込んでしまった。出た方がいいのか、出ない方がいいのか、またいつもの花音の悪い癖、自分で決められないが発動していた。
うんうん唸りながら花音は音楽室へ向かった。
「なんだ、それ?」
音楽室へ着くなり、花音が持っていたチラシは、鍵に取り上げられた。
「コンクール? 出るのか?」
チラシの内容に目を通しながら鍵が聞くが、花音はもじもじと視線を下に向ける。
「なんだ、また優柔不断が発動してるのか」
「私のスキルみたいに言わないでください!」
慣れたような口ぶりで鍵が言うと、花音はそう反論する。
しかし、鍵はそのチラシの一部分に目を奪われたままであった。『認めてもらえれば、プロピアニストの仲間入り。君もプロを目指さないか!?』という一文に。
「――それで、このコンクール、出た方がいいですかね?」
「ん? ああ、そうだな……」
鍵の頭の中は、花音をピアニストとして音楽家にするいいチャンスだと踏み、そのことばかり頭に浮かんでいた為、花音の言葉が耳に入って来なかった。
「1週間、お前に独学で練習する期間をやる。その期間の間に、一次予選で使える課題曲のうち一つを仕上げてこい。その演奏で俺が感動出来たら、コンクールに出ろ」
「先生を感動させるって、無理ゲーじゃないですか?」
「まあ無理なら無理で、大人しく勉強しろとしか言えないな」
鍵の頭の中には二つの選択肢があった。
一つ目は、素直に勉学に励ませ、行けそうな大学に行かせること。行きたい学校ではないかもしれないが、大学に行ったと言うだけで、社会に出た時役に立つ。
二つ目は、コンクールで活躍させ、ピアニストとしての道を歩ませること。このコンクールにゲストとして来るピアニストは世界的に活躍している人物で、その人に認められる腕なら、十分ピアニストとしてやって行けるだろう。
コンクールがあるのは12月24日と25日、クリスマスイブとクリスマスだ。もし出るなら、一か月間ピアノの練習漬けになる必要がある。そうなれば、受験に必要な勉強は遅れることだろう。
だから、鍵は花音を試すことにした。音楽の世界大会で準優勝の成績を残した、日本国軍の器楽団に呼ばれた、自身の耳を満足させられる腕が身に付いたかどうかを。
「どちらに転んでも、卒業まではお前を支えるぞ、花音」
課題曲一覧を真剣な目で見つめる花音の姿を横目に、鍵はそう呟いた。
♢
弾く曲を悩み続けてまる1日、花音は課題曲一覧と睨めっこを続けていた。初心者も募集と言うだけあって、課題曲たちはどれも難しい曲たちでは無かった。
《きらきら星変奏曲》《エリーゼのために》《子犬のワルツ》など、花音は一曲一曲自室で実際に引きながら、どれにしようか悩みに悩んだ。
しかし結局どれもしっくりこず、リストの一番下に載っていた曲までたどり着いてしまった。
「うう、結局私は決められないのかな……」
泣き言を言いながらも、最後の一曲のタイトルを目にすると、花音は首を捻りながら鍵盤に触れる。
「この曲……なんだろう、なにか懐かしいような……」
今まではネットで曲の楽譜を見てから引き出していた花音だったが、最後の一曲だけは見ずに音を探し始めた。
「フンフン……フンフンフン~」
鼻歌でテンポとキーを見つけ、花音は音を奏で始める。
「ああ……そうだ、この曲……」
花音は、楽譜を見ずとも耳と体が、この楽曲の音を覚えていた。
「お父さんが、好きだった曲だ……」
一曲弾き終わる頃には、花音は弾く曲を決めていた。花音にしては珍しく、自分で考え、決断したのだった。
「私、この曲にするよ」
♢
一週間後、花音は久しぶりに音楽室を訪ねた。
「来たな」
するとそこには、いつも通り鍵が待っていた。
「はい、ちゃんと練習してきました!」
「よし、なら早速やろう」
促されるまま花音は鞄を下ろし、席に着いた。
「それで、結局弾く曲は何にしたんだ?」
鍵の問に、待ってましたと言わんばかりに、花音は満面の笑みで答える。
「《戦場のメリークリスマス》」
一言それだけ言い、花音は大きく深呼吸をして、ピアノを奏で始めた。
瞬間、空気が変わった。ほのかに肌寒かった程度の部屋の気温は一気に低下し、まるで吹雪いている雪原へと姿を変える。切ないメロディー、戦い疲れた二人の兵士が鍵の目に映る。
一気に音が強くなると同時に、鍵の目の前で吹き付ける吹雪は強烈な物となり、片方の兵士は腹を抱えてその場に蹲った。そのまま二人はその場を離れ、廃墟の中向き合うように座り込む。弱っている兵士が、建物の中のピアノを指さし、ハーモニカを懐から取り出した。
鍵は音楽室に広がったそんな光景に感化されて、自身のポケットに入っていたハーモニカを取り出し、吹き始めた。
花音は驚き、一度鍵の方へ眼を向けるが、真剣な表情でハーモニカを吹く姿を自身の父親と重ね、感動が胸から湧きあがる。
二人の
演奏を終えると、二人の兵士の姿も、一面の雪景色も消え、少し肌寒い程度の音楽室が戻って来る。そのことに気づいた鍵はハーモニカから口を離し、一言零す。
「合格だ」
演奏を終え、少しボーっとしていた花音は、その言葉を聞いて目を輝かせる。
「本当!? 先生感動してくれましたか!?」
「ああ……とってもな」
やったやったと無邪気に喜ぶ花音。
「そう言えば先生、ハーモニカ吹くんですね、まるでお父さんみたい……」
言いながら花音の視線は、鍵の手元のハーモニカへと向かう。そのハーモニカには、《3つのヴァイオリンと通奏低音のためのカノンとジーグ ニ長調》別名 《パッヘルベルのカノン》の旋律が刻まれている。
「そのハーモニカ……お父さんが持っていたもの……どうして、先生が……?」
瞳孔が開き切った瞳で、花音はこちらを見つめる。
「どこかで買ったら、同じ物だったんですよね……だって、先生とお父さんが知り合いなわけないですもんね?」
「花音」
「何ですか?」
焦点の合わない目を真っすぐ見ながら、鍵は額に汗を浮かべ、絞り出すような声で言った。
「大竹風琴は……死んだ。俺の目の前で」
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