第4話


 教室中が静まり返った。空気の音も、息の音も何もかもが消える。静かに響いたエナの声に誰しもが目を見開いたのだ。


それだけではない、静かになったからなのか、エナの声の中に含まれる何かによるものなのか、一様に空気一体が冷えた。冷えたと同時に、誰しもがどこか得体の知れない恐怖を覚えていた。申し込みをした女生徒もどこか恐怖に似た表情をしている。


「どうしたの。貴女が言ったのよ?受けて立つと言ったの。早く前に出たら?」


 ゆったりとした口調はとても大きくはない。されど、しんと静まり返った空気では、よく通る。声と同じに鋭い視線が、女生徒を射抜くと、女生徒はひっと声をひくつかせた。


何故か分からないが、恐怖を覚えるのだ。体内にある魔力からではないだろう。彼女の持つその気迫が冷たく頬をさして足元からふつふつと畏怖という感情を浮かび上がらせる。


更には、女生徒自身こんなに簡単に承諾を得られるとは思っていなかったのだ。決闘を拒否ったところで名家の没落と謳って揶揄う予定だった。決闘を申し込んでも、魔力がほぼない彼女などひとひねりとさえ思えたのだ。


ただ、普段から混血をバカにする純血に一矢報たかった。それも、純血派筆頭のアグネス家と聞いたのだ。尚更である。


 それなのにどうしてだ。クラス中に響く声ひとつで空気がどんどんと冷えていく。緊張と、不安と恐怖が綯い交ぜになって心を侵略してくる。


挙げていた手が少しだけ震えてるのに気がついて、胸の前できゅっと手を結んだ。アルケインが何か言いたそうにしているが、決闘はこちらの意思で始めたものだ。今更助けをアルケインに求めたくなったところで後の祭りである。


 女生徒は、少しだけ震えている足に力を入れて席を立つと、ゆっくりと前に移動する。まるで死刑宣告を受けに行く被告人の気分だった。


その際に仲の良いクラスメイトたちは顔を下に向けて視線を合わせてくれない。もう1人の転入生のルゥは、しれっと空いていた席へと移動しては、この様子をどんな感情で見ているのか分からない表情をしている。


「随分とゆっくりとした登場ね。杖を構えたら?私はまだ杖の使い方を教えてもらってないから無理だけれど」


 エナの言葉に咄嗟に彼女は杖を構えたが、ふ、と気づく。


「使い方を知らない?」


 杖の使い方を、知らない。その言葉に、恐怖よりも別の高揚感を感じた。


「えぇ、この学園に来るまでは魔法学は出来るだけ避けていたの。あまり上手じゃないので私はこのままでやるわ」


 その言葉を聞いた途端に、女性とはさっきまでの恐怖感はなくなった。同時に、クラスの雰囲気もひりついた空気から少しだけ馬鹿にしたような笑いも聞こえる。


杖の使い方を知らないは、杖を使う魔法を主として行うこのエルフォトラール魔法学園では、同時に魔法を使えないとほぼ同意義を示す。そんな魔法素人に、9年間魔法を研鑽した生徒が負けるはずもないのだ。


何をあんなに脅えていたのか分からなくなるくらいに、女生徒は気分が良くなっている。それと同時に、その言葉を聞いた時からエナから発していたよく分からない気が消えていた。だから、これは勝てると女生徒は自信に溢れていた。


 それを横目にアルケインは、ひとつため息を吐く。


「……ったく、俺の気持ちも考えろよ?今は授業中だからな。ほんとはこういうのダメだかんな」


 ぶつくさと言うが、止めることはしない。結局は教師であるアルケインも、魔力の少ないエナを下に見ているのだ。女生徒はそう思っている。


 実際は、止めようとしたがエナ本人が問題ないとのことなので止めないだけ。生徒の気持ちを尊重しているだけで、本人自体はする必要のない決闘をものすごく止めたいと思っていた。


 アルケインは、決闘用のステージを用意するべく手に杖を構えた。ゆっくりと空中で、横に大きく振ると、生徒たちが座ってるイスごと、机と一緒に真ん中に空間を作るためにさぁっと横へとスライドさせた。


それはまるでモーセの如し。生徒ごと机を横に動かしたので、出来上がった、開けた箇所に縦長の幅1人分ののステージを登場させる。その両サイドに対象の生徒ふたりがゆっくりと立った。


「制限時間は1分だ。それまでにどちらかが攻撃を当てるか、または膝をつけば終了。それか1分以内にどちらも攻撃が当たらない、または倒れなければ引き分けだ。攻撃に用いる魔法は、初級魔法のみ。それ以外は使った方が失格だ。防御に関してはそれに匹敵しない。攻撃にだけは使うなよ」


 一般的なルールは、制限時間はもっとある。今回は授業中であることとエナの魔力量考慮だろう。他の内容はほぼ同じだ。これはあくまでスポーツ扱いなのだ。


再起不能までの怪我をさせてしまったら話にならない。その意志をしっかりと汲み取って、対象の2人に視線を向けると、素直にふたりは頷いた。


「先に伝えておきます。今回は決闘の申し込みを受け入れましたが、これがどのような結果になっても今後はお断りさせて頂きます」


 エナが、決闘開始前にすっと手を伸ばし静かに宣言をする。そのことでくすくすと笑う声が教室中にさざめいた。魔力量が少ないくせにどれだけの自信過剰なのか。


周りのさざめく声に、眉ひとつ動かさないエナに対して、アルケインは見えないところで眉をひそめていた。


「先生。眉間に皺、寄ってますよ」


 背中から静かに聞こえた言葉。アルケインの眉間に皺が寄ってるかどうかなど、前髪で見えない。ましてや、背中を向けている彼女が分かるはずもない。それでも、この空気があまり良くないもので、教育者からしてもどうにかしなくてはならないという事態なのをエナはよく知っていたようだ。


「すまない」


 この生徒たちの異様なまでの空気に、エナへの当たりの強さを、いち教師として止めることが出来ない歯がゆさで、彼女の背中に小さく謝罪をした。



 生徒たちは決闘台に登壇するふたりを今度こそ静かに見守る。勝敗の決まった決闘を見て何が楽しいのか。


ユノはハラハラとした面持ちでその場面を眺めるしか無かった。騒ぎに乗じて、隣に来たルゥに軽い挨拶はしたが、それ以上を語りかける空気でもない。何でこうなったのか……、こうなってしまったのか。


クラスの空気はあまり宜しくない。担任のアルケイン師の表情も上手く読めないが、見た目に反してあの教師のことだきっと罪悪感が凄いのだろう。


 女生徒は、さっきまで脅えていた表情を引っ込めて、相手が杖を使えないと知るや否や揚々と杖を構えては何時でも魔法を繰り出せる体制をしている。対してエナは彼女をただ見つめているだけ。


その瞳に光はなく、瞳の深い場所を覗くと冷えそうだ。彼女の纏う空気は、このクラスの年頃の生徒たちよりもひとつ抜きん出ている気もする。魔力が極小だと言うだけ、実際に遠目から見た彼女の魔力は、あまり感じられない。それでも、恐怖してしまうのは、彼女がアグネス家の娘だからか。


 ユノはそっと横目でルゥを見ると、彼女は、温もりが抜けて冷めきってしまっている瞳をエナに対して向けていた。先程とは対称的なそれに、少しだけぞっとしたユノは、そんなルゥにバレないよう決闘をするふたりに視線を向けた。


「それじゃぁ、始めるぞ…。両者見合って……始めッ」


 アルケインの合図に最初に杖を動かしたのは、やはり女生徒だった。9年間の学園での成果が出ているのか、その動きはとても俊敏でその手の動きを目にとどめる者はそういない。


そして同時に動いたエナは彼女の放った極小の魔力塊をひらりと避けると、体を前に傾けて足を一歩踏み出す。


 ダンっと重たい音を立てて決闘台を蹴ると、その体は黒い影のように伸びて彼女の元へと一直線に進む。その姿は場を見つめていた生徒たちの息を飲むほどで、目の前で迫り来るエナの姿に困惑したのは、攻撃を放つ彼女である。


 何度も慌てて杖を向け、無造作に魔力塊を放つが、それをひらりひらりと避けては、魔力塊を後方へと流していくエナ。力の差は歴然であった。ここまでで、エナは特に何もしておらず魔法も使っていない。


そもそも、杖で魔法を使うのが常識と捉える文化の人たちだ。エナは魔法を使えないと思っている。


「なんで避けるのよぉ〜!!!!」


 投げる魔力塊が当たらなくて苛立った生徒は、距離の差が縮まることに焦りを向けていた。小刻みに放つところから、少しだけ貯めた魔力塊をエナに対して向けて放った時だ。エナはそれを避けようとしなかった。


 パンッと当たる音がし今度こそエナに当たったかと思った。


「避けないと痛いですし、魔力消費はあまりしたくないので」


 手のひらに受止めたと思ったが、手のひらでは直接受け止めていない。手のひらサイズの魔障壁を展開して、それに当てたのだ。手のひらに広がる障壁の文字列で、彼女に先の魔法が当たっていないのだと理解した途端、女生徒の顔面から面白いくらいに血の気が引いていく。


あの距離で、杖も使わずに魔法を止めて見せたのだ。極小の魔障壁を築くことで、魔力量をかなり抑えたそれは、今の彼女達のレベルでは到底適いそうになかった。


全体を守るのと1箇所を守るのとでは、使う魔力量は断じて違う。相手の動きをしっかりと確認し、それ以上の速さで魔法展開をしなくてはならない。同世代で優秀であると言われたユノですら、それが出来るかはまた別の話だ。


 (杖を使う魔法をしないだけ……杖を使わないで魔法が簡単に使えるはずないのに……なんで、なんで……ッ)


 迫り来る恐怖に涙目になった生徒は、詰まる距離に呆然としてしまっていた。一定の距離、腕を伸ばして当たらない距離。そこでぴたとエナは止まれば彼女の胸元より少ししたに指を向けた。


とたん、パンッと軽い音を立てて、女生徒の身体がくの字に曲がり、後ろへと飛んだ。そして、そのまま台から落ちて、床に尻餅をつく。


 その射出まで一瞬で。指が彼女に向いてコンマ数秒の出来事だ。指の先はどこに向いてるかわかると言うのに、避けられる速さではなかった。その速さに、動きに、クラス中が息を飲む。まさか、魔力量が少ない者が勝つだなんて思わなかったのだ。魔力至上主義が大きく変わる瞬間だった。


 唖然としたクラスは、その成り行きをただ静かに見守るしかできなかった。たっぷり数十秒。固唾を飲んでその結果を見つめていた生徒たちを他所に、ふぅっと静かに深く息を吐くエナは、元の位置に戻ろうと踵を返した。


木でできた台の床は踵が当たる度に音が響く。背中を向けた彼女に、痛みで顔を歪める女生徒が体を持ち上げたのは同じタイミングだ。


「なんで、なんで……どうしてよッ!信じない。信じないッ」


 そして杖を向けて、魔力が集中したのを確認した途端だった、彼女の手から杖が弾け飛ぶ。杖は放物線を描いてアルケインの手にすっぽりと収まる。


「そこまでだ。今ので勝敗が決まったはずだぞ。先に述べていたルールを破るのはご法度。後でしっかりと呼び出しをするからな。それまではこの杖はお預けだ。授業が始まるまでには返すが、しっかりと反省しろ」


 淡々と告げられる言葉だが、アルケインは、怒っていた。そんな怒ったアルケインはしっかりと教師の顔をしていた。ダメなことはダメだとしっかりという先生だ。


普段、ちゃらんぽらんとし砕けきった態度をしているが、怒るとしっかり怖い先生でも有名だった。そのアルケインがしっかりと怒りを示しているのだがら、女性もやり過ぎたと肩を落とす。


 そんなやり取りを傍目に、エナは台から降りてアルケインの横に並んだ。自己紹介の続きでしたよと言わんばかりに澄ました顔をしており、彼女の感情が先程以上に読めなかった。


「さて、流石にホームルームも長くしすぎると疲れるだろ。そろそろ終わりたいんだけど、その前に転入生もいるわけで、今日は、面倒臭い学校の規律等のおさらいをすっぞ。決闘で延長した分もしっかりと説明するからなぁ」


 アルケインが杖を振って台を退かし、教室の中心を開けるように避けていた机と椅子を生徒ごと動かしながら間延びした調子で言葉を発する。その際に、床にへたりこんでいた女生徒を浮かして元の席へと戻しながら、ユノの隣の隣を指さす。


「アグネスはあの席な。基本、席は自由だけど、今日空いてるのあそこだけだから。よろしく」


 楽しそうに口を開けては手を振ってくるアルケインを、エナは感情の見えない瞳で見つめ返せば、素直に頷いてルゥの隣の席へと足を向けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る