第5話


(金木犀の香り……)


 ユノの鼻に微かに香る、少しだけ華やかな甘い香り。遠くにいたエナからは想像もつかない香りを今、鼻先で捉えた。席はひとつ分離れてしまったが、とても近い。静かにルゥの隣に席を落ち着かせると、ユノには一言もなく前を向いた。


 その横顔をそっと盗み見る。伸びた鼻筋も、大人っぽい横顔もとても整っていいるのに、陰を乗せる瞳からは何も映していないように思えた。


(酷かったのだろうか)


 アグネス家は、魔力至上主義且つ血統至上主義だ。純血派筆頭はこの家と言わんばかりに遵守する。


強い魔法使いはより強い魔力と、強い家柄で成り立つ。そのせいか、歴代、王家のお姫様の降嫁先としても名が載ることも多い。今の当主の祖母に当たる人も当時の王家のお姫様だ。


そんな家に、魔力が少ない状態で生まれてきたのだ。きっと当たりも酷かったのだろう。あくまで想像でしかないが、同情せずには居られなかった。


 だからついついその横顔を見つめてしまっていたのだ。同じ色をもつ対称的な少女が顔を覗き込むまで、見つめ見蕩れ、長時間その横顔を見ていたのを忘れていた。


「ユーノちゃん。どしたの?エナちぃが気になる?」


「ひぇ?!えっ、あ……」


 (ゆ、ゆゆゆゆ、ユノッッ)


「あ、い、いや、その……えっと」


「そだよね、そうだよね。片や純血で魔力が少ないエナちぃと、片や混血なのに魔力が現代最多なユノちゃんは、やっぱりエナちぃが気になるよねぇ」


 うんうんと腕を組んでひとり納得するルゥに、初めて名前呼び且つちゃん付けで呼ばれたユノは戸惑いを見せる。普段回転の早い頭は、喜びにヒートアップしてパンク寸前となり、機能を果たさない声はあうあうと変な声を出すばかり。手を左右にばたつかせては、何かを表そうとするも、意味をなさなかった。


「変な呼び名で呼ばないで。ルゥメリア・アッシェンバーグさん」


 そんなルゥとユノのやり取りを、しっかりと横で聞いていたエナの鋭い視線に、上がっていたユノのテンションがひゅうっと下がる。ルゥに向けられた視線だと言うのに、何故か飛び火してユノにまで直撃してしまうと、自然と口許がすぼんでしまう。魔力とは別に彼女から感じる圧というのだろうか。先程の決闘にも放たれていたようにも思える。


その気迫に圧されてしまうのだ。


「もう、照れてんでしょ。このこのォ〜」


 そんなエナの表情も気迫も関係なしに、ルゥはエナのほっぺたを指先でぐりぐりと押している。ただでさえ険しいエナの眉間のシワがさらに濃く深くなっていく。それに気がついてるのか気がついてないのか、はたまた気がついていて楽しんでいのるかは定かでは無いが、こちらから見たら肝を冷やす行為だ。


(ひぃいいぃぃぃいやぁああぁぁぁ、ルゥメリアさん怖いもの知らずぅううぅ)


 見てるこっちが蒼白ものであった。


「んー、さっき一緒に教壇に立ってた時も思ってたけど、エナちぃってば、いい匂い〜。なんの香り?」


 今度はつつくのを止めたルゥは、エナの首筋に鼻を寄せてすんすんと嗅いでいる。なんで初対面でこんなに距離を詰められるのか。ユノは少しだけ羨ましく思えてしまった。少しでもこのルゥのコミュニケーション能力の高さが、ユノに備わっていたら、今頃友だちがひとりやふたりはいたのではないか。


 更に、香りを嗅いでも分かるこの香りの正体を、あえてエナに聞くことで、ルゥは彼女との距離を縮めようとしているのだ。


(会話上手……ッ)

 ひとりでルゥに関心して、視線を向けたあとに、次いで流れるようにエナを見る。すると、思いの外ばちっとエナの視線とユノの視線が重なった。その瞳には先程までと違って、光が差して少しだけ思い出を思い浮かべているような、そんな優しい眼差しをしている。


ユノは何故かそれに少し胸が痛くなった。何かに胸を掴まれる感覚を覚えながら、エナを見つめていれば、重なっていた視線に気がついたのか、エナはユノからすっと逃げるように視線を離した。


「離れてください。貴女、近すぎるんですよ」


 鬱陶しそうに顔を近づけていたルゥの頭を押し退けながら教壇に目を向けた。せっかく、転入生2人のために学校の案内をしている先生も、流石のふたりのイチャつきぶりには、怒りを顕にしている様子である。前髪越しでも向けられる視線がとても痛い。


「アッシェンバーグ、アグネス、ランドール。ホームルーム終わったあとに残るように。……誰のための新学年案内をしていると思ってんだ……あぁ?」


 流石に今回はこちらが悪い。停められなかったユノも一端を担うしかないのだ。

 ユノはしょんぼりと肩を竦めた。




 そこからは滞りなく案内が終わった。何年も特に変わらない内容に、聞き飽きた生徒たちは先生の話を8割も聞いてない。それでもさっさと終わらせたいために大人しくそれを聞いていれば、授業はあっという間に終わる。授業初めにアクシデントはあったが、元々案内や注意事項を述べているだけのホームルームは、授業時間いっぱいもいらないのだ。


 なので今回は学園に響き渡る鐘の音と同時にホームルームは終わり、これ以降授業がない生徒たちも思い思いに散っていく。教室に残るように言われた3人はアルケインにお小言を貰って解散となった。アルケインも今日は決闘で回収した杖の生徒と話があるため、早々に教室を閉めるそうだ。解散宣言直後はさっさと追い出すような仕草をされてしまった。


「はぁ〜、お腹すいたぁ〜。スタッドレイ先生って見た目あれなのに真面目ぇ」


 特にこってりと絞られたのはルゥだった。嫌がる生徒につっつくのはどうかという話を延々と続けられたのだ。


「確かに。見た目はあんなんだけど、整えると年齢相当でカッコイイ……という噂なんだよ?女生徒にも割と人気だったりするけど……第一印象も、髪を上げた第二印象も、あのひょろっとがりっとしたせいで、パッとしないから真実味はあまりないけど……」


「えぇー……きっとないよ、それ……」


 ユノがルゥの言葉に返しながら苦笑いを浮かべた。確かに、第一印象があれで、第二印象もあれに毛が生えた程度であるのだ。どこから、整えた姿なんて話が出たのかは覚えていない。


ただ、ここの学園の先生たちも元を辿ればこの学園の生徒。きっとどこかで過去の写真でも流出したのだろうか。しかしあのアルケインに一定数のファンがいるのは確かなのだ。他にも人気な男性教師もいるが、逆に女性教師もそれなりに若い人は人気だ。


あとは、ベテランの教師陣はやはり別の意味で人気がある。有名な魔法使いも少なくないので憧れの的となりやすいのだ。


 そんなユノとルゥの会話に、入るつもりのないエナは相槌も挨拶もせずに静かにふたりから離れようと背中を向けていた。それにユノは気がついたのか慌てて彼女のローブに手が伸びる。


「あ、あの。エナさん」


 咄嗟にユノが声をかけ、彼女のロープを掴んだ。ほんとに無意識の行動である。ビックリしたのはエナとルゥだけではない。ユノ自身、この行動に驚いて胸がバクバクと煩い。今までにだってこんなに大胆なことをしたことがない。

だが、このまま声をかけないままだときっとこの後、授業が被らなければ会えないと思ったのだ。今のうちに声をかけて、好印象を与えて、出来るだけ学園生活がサポート出来る範囲にいることを許して貰わなくてはならないのだ。先日祖父が彼女に渡すと言っているフレンメルスの腕輪は、魔力が少ない人も魔力がある人から供給する事で持ってる魔力数以上の魔力が使えるという代物。


その魔力を誰かから供給しないとならない為、膨大な魔力を持っているユノが担うと思っている。祖父もそのつもりで声をかけたのだろう。そして、あわよくば友だちに――そんな淡い期待が篭もる。


 少なくとも打算だ。彼女の魔法学園生活を保証する代わりに友だちになれというのは本当に友だちなのかと思うが、それでもユノはエナに近づきたかった。


 彼女のローブを掴んだ手に少し力を入れて、意を決して顔を上げる。そして飛び込んできたのは、光の入らない深い深い緑色の瞳。まっすぐに捉えられてる涼やかな目元の彼女から静かに無を向けられれば、勢いをつけた言葉も喉元につっかえる。口を開きかけて止まったユノに、エナは容赦なく口を開く。




 

「私、貴女と仲良くするつもりも、馴れ合うつもりもないの。貴女と関わり合いたいとも思ってないから、貴女も私に関わらないで」


 



 視線と視線が重なった途端に放たれた彼女からの静かな言葉のナイフに、ユノの顔から表情が削ぎ落ちた。野菜を切るかのように、スパッと告げられた言葉で、あまりにもの衝撃に目の前が真っ白になる。


ユノの胸に深く深く刺さったそれが胸を痛めて仕方ない。どうしてだか、他の人に言われてもあまり気にもとめずにいたというのに、それを言われても仕方がないと諦めていたと言うのに、彼女に突きつけられてしまうと、どうしようもなく苦しくなるのだ。


 エナのローブを掴んでいた手から力が抜ける。するりとローブから離れた手は、力なく落ちていく。そんなユノの手を、エナは捕まえると、元あった場所に丁寧に戻すように、ゆっくりと彼女の体の横に置いた。エナの手の平は、名家のお嬢様と言えないほどに、皮が厚くてあちこちが擦り切れている。


一瞬触れただけでもゴツゴツとしている上に、発する言葉はとても鋭いのに、その行為はとても優しい。しかし、それは直ぐに離れて、再びエナが背中を向けようとした時だ――


「エナちぃ、それは流石に酷いよッ」


 ユノの現状に流石のルゥも巫山戯た様子のない声音でエナに投げる。先まで見せていたおちゃらけた雰囲気から一変した真面目な表情のルゥでも、エナは引けを取らなかった。


「貴女もよ。ルゥメリア・アッシェンバーグさん、私に出来るだけ近づかないでちょうだい。貴女がなんのためにここに来たかなんて、けれど、ある一定の距離感は保って欲しいの」


「――ッ、あんた――」


 エナの言葉に思い当たる節があるのか、ルゥが面食らった表情をする。ユノは少しだけそんなルゥを不思議そうに見てしまう。しかし、エナはそんな様子のふたりなど、意もしないというように冷たい視線を向けた。


そんなエナの冷たい視線は、先程一瞬だけ見せた温もりを感じさせない。ユノもこれ以上は希望を口にできなかった。それだけで胸が震える。なんでか、感情が込み上げてくる。悲しいと思うことは多くともここまで感情がせり上がることは滅多になかった。


 震える手を自身の手で抑えながら、小さく開けた唇から言葉が自然と零れる言葉。


「ごめんなさい……」


 静かにそっと、音として零れた言葉と一緒にほろほろと自然に頬へとこぼれていく感情。苦しく感情が感極まって溢れてしまい、止まらない。ユノは別段涙脆くは無い。寧ろ、小さい頃、両親が亡くなって悲しくて泣きすぎてしまい、最近まで泣き方を忘れていたくらいだ。それなのに堰を切ったようにように溢れてきたそれにユノ自身も焦る。


「あ、あれ……なんで……どうして……」


 流石のルゥもユノのこの状態から、これ以上はエナに対峙することは出来ないと悟ったのか、ユノの肩を抱いてエナに背中を向けた。ユノは、ルゥにされるがままエナに背中を向けるが、エナに気を持ってかれているのか少しだけ振り返ろうとした。


「行こう、ユノちゃん。1回落ち着くためにどこか座ろう」


 振り返ろうとしたユノをそっとルゥが止めると、ユノは振り返るのをやめて足下を見る。こぼれ落ちる涙がどうしても止まらない。最初から期待半分だったはずだ。きっと、断られても諦められると思ってたはずなのだ。


だが、蓋を開ければそんなはずも無く、思っていた以上に期待は大きかったのだと思った。止まらない涙が床に打ち付けて広がるのを呆然と見つめてしまう。そして、そっとルゥに背を押されて、足を引き摺るようにその場を後にした。

 


 エナに背中を向けたふたりは、そのまま廊下を歩き出す。その背中を苦しそうな顔でエナは見つめる。先に触れた彼女の温もりを忘れないように、きゅっと軽く握っていた拳に強く力を入れ、そっと瞼を下ろした。何かを割り切るように、何かを決意するように、数秒だけ苦いものを飲み込んで、次に瞼を上げれば目の前にあった背中はもうない。



 エナは何事も無かったように彼女たちとは反対の廊下へと足を進めた。

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